第7話 まつりの事情(1)




 立ち話で済ます話でもないので、私たちは例のシャッターの隣にある枯れた噴水の縁に腰を下ろしました。私は普通に座りましたが、彼女は縁の上で膝を抱え器用に体育座りをする。人が往来する夕方の駅前を遠目に見やると、平日であるためか、路上で演奏している人は誰もいませんでした。


 まつりは自分のことを話すといったものの、一向に語り出さない。察するに葛藤しているのでしょう。私はただひたすら彼女が語り出すのを待ちました。そうして感覚として十分程度経過した頃に、まつりはようやく口を開きました。



「わたしのママはね、とても厳しい人だったの」



 そう切り出したまつりは、ぎこちなく半生を語る。声が震え、つっかえながら、ときには話が前後しつつも、彼女はこれまでの人生を私に伝えました。


 まつりが語る内容を整理したうえで端的に言えば、彼女の母親はかなり教育熱心な人物だったようです。しかしその熱意はあまりにも度が過ぎていて、最早教育虐待といっても過言ではない状況だったのです。こういった教育問題によくありそうな、テストで少しでも失点すれば過剰に叱責したり、様々な習い事をさせて過密スケジュールを強いたりすることは、まつりも幼少の頃から経験していたそうです。


 教育虐待をする親の心理は千差万別でしょう。たとえば、親自身にキャリアがありエリート意識があったり、そのキャリアを捨てて家庭に専念した反動だったり、逆にキャリアがないからこそコンプレックスを拗らせてしまったりと、そういった要因が一般的に考え得る心理ではないでしょうか。彼女の母親がどういった人物なのかは詳しく語られることはなかったので、ようとしてその心理が知れない。まつり自身も母親の事情を把握していないと思われる。


 とにもかくにも、彼女の母親は娘であるまつりに過剰な期待を寄せていたのは紛れもない事実でした。


 ただ一点、彼女の教育虐待が表面化して問題とならなかった要因は、まつりがその過激な教育をこなしてしまっていたことにあります。たとえ理不尽な叱責をされても、閉塞的で自由のない生活を強いられても、彼女はそれが自分の日常であるとして受け入れていました。当の本人が折れることもなく耐えてしまっていたので、その異常な環境が問題視されることはなかったのです。


 幼いが故に自分が今いる場所以外の世界を知らないからこそ、まつりにとってその厳しすぎる家庭環境が当たり前という認識になっていたのです。



 そしてまつりが母親の過度な期待に応えてしまうからこそ、その期待は激化することとなる。



「ママの教育は確かに厳しかった。けどやれないこともなかった。でも……小学校に通って、学年が上がるにつれて違和感が増したの。わたしの家は普通じゃないってね」


「それは、その教育漬けされる家庭環境のこと?」


 私としては、彼女が小学校生活を送るなかで、ようやく異常さを自覚したものだと思いました。しかしまつりは私の言葉に対してかぶりを振って否定した。


「子供ならクラスの子と仲良くなって遊ぶようになるでしょ。わたしのママはね、わたしが作る友達にまで言及してきたの」


「それは……友達と遊んでないで勉強しろってことかな」


「ううん、違うよ。むしろママは友達と遊びなさいとわたしに言い聞かせてた。その時間をつくるために習い事の何個かをやめたりしたの」


 それはいいことではないか、と私は率直に思いましたが、しかし続くまつりの言葉で絶句せざるを得なかった。



 曰く、小学校低学年の頃はとくに気にしておらず、母親の言いつけ通りに友人を作って仲良くしていた。三年生とか四年生とかの中学年になると、母親から「あの子と遊びなさい」と言われるようになり、まつりは不思議に思いつつも指定された子と仲良くしたそうです。そしてたまに指定外の子と仲良くして、そのことが母親の知るところとなると、母親は烈火の如く怒りだした。ときには押入れに閉じ込めたり、ときには家に入れさせなかったりして、まつりに反省を促した。彼女としては何を反省すればいいのか皆目見当もつかなかったが、泣きながら母親の気が済むまで謝り続けるしかなかった。


 高学年になってから母親がおかしいことがはっきりとわかるようになった。高学年のクラス替えの際、母親はクラス名簿に記載されている名前からクラスメイトの家庭事情を調べ出したのです。当然推測や噂や偏見を頼りにプロファイリングされたのですが、その独自情報をもとに新しいクラスメイトの名前をあげて、「この子のお父さんはいいお仕事をしているのよ」や「この子のお母さんのご実家がいいお家なのよ」などとまつりに教え込み、その子と友達になるよう強要した。反対に「この子は母子家庭だから話してはいけない」とか「この子の両親はよくない噂があるからダメ」と言い聞かせ、話しかけられても無視しなさいと教えられたようです。



 それは事実上、母親が子供の人間関係を管理していました。



 素直に、まつりの母親は異常だと感じました。こんな風に子供を操るその神経に驚愕を禁じ得なかったです。



「それでも、たとえママから指示されたことでも、その子と心から仲良くできるならそれでもいいと思ったの。実際低学年のときも中学年のときも、なんだかんだで友達と仲良くできたから、うまくいっているなら問題ないかなって」


 震えの増す声でまつりは続けます。


「でも高学年は違った。クラス替えして新しいクラスメイトに、わたしは馴染めなかったの」


 高学年にもなればより自我が増していき、自分自身と周囲の環境を秤にかけるようになるでしょう。自分と相手。その狭間が見えてくる年頃なのかもしれません。


 小学校高学年にもなれば、女の子の話題は「好きな男の子は誰か?」といった、クラスの男子を品定めするかのような話ばかりになるそうです。他には流行りものを共有することなど。日本の男性アイドルグループやKポップとかの話をされ、まつりも話を合わせるために楽曲を聴いてみるものの、何がいいのかよくわからなかったという。


「何がよくて流行っているのかわからないから、皆が何に夢中になっているのか全然わからなくなっちゃった」とまつりは語る。


 流行は、流行っているから流行るといったものでしかありません。もちろん良質なものとして人気が出て知名度が増すことも当然あるが、ある一定以上になると流行っているものを共有して共感したいから流行に便乗する、といった現象になってしまう。それによってより流行が増すという循環になる。そして流行に便乗するだけの者は、総じてその流行の本質に目を向けようとしない。なにせ目的が違うから。いいものを取り入れたいから流行に乗るのではなく、コミュニケーションツールとして他者と共感したいから流行に乗っているだけだから、そこに本質の良し悪しがどうかなど関係ないのです。



 まつりとしては、潜在的に本質を見極める性格なのでしょう。



 しかし同年代の女子が集まった場合、その性格が通用しないこともあります。



 差別的な意図はないですが、女性というものは往々にして共感性を尊び、異端者に敵意を剥き出しにして排除する性質が、男性よりも強いと私は感じています。


 結束力が強いからこそ、その輪の中で調和しなければならなくなってしまう。


 まつりの性格は、集団の中で調和するには不向きなものであったのです。


「わたしって遅れてるのか、男の子のこととかまだ特別に思えないし、流行りもののよさもわからないから、とにかくクラスでは話を合わせることだけに集中したの。なんとも思っていない男の子のことをカッコイイねって頷いたり、流行っている服とか全然可愛いと思っていないのにカワイイって共感したりして。それが学校の中だけなら、時間が過ぎれば解散になるからまだ耐えられた。でも休みの日とか遊びに誘われると苦痛でしかなかったの。一日自分を押し殺して皆に同調しなきゃいけないことが耐え難かった。そうしているとね、自分ってなんだろうって思うようになったの」


 母親によって教育漬けにされ、さらには母親によって人間関係を管理されていたまつりは、まさに傀儡と呼ぶにふさわしい存在でした。しかし指定された人間関係に馴染めなかったことにより、彼女の中で疑念という感情が誕生した。


「ママに怒られたくないから、皆と仲良くする。でもそれって本当の友達なのかなって。もっと私と話が合う子はいるはずなのに、その子と関わることを許してもらえない。わたしは一体誰のために友達と仲良くなっているんだろう。わたしは一体誰のために生きているんだろう。そうやって毎日毎日考えて、でも答えなんか出てこなくて、苦しくて苦しくて、でもその生活をやめることもできなくて、続けるしかなくて、自分で自分のことを押し潰していくしかなかった」


 まつりは語りながら感情的になっていき、声は湿っぽくなっていました。抑圧された感情が破裂寸前で、まだ漏れ出している程度ですが、決壊して濁流となって放出するのは時間の問題だと、このときの私は感じました。


「そうやって五年生も六年生も耐えて過ごして、小学校を卒業して中学生になって――」


「ちょっと待て。君は一体いくつなの?」


 まつりの幼さの残る顔貌と、なにより背格好から小学生という印象を抱き、その認識のままこれまで過ごしてきました。しかし彼女の話を聞く限りだともう小学校を卒業している。私の認識が覆ったことにより、尋ねずにはいられなかった。


 私の急な反応に、まつりは驚きと怯えの表情を見せましたが、すぐさま「十三歳。この春で中二になった」と答えた。続けて「学校行ってないから、二年生になった実感はないけど」と自嘲気味に呟いていました。


 しかしまつりが中学二年生だったとは思いませんでした。おそらく世間一般的な女子中学生よりもかなり小柄なのではなかろうか。背の順であれば間違いなく先頭なのではと思えてなりません。まだ教育現場に背の順という文化が残っているのかどうかはわからないですけど。


 まつりの年齢は確かに驚きましたが、しかしまつりの背格好は重要ではありません。私は「すまない。話の腰を折ってしまった」と謝ってから、彼女に続きを促しました。



「中学生になっても変わらなかった。むしろ最悪だった」とまつりは語る。


 母親が指定した子達は、教室の中で別々のグループを形成してしまったのです。中途半端に両方のグループを行ったり来たりしたせいで、まつりはどちらのグループにも所属することができなかった。しかし指定した子と仲良くしなければ母親に叱責される。まつりは賢明に両グループの子と仲良くしようとして、結果的に八方美人や風見鶏といった陰口を聞こえよがしに言われるようになり、教室に居場所がなくなったのです。


「でも居場所がなくなったらなくなったでママは敏感に察しちゃって、もっと上手に振る舞いなさいって叱るの。誰のせいでこんなことになっているのか考えもしないで怒るの。だからわたしは、中学一年生の時期を、学校では空回りし続けて、家に帰ると説教されるって毎日を過ごしてたの」


 私はまつりの話を聞いていられなかったです。あまりにも不憫過ぎて、なんと反応すればいいのか見当もつきませんでした。




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