第6話 少女の申し出




「師匠! 師匠はやっぱり師匠なんですね!」


 その日の夕方もいつも通り柏駅前の路上でまつりと会うも、いきなりよくわからないことを言って詰め寄ってきたのです。五月も半ばを過ぎ、行き交う人々の服装は初夏の装いに変わっていて、まつりもガーリーな服の上に着ている上着が薄手のパーカーに変化していました。そんな夏に向けて季節が動き出している時期でもあったので、こうして興奮気味に詰め寄ってくるまつりの態度から暑苦しさを感じてしまい、外気との相乗効果により若干辟易としました。


 まつりにとって「師匠」とは、すなわち「すごい人」ということらしいです。

 よってまつりの発言は「師匠(呼び名)! 師匠は(固有名詞)やっぱり師匠(すごい人)なんですね!」という、非常にわかりづらいものとなっていました。


「どうした急に」


 私はやや気圧されつつも尋ねました。


「あの、師匠のアカウントを遡ってみたんです」


 曰く、私が仕事における作業日誌や活動報告のようなものを書き込んでいるSNSを遡って見たそうでした。この頃は春特有の忙しさが徐々に収束してきてはいたものの、やはり仕事中は時間に追われる毎日であることは変わりなく、SNSに投稿するネタを確保する余裕はありませんでした。いつもは画像付きで作業風景を投稿するのですが、この頃は一言か二言いい加減で適当なことを呟く程度であり、特段面白い書き込みなどなかったはずです。そんな春の忙しさの影響が出ている新着駄文投稿群を突破し、時間に余裕があった頃の投稿をまつりは見たそうです。


「これ、すごかったです!」


 そうしてまつりが差し出してきたスマートフォンには、律義にも保存した画像が表示されていました。


「ああ。二月くらいに完成したギターだね、それ」


 画面に写っているのは一本のエレキギター。形状としては一般的なテレキャスターではあるものの、プレート類は真鍮ブラスで製作しあえて腐食させ、ボディの塗装もアンティーク調に仕上げている。そこに装飾として小さな配管や歯車を散りばめることで、スチームパンク風のテレキャスターを作ったのでした。春の繁忙期は毎年のことなので、その前に完成させてしまおうと集中的に作業し、二月に自作ギター完成の旨を写真付きでSNSに投稿したのです。


「これはお仕事で作ったんですか?」


「いや、単なる自己満足だよ。売り物ではない」


 お金儲けがすべてではない。たまにはこういった趣味に偏ったものを作ってもいいではないか。個人で仕事していると稀に公私混同することがあるものの、逆に個人だからこそ許される部分もあり、その点が個人で仕事する魅力だと私は捉えています。普段からスケジュールの空白を使い、楽器に関する実験や探求のほか、自分が表現したいことを反映させた楽器を制作しているのです。



 最低限楽器として機能するのであれば、そこに芸術性を求めてもいいのではないか。



 これが私の考えです。それは楽器職人としてギタリストの高見沢俊彦のエンジェルギターに感銘を受けているためです。最早彫刻にギターのネックをくっつけただけのような楽器で、さすがに私はそこまでの芸術性を追求することはしませんが、しかし少々アーティステックな方向に傾倒することがままあるのです。



 仕事として楽器の製作修理を請け負っている以上職業は職人かもしれませんが、個人的な性質はむしろ芸術家のような気がしています。



 ちなみにですが、作ったアートギターの写真をSNSに投稿すると、たまに欲しがる方が連絡をくださりそこで売買が成立することもありますが、それはほんの一例であり、あくまで自己満足による自作楽器でしかないのです。



 すべては楽器を通して何を見出すか、ということです。



 そういうことをフランクに伝えると、まつりは「職人の哲学ですね」と目をきらきらと輝かせながら感銘を受けている様子でしたが、あいにくとそこまで高尚なものではなく、やんわりと弁解しました。


「これもそうですか?」とまつりはスマホを操作して新しい画像を表示させた。そこに写っていたのは、まるで火事場から拾ってきたかのような焼け爛れたギターでした。「すごいギターですよね。どうやって作ったんですか?」と興奮気味に尋ねるまつりのことを、私は直視できませんでした。


 その楽器は、私がこの道を志した若い頃に習作として製作したもので、本来ならとくにアートでも何でもない普通のオリジナルギターでした。しかし何年か前の冬に少し大きな地震があって、自宅の壁面にかけて飾っていたその楽器が転落し、その際に電気ストーブに接触してしまったのです。転落による多数の打痕と、目立つ位置に塗装の焦げができてしまい、このままだと見栄えが不格好だったので、逆転の発想で「いっそのこと燃やしてしまおう」と自らバーナーで焼いたのです。結果的に、塗装の焦げと、ドロドロに溶けた塗装、塗装が溶け落ち露出した木部、露出し焼け焦げた木部などが絶妙なグラデーションとなり、転落時の打痕も合わさりかなり攻撃的なアートギターに変貌したのです。


 あくまで見栄えの誤魔化しでしかないので、こうして羨望の眼差しを向けられても、私としては素直に受け止めることができなかったのです。ひとまずまつりには「バーナーで焼いた」とだけ説明しましたが、詳細を省略し過ぎたのか、奇抜な才能を眺める凡人のような唖然とした表情をされました。大抵の人は楽器を焼くという発想にはならないと思われるので、奇抜以外の何ものでもないのは事実ではあります。ただ一応「ジミ・ヘンドリックスというギタリストがパフォーマンスでギター燃やしたことあるから、燃やすことは珍しいことではない」と弁解するも、まつりは「その人をリスペクトしたんですね!」とあらぬ方向に誤解が加速していったので、もう放置することにしました。


「わたし、このギターが好きです」といって見せてきた画像には、一本のアコースティックギターが写っていました。スプルースのボディの下部に百合の花束のシルエットが白色でペイントされ、ネックの指板にもポジションマークとして百合の花のワンポイントが白蝶貝で埋め込まれており、弦の隙間から真珠のような純白の輝きを放っている。装飾が施された楽器ではあるものの、先に見せたスチームパンク風ギターや炎上ギターとは違い、実にシンプルで落ち着きのある見栄えです。


「百合の花っていいですよね。白くて可愛いから、好きな花なんです」と満面の笑みを浮かべて、そして「こんなギターを演奏してみたいです」と焦がれている様子でした。「すまない、そのギターはもう売れてしまったんだ」と話すと「そうなんですか……」とわかりやすく落ち込んでいました。


「やっぱり師匠はすごいです」


 変わらずまつりは爛々とした眼差しを私に向けているものの、ふと、その輝きが収束していきました。何事かと訝しんでまつりを見返すと、彼女はどこか緊張した面持ちで真面目な表情をしていたのです。そして意を決したかのように、言葉を口にしました。



「師匠、わたしを弟子にしてください」



 きっぱりと強く言い切ってから、まつりは深々と頭を下げました。



「……もう既に師匠と呼んでいるじゃない。勝手に弟子になっているようなものでしょ」


 彼女の言葉の趣旨は伝わっています。ただ私は、彼女の本気の言葉を真正面から受け止めず、はぐらかすようにして受け流しました。


「違うんです。わたしは、ギター職人としての師匠の弟子になりたいんです」


 しかしまつりはなおも語気強く懇願します。


「……それって。アートギターに感銘を受けたからか?」


「それもあります。でも感銘を受けたのは、師匠の人柄です。師匠が見ているもの感じているものを、わたしは近くで学びたいんです」


 まつりの情熱はよく伝わってきます。一方で私は氷のように冷え切った目で彼女を見定めました。その冷静な慧眼にまつりは畏怖を感じ取ったのか、怯えたように指先が震えていました。


「……金儲けなら他の仕事をした方がいい。楽器を弄って食っていけるのはほんの一握りの人間だけだ」


「師匠はさっき、お金儲けでギターを作っているんじゃないと仰っていました」


「それはコンスタントに収入が見込めるようになってからの話。収入がないのに金儲けでやっていないと公言しても、それはただの貧乏人の言い訳でしかない」


 そうして私とまつりは不毛な言い合いを繰り返しました。少しばかり意地悪く突いても彼女の意志に揺らぎが見受けられなかった。それほどまでに、彼女の決意は固いようでした。


 しかし確固たる意志を持っているからこそ、意志を通す際に失言をしてしまうのです。


「今から弟子入りすれば、大人になる頃には相当な技術を磨けると思います。わたし学校に通ってないから、時間はいくらでもあるの。師匠のお仕事の邪魔はしません。雑用でも何でもやります。なので、わたしを弟子に取ってください」


 まつりとしては意志を通したつもりなのでしょう。しかし大人として見過ごせない言葉がそこにはありました。


「学校行ってないんだね」


 私の冷徹な一言に、まつりはビクッと身体を震わせ、目を伏せました。


「顔を上げなさい」


 私はそう言い放つも、まつりは一向に顔を上げようとはしませんでした。触れられたくないことであるのは確かなようです。


 薄々感づいていたから、今更学校へ行っていないことが明らかになったとしても、感じるものは何もありません。普通に考えれば当然でした。こんな年端もいかない女の子が髪を脱色して金髪にしているのだから。金髪で学校に通う学生などすぐさま指導が入るに決まっているから、染めた金髪のままでいられる子供は総じて登校拒否している者だけです。


 しかしそれを本人の口から明かされれば事情が変わってきます。大人として突っ込まざるを得ないのです。


「事情があって学校に通っていないのはわかるけど、でもね、こちらとしても事情を知らないまま弟子として迎え入れるわけにはいかない。なにせ素性がわからないから。学校に通っていないことはこの際よしとしよう。本当はよくはないけど、話がややこしくなるから今はいい。本気で弟子になりたいなら、まずは自分の事情を嘘偽りなくすべて明かしなさい。弟子になるかどうかはそのあとに判断するべきことよ」


 私の本心としては、彼女を弟子として迎え入れることによって、彼女自身が抱えている面倒事に巻き込まれる心配をしていました。つまりは自己保身。自己をなげうってまで彼女を教え導く義理は私にはありません。


 これによってまつりとの関係が終わってしまっても、それはそれで仕方がないです。そこまでの関係だったということです。そもそも三十代の女がこうして見知らぬ少女と関係を持つこと自体特殊なことなのですから、関係が終わったとしても普通の状態に戻るだけです。


 果たしてまつりは、ゆっくりとした動作で顔を上げました。強い意志が宿った眼光は変わりないですが、しかしその意味合いは大きく変化していました。先程までは弟子入りの懇願という私に向けられた意志だったのですが、そのときの彼女の目には、現実から逃げてはいけないという戒めの意味が込められており、自分自身に向けられた意志でした。


 どうやら彼女は、私との関係を終わらせるつもりはないようです。


 それを感じ取った私はまつりと真正面から向き合い、真面目に彼女の事情を受け止めることにしました。


「わかりました。では、わたしのことを、師匠にお話します」


 まつりの鋭い視線が、私を貫きました。




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