第5話 路上少女まつり




 彼女改めまつりとは、翌週も遭遇していた。土曜日の夕方にまつりから「今日は来ないんですか?」と控えめなダイレクトメッセージをもらい、土日は家でゆっくり休んでいる旨を伝えると、「そうですか……」と文字からでもしゅんと落ち込んでいるのが窺える返信が来て、なんだか悪い気がして「また来週」と送ったら喜ばれてしまったのです。



 まつりが不思議な子であるのは、最早紛れもない事実です。彼女の特異な素質や謎が多い家庭環境のこともそうですけど、容姿としても同様です。ミディアムボブの髪を金髪にしているのは今更ですけど、それ以外にも服装とかもそう。


 出会った当初は矮躯であることもあってギターが身体を隠してしまっていて、服装とかわざわざ確認しませんでしたけど、彼女はワンピースなどの女の子らしいフリフリで淡い色合いの可愛い服の上に、カーキ色のモッズコートといった可愛げのないものを羽織っていました。


 モッズコートならまだわからなくもないですけど、日によってはテーラードジャケットだったり、少し寒い日にはライダースジャケットを着ていたり、天気の悪い日はマウンテンパーカーを着込んでいるときもあって、中に着ている可愛い服と全く異なる傾向の上着を好んで着ていました。ガーリーな服の上に、ミリタリーだったりフォーマルであったりアウトドアだったりする上着を重ねるのは、最近の若い子の間で流行っているのでしょうか。それともこの子だけの個性的なファッションなのでしょうか。まだ三十代の私がこんなことを言いたくはないですけど、最近の若者はよくわかりません。



 まるで、少女が無理しているかのよう。自分にないものを得ようとして強引に覆い被せているみたいにも捉えられる。テーラードジャケットを着ている日は大人っぽさを、ライダースジャケットの日はそれこそロックンロールを身に纏っている、みたいな。



 週が明け、まつりは変わらないスタイルで例のシャッター前にいました。その日はモッズコートの日でした。


 この日のまつりは、頭に無骨なヘッドホンをかけていました。どうやら一曲演奏し終えてから私が来るまでの間、音楽を聴いて待っていたようです。普段もヘッドホンを見かけるも首にかかっていただけで、こうして実際に使用しているところを見たのはこれが初めてでした。ファッションとしての飾りではなかったようです。


 私が来たことに気がついた彼女は、スマホを操作して流れている音楽を止め、ヘッドホンを外して首にかけながらこちらに振り向きました。


 自然と「何を聴いていたの?」と尋ねていました。するとまつりは「amazarashi」と答え、「好きなの?」と続けて尋ねると、彼女は微笑みながら頷きました。


 自分もそのアーティストの楽曲は、すべてではないがメジャーな曲は聴いたことがあります。個人的に、歌詞の言葉のセンスが素晴らしく強い印象を抱く曲が多いと感じている。確かネットの情報によれば、影響を受けた人物に太宰治をあげていたような気がします。その影響が楽曲にも反映されているのか、どことなく文学的なイメージを彷彿とさせるアーティストでした。


「全部好きですけど、わたしはとくに――」


 そうやってそのアーティストのことについて語るまつりは、とても溌剌としていて楽しそうでした。普段路上で見せる野良猫のような、目に映るもの大半に失望しつつも自分ではどうすることもできない事実を自覚し諦観しているような眼差しとは、まるで違いました。本当にそのアーティストのことが好きなようです。


 ふと感じたのは、彼女の歌はそのアーティストの影響を受けているのではないかということ。もちろん本家とは比べ物にならない、天と地ほどの差があるのは当然ですが、歌い方とか意味深な歌詞とか、好きなアーティストのイメージを参考にしているように思えました。そのアーティストは決して明るい楽曲ではなく、まるで雨の日のような気分が鬱々するところが魅力的だと感じていますが、そういった部分にまつりは惹かれているのかもしれません。まつりが抱く陰鬱な背景が共感している風でした。


 そうしていると、今度は逆に私の好きなアーティストの話に変わりました。私はこれといって贔屓しているアーティストはなく、時期によって好んで聴く音楽がころころと変わるくせに、一度気に入るとその音楽をヘビーローテーションする傾向があるので、実はこういった質問の答えに困ることがあります。どのアーティストでもにわかファン程度の愛着しかなく、多分尋ねてきた人の数だけ違うアーティストの名前を答えているかと思います。とりあえずは、このとき好んで聴いていたオルタナティブバンドを答えておきました。バンド名が一回聞いただけでは正確に覚えられないほど複雑なもので、案の定まつりは一回で聞き取ることができず、私は何度もそのバンドの名前を言う羽目になりました。


「とりあえず聴いてみたいんですけど、名前が覚えきれずスマホで探せないので、CDとか持ってませんか?」


「ええ。あるよ。ちょうどベストアルバムもリリースしているから、今度貸すよ」


 そう約束してその日は別れ、翌日私は律義にベストアルバムを持参して、いつものシャッター前に行きました。この日もまつりはいて、ちょうど路上で演奏していたので曲が終わるまで待ち、おひねりとして百円をペットボトル容器に入れてから話しかけました。早速例のCDを手渡すと、ジャケットの裏面を眺めはじめ、収録されている楽曲のタイトルに目を通しているようでした。「オススメ曲ってなんですか?」とまつりは聞くので、私は唸りながら迷ってから一曲をあげた。



 そうやって私は帰宅する夕方の時間、この場所でまつりと会話することが日課になりつつありました。まつりの酷いライブも、聴けば聴くほど馴染んでくるものがあったので、慣れとは怖いものだと改めで自覚しました。出会ってから一週間、二週間と過ぎていき、いつしか立ち話ではなく、シャッターのすぐ隣にある枯れた噴水の縁に二人並んで腰を下ろして会話するようになりました。主に音楽と楽器の話です。


 私が聴いたことのある楽曲を教えたり、逆にまつりから教わったりすることもありました。幸い私もまつりも、洋楽よりは邦楽の方を好む傾向があったので、世代は違くとも話が通じるものがありました。それにスマートフォンという非常に便利なものがあり、知らないアーティストの知らない楽曲でもその場でネット検索して調べることが可能だったので、お互い守備範囲外であったとしてもスムーズに会話をすることができました。


 楽器については、まだ初心者のまつりでも理解できるようにマニアックな話ではなく、保管環境の話だったり塗装面の汚れの落とし方だったりと、ケアに関する役立つ話をしました。その一環で、湿度管理の話をした翌日のライブ後に、おひねりとして百円ショップで購入してきた小さな湿度計をあげました。まつりはその湿度計を、まるでバッグチャームのようにギグケースに括りつけました。本来湿度計は部屋に設置するものですが、そのことを指摘するのも野暮のように思えたのであえて何も言いませんでした。


 同時にギターの演奏についてもレクチャーしました。まつりのギターの弾き方は独学と呼べるものではない、ほぼ見様見真似に掻き鳴らしているだけでした。そこで弦の押さえ方やピックの持ち方などといった初歩の初歩、基礎からしっかり教え込むことにしたのです。最早路上ライブではなく路上レッスンと化し、通行人が行き交う道の隅で練習に勤しむ。その甲斐あってか、まつりの演奏技術は日に日に上達していき、弦交換のときに感じた呑み込みの早さを想起しました。彼女は若いからか吸収力が凄まじかったのです。


 そういえば、私は読書が趣味でよく気ままに小説を読んでいて、それにちなんであるとき彼女に小説の話を振ってみたものの、まつり自身小説を読む習慣がないようで、話は全く通じなかったのです。例のアーティストが好きなくらいなのだから太宰治でも読めばいいのにと思わずにはいられませんでした。



 そうやって夕方まつりと過ごして四月は終わり、ゴールデンウィークも仕事があったのでいつも通り彼女と会って、そのゴールデンウィークさえもいつの間にか過ぎ去っていました。


 正直に言うと、こうしてまつりと会話するのは楽しかったです。歳は離れているものの話し相手ができたようで、気が楽になるような感じがしました。まつりもまつりで、身近に音楽や楽器の話ができる人がいないとのことで、日に日に心を開き打ち解けていったように思えました。


 そうしてまつりと出会って一ヵ月が経過する頃には、私は彼女からこう呼ばれるようになっていました。



! お仕事お疲れ様です。これからライブするところです」



 彼女の幼さの残るあどけない声で「師匠」と。どうやらまつりにとって私は啓蒙してくれる存在のようでした。


 来る日も来る日も、私はまつりから師匠と呼ばれながら例のシャッター前で寄り添い、ときには駄弁を弄し、ときには練習の面倒をみていました。そこには三十代独身の日常生活の中では得られない刺激があったように思えましたし、まつりも同様に微かな自由を感じている様子でした。




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