007

 夏休み前の試験が終了し、あっという間に長期の休暇が始まった。

 ひと月強の暑くて人によっては熱い休みの期間である。

 「……」

 枝空えそらいおりは自室の勉強机を前に、自分の手帳をジッと眺めていた。飾り気は無いが、色味はパステルでパッと見で女子のものだとわかる手帳には生真面目に予定が記入されている。彼女の記す文字は、バランスの取れた読みやすい字だ。

「はぁ……」

 深いため息を吐き、机に突っ伏す。朝早くからセミはもう本気モードで鳴き出していた。その声を聞けば聞くほど、庵は憂鬱と焦燥に心が押し潰されそうになるのであった。

 終業式を終えた日のことである。次の日、所謂記念すべき夏休み最初の日は、手帳にはこう記されていた。

双市ふたいちさんとおでかけ(決してデートではない、自惚れない)』

 括弧内には自戒のように長い注釈が書かれている。前後で文字の勢いは明らかに差があった。予定は勢いの良い斜め文字、そして括弧内は非常に丁寧に書かれている。恐らく庵は嬉々として予定を記入したあと、恥ずかしくなってこのような注釈を後で付け足したと推測できるほどにわかりやすいギャップだった。

「はぁぁぁぁぁ……」

 庵にとって念願であり、憧れの後輩である双市ふたいちまどかとの予定に対し、ここまで意気消沈しているのには理由があった。

「なんで夏休み初日なのよ」

 誰もいない自室で頭を抱えて呟く。しかしその声はエアコンで涼しくなった空間の中にただただ吸い込まれていった。

 気持ちを作り、彼女と過ごす一日のシミュレーションを行いたかった。行く場所には事前に下見、できれば親友の渚と行って行動の助言をもらいたかった。

 意味もなくシャーペンを押してみたり、できもしないペン回しで何度も何度も手から落としたりなど忙しない。おそらくこの行動に彼女の自覚はない。

「よし!」

 思い切り立ち上がり、表面が少し冷たくなっていたベッドに横たわる。彼女はどうやら一つの大きな決意をしたようだった。

「考えても無駄だわ。明日を楽しむためには、しっかりとした睡眠……ね」

 庵のそう独り言ちると、目を閉じて睡眠に移行した。楽観的かつ合理的な行動に見えるが、彼女はある一点の不安要素を忘れていたのだ。

 人間は楽しみが目の前にあると、眠れないものである。

「………………」

 彼女の脳裏にはおそらく、無数の想像が広がっていた。頭の中で響く「先輩」の声に心臓が苦しくなるほど高鳴る。

「ね、眠れない」

 彼女は頭を勢いよくあげて、再度勉強机へと素早く戻るのだった。

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愛され体質の後輩と愛でたい先輩 不知火ふちか @shiranui_fuchika

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