006

 昨日と同様、二人は双市円のクラスにやってきた。足取りも昨日と同様で、ノリノリの渚に対し、庵はとてつもないほどに消極的。

「んーと、円ちゃんはどこかしら……っと」

 教室のドアを開けて早々、周りを見渡して円を探す渚。顔を少々赤らめつつ、庵も教室を覗く。

「あれ、零条先輩! 枝空先輩!」

 探すより先に、弾むような口調の学生に声を掛けられる。もちろん、相手は円だった。

「こんにちは。枝空先輩、昨日は電話してくださってありがとうございました! 二時間、あっという間でしたねっ」

「"二時間"?」

 そのワードが気になって、渚は復唱する。

「はいっ! 昨日、長電話しちゃって」

 電話をした相手に視線を送りつつ、頭を掻く円。二時間というのは、庵と円の通話時間のようだ。

「へ~二時間ねぇ?」

 ニヤリと口の端を釣り上げる渚。横目で見られている庵は、照れ臭そうに下を向いた。

「良いわね、仲が良くて。ところで円ちゃん、ちょっと時間あるかしら?」

 ウィンクしながら、渚は爽やかな笑顔を見せる。円もそれ以上に輝くような笑顔で応える。

「はい! 私に何か御用ですか?」

 上級生二人を交互に見ながら、円は不思議そうに尋ねた。

「あ、そ、その」

「……夏休みの予定とかって、もう決まってる?」

 口ごもる庵を無視して、渚が話を進める。まだ心の準備ができていないのに、進行ペースが速すぎる。

 しかし、昼休みの残り時間は短い。スムーズに話を進めないといけないのも、充分理解できる。

「夏休みの予定ですか? どうしてですか?」

 渚は頷くと、庵の肩に手を置く。「ほらほら」と声を掛けられて庵は一旦唾を飲み込んだ。

「そ、その……夏休みに、どこかご一緒できたらいいなと思って……」

 庵の丁寧な口調に内心笑いだしそうになる渚だが、我慢して再度頷いてみせる。

「本当ですかっ! すっごく嬉しいです! ちょっと、手帳持ってきますね」

 そう言って、円は自分の机にかけてあるスクールバッグに駆け寄って、手帳を探し始めた。

「予定合わせることには前向きみたいじゃない」

「そ、そうなのかしら」

 大丈夫だと言わんばかりに、強めに庵の背中を叩かれる。叩かれた部分をさする庵は、痛みよりも不安の方が勝っていた。

 遠くで、円が手帳らしきものを握りしめてこちらに向かってくる。

 こちらに駆け寄ってくる姿だけで、庵にとってはたまらないほどドキドキしてしまう事象だった。

「お待たせしました! えーっと……仮ではありますが、こんな感じです!」

 彼女は包み隠さず、夏休みの予定と思われるページを開いて見せた。そこにはポップな字体で様々な予定が書かれていた。ほとんどが埋まっていて、何も書かれていない日程はほとんどない。誰と会うかなどもしっかりと書かれており、そこには男女問わず様々な名前が書かれていた。想像以上の予定の埋まり具合に眩暈がしそうになるほどだ。

 そして庵は再認識した。彼女はやはり人気者なのだと。

 渚も再認識する。彼女は周りに圧を与えず、常に自分のペースを持ち合わせている。だが、相手によって臨機応変に対応して相手の緊張を和らげる術を持っていた。だから、彼女に対してほとんどの人は警戒心も、抵抗もなくすんなりと話すことができる。現時点でも、先輩である自分たちに対して一切の濁りもない笑顔を見せている姿は見事と言わざるを得なかった。

「……どうでしょうか?」

 圧倒された二人は、下級生の言葉で我に返る。この予定の詰まりっぷりは、予想以上だ。

 とりあえず、数少ない空いている日を探し、庵は口より先に指で示した。

「この日はど、どうかしら?」

「えーっと……はい! 大丈夫ですっ!」

 満面の笑みを見せて、円がその日に大きく丸を付ける。そして小声で「やった」と漏らした。それが聞こえた庵は、どこか誇らしくて嬉しくなる。

「よっし、決まったわね」

 一安心と息を吐いた渚に対して少し不思議そうに円は首を捻った

「零条先輩は、一緒じゃないんですか?」

「ん? ああ。私は部活あるから行けないかな」

「そうなんですか……残念です」

「あはは、また今度ね」

 思いきりがっかりした顔をする後輩に、軽く肩を叩きながら渚は微笑んだ。

 それ以上にショックを受けていたのは、庵だった。


 *


 庵は大きく肩を落としながら、廊下を歩いていた。

「私行く前に言ったじゃん。部活あるからほとんど力になれないって」

 渚が口をへの字にしながらそう言う。

「でも良かったじゃない? 予定も作れて」

 なだめるように言っているが、庵は聴く耳を持たない。ずっと溜息を漏らしていた。

「もう、なんか言ったらどうなの」

 不満そうにしている相手にしびれを切らした渚が、ジトリとした目をした。

「……渚と一緒じゃなくて残念って……双市さん言ってたでしょ……」

「へ?」

 両者の間には、どうやら些細な勘違いがあったようだった。

「あんなのお世辞よ。気にしないの」

 手を大きく横に振って、否定する。しかし、庵はまだ落ち込んでいるようだった。

「それにしても、あんなに予定埋まってるって凄いわね。夏休みなのに休む暇なし。……ああ、私もか」

 指を折って、休みの日を数えてみる。水泳部のエースも休みは少ない。

「今日昼休みに無理矢理でも誘いに行って良かったでしょう? ああでもしなかったら、あんた今頃円ちゃんと会えなかったわよ」

 もうすぐ夏休みが始まるというのに、浮かない顔の親友を見ていると憂鬱になってしまいそうだ。渚はなんとかして庵を元気づけたいが、性格上キツい言動になってしまう。少し反省だ。

「……ね、頑張ろうよ庵」

 できるだけ穏やかな口調で励ました。彼女の精一杯である。

「うん、頑張――」

 言い終わる前に、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。

「まずい! 庵、走るよ!」

「う、ううう……」

 宣言を中断させられて、枝空庵は何もないところを睨みながら、チャイムを恨んだのであった。

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