005

「くじけそう」

 次の日の庵の第一声はこうだった。

 肩を落とす彼女を見ながら、渚は何かあったと察する。

「とりあえず、何があったか説明しなさい」

 低いトーンで話を促す渚。

「私と交換した後に、色んな人と連絡先を交換したって言われたの……よく聞いたら、男女問わずたくさん。男子、男子もいるなんて……」

 独り言のような口調で庵は恨み節を放つ。渚は軽くため息をつく。

「まあ、仕方ないわよ、あんなに可愛いんだもん。あんた以外にも、円ちゃんの魅力に気づいてる人が多いってこと」

 エアコンがついていないことに気づきムッとした顔で、渚は額から流れる汗を手の甲で拭う。

「というかあんた。電話したのね。それは偉い」

 すぐに行動を移さないと思っていたので、驚きだ。それだけ彼女に対して本気だという証拠。

 渚はできるだけのサポートはしようと決めた。

「円ちゃん、部活は入ってるの?」

「え……入ってないって言ってたと思う」

 そういう情報もしっかりと入手していた。どんな会話が行われたかは知る由もないが、これはズバリ、

「チャンスね」

「チャンス?」

 首を傾げる庵を見て、「鈍いわね」と小言を挟みつつ。

「梅雨が明けて、テスト終わって、いよいよ本格的に夏になるじゃない? そうしたら、到来でしょ?」

 ビッグイベントと聞いて、更に庵は頭を使う。私たち学生にとって、大きなイベントと言えば……。

「……!」

 一つの答えに行き当たる。アンサーに渚は指を鳴らして「正解!」と声を出した。

「そ! 夏休みといえばイベント盛りだくさん、彼女と過ごせる時間もたくさんあるってわけよ」

「か、彼女なんて気が早いわね渚……」

「私が言ってるのは"girl friend"じゃなくて"she"の方なんだけど? ……まあともかく、連絡先を聞かれまくるくらい人気があるってんなら、もしかしたら夏の予定もバンバン埋まってるかもしれないわよ。さっさと予定聞いて、夏休みはあんたで埋め尽くしなさい!」

 まくし立てる渚。庵は圧倒される。彼女のこの気の強さには敵わない。

「は、はいっ!」

「うん、良い返事。私は夏休み部活漬けだから、ほとんど力になれません」

 足で引き寄せたスクールバッグから、渚はプリントを取り出す。そこには夏休み期間の水泳部の練習日程が記載されていた。

 朝から晩まである練習日、合宿、そして大会……。渚はエース選手であり、水泳部には無くてはならない存在だ。

「そ、そんな……」

 この世の終わりだと、庵は思った。ブレーンである零条渚を欠いた状態で、枝空庵に何ができようか。

 いや、何もできるはずがない。

 鳥かごの中でなすすべなく、自分の無力さに愚痴を垂れるだけの人生だ。

 しかし、それでいいのか?

 いいはずがない。私は、彼女を愛でなければならない。

 彼女に出逢ったのは、運命なのだから。

「わ、私……」

 唾を飲み込む。息を整えて。

「頑張る!」

 格好悪く腕を上げた。そのポーズに軽く笑いが込み上げつつ、渚は拍手した。

「頑張って。ポンコツお嬢様」

「ぽ、ポンコツじゃないわよ……!」

 ポンコツお嬢様は、子どもの頃に渚が庵に付けたあだ名だった。最近になって聞いていなかったこともあり、『ポンコツ』は返上されていたものだと思っていた。

「で、本当に頑張る? できる?」

 渚が改めて問う。

「頑張るわよ。電話だって、したんだし」

 押し間違いによる事故ではあるが、少しだけ自信がついた。今の自分なら、きっとできる。

「おっけ。じゃあ行くわよ」

「え? どこに?」

「円ちゃんとこ! ほらっ、さっさと立つ!」

 またこのパターン……か。

 庵は一度頭を抱えて、教室を元気よく出ていった渚を追いかけた。

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