002

 枝空えそらいおりは見るからに優等生のオーラを放っている生徒だ。腰まである髪は前髪を保ちつつカチューシャで綺麗にまとめられていてる。眼の端は少し釣りあがっているが眉は下がり気味で、それほどキツい印象を与えない。普段も大人しく、動きの端々に気品が満ちていて、彼女が裕福な家庭の育ちであることは安易に想像できる。


「渚、やっぱりやめない? 急に来られても、困っちゃうだろうし……」

 一年生の教室棟に到着するやいなや、庵が弱音を吐く。

「なんでよ」

 立ち止まって、渚が鋭い目で睨む。庵はそれに怖気づきつつも反論する。

「……私、『その娘』の名前しか知らないもの」

「うんうん」

 聞き流すように雑に首を縦に振る渚に、更に言葉を重ねる。

「クラスだってわからないし……」

「大丈夫よ、なんとかなるなる」

「で、でも……」

「あーもーうっさい! 黙ってついてきなさい! ここまで来て、何も無しで帰れるもんですか!」

 こうなった渚には何を言っても無駄だ。彼女の性格は猪突猛進、言ったことを曲げることはほとんどないのだから。

項垂れて、勇み足の彼女についていくのであった。


 枝空庵と零条渚の二年生コンビは、校内でも有名である。そんな二人が一年生教室棟に居るということは、正直に言って不気味であり、廊下をざわつかせる理由としては事足りていた。

 廊下にいる下級生は彼女たちとぶつからないように端々に避けるほどの威圧感を放っていた。

 もちろん、二人ともそんな気は一切ないのだが。

「あっ、ねえねえ!」

 渚がとある教室のそばにいた一年生の少女に声を掛ける。その少女はすぐにこちらに歩み寄ってきた。どうやら、警戒の無さから見るに水泳部の後輩だろう。

「零条先輩、こんにちは。何かありましたか?」

「ちょっと探してる人がいるのよ。えーっと……」

 名前を聞いてないことに気づき、庵にアイコンタクトする。気乗りはしないが、庵は仕方なく耳元で名前を伝え、渚はそのまま口に出す。

「フタイチマドカ、ちゃん? って知ってる?」

 ぎこちない呼び方で、渚は一年生に尋ねた。

「マドカ……ああ、まどかですね。うちのクラスですよ。おーい、円~!」

 その声にビクッとしたのは、庵だった。今目の前の下級生が意中の相手と同じクラスだと認識するまではできたが、即時呼び出すなんて思ってもみなかった。

 大きな声で呼ばれた少女がこちらに気づいて「はいは~い」と軽快な返事と身軽そうな歩調でやってきた。

「どうしたの……って、あれ? 枝空先輩」

 やって来て早々、呼ばれた本人の傍にいる庵に気づいて、双市ふたいちまどかはキョトンとした顔で先輩を見つめる。

「こんなところまで、どうしたんですか?」

 さっきまでの表情はどこへやら。円は屈託のない笑顔になった。庵は心臓の高鳴りが激しくなるのを感じた。

「あ、あ……えっと……」

 声が思うように出ない。いや、出せない。緊張で口が渇いて『声』が発せられない。

 その状態を見かねた渚がフォローする。

「庵がね、『円ちゃんに会いたい~』って言うから来たのよ」

「え、私にですか!」

 両手で口を押えて円が驚く。視線は渚から庵に移動して真意を知りたそうに向けられた。

 無論、これは渚が勝手に言っていることであり、庵の本心ではない。

 しかし、否定することもできない。ここは仕方なく対応するしかない。

「……そ、そうなの。あなたに会いに来たの」

 やっとの思いで出た言葉は、本心でありつつも、死ぬほど恥ずかしい台詞だった。脳内でサンドバッグをボコボコにしつつ、決して恥ずかしさを顔に出すまいと庵は内外で戦いを繰り広げていた。

「私に何か御用ですか?」

 人類はここまで自然に、あざとい首の傾げ方ができるのだろうか。それほどまでに強力な破壊力の前に、庵の頭は更にかき乱される。

 双市円のその立ち居振る舞いに、同時に渚も驚かされていた。彼女の動きには一切、狙いや企みがない。ただただ、ナチュラルな動作だったからだ。

 あざとい女は中学でも部活でもいくらでも見てきた。だからこそ、ここまでのは初めて見た。

 庵が恋に落ちてしまうのも仕方がない、それほどに彼女の動きは魅力的だったのだ。

「最近、挨拶とかもしてくれてるけど、それだけじゃなく、もっと円ちゃんのことが知りたくなったらしいのよ」

 完全に思考停止している庵を横目に、渚は続ける。

「だから庵に、連絡先でも教えてやってくれない?」

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