愛され体質の後輩と愛でたい先輩
不知火ふちか
001
あなたは恋に落ちたことがあるだろうか。
「恋愛」というものは人生を左右するほどに感情を揺さぶられる。
身を賭して恋愛を成就させる者、恐れて一歩を踏み出せない者、まだ恋に気づいていない者、素直に恋を認めることができない者――。
複雑な感情が常に繰り広げられ、そこには多種多様な恋愛の世界が生まれている。
その世界の渦中に彼女、
庵にとって恋は、『自分には縁がないモノ』だと勝手に決めつけていた節がある。
それもそのはず、彼女は小・中を女子校で九年近くを過ごした経験を持っていた。教師も全て女性、校内には女子用トイレしかなく、保護者である父ですらも校門をくぐることを許されていなかった。いついかなる場合があっても男性を入れないという徹底した隔離を行われていた場所だった。
しかし、男性に対して過度な偏見などを持ち合わせていたわけでもなく、恐怖の念も抱いてはいなかった。もちろん、学校を出れば男女普通に生活しているし、家に帰れば父親だっている。異性を毛嫌いする理由は彼女にはなかったのである。
高校は共学の進学校に入学し、初めて異性を交えて勉学に励んだ。学校行事を行うことで異性との見えない壁は完全に崩れ去ったのである。
二年生になっても、順風満帆に学校生活を送っていた。クラスメイトとの仲も良好で、成績も優秀。おまけに美しい容姿も手伝って校内では一部で有名な生徒になっていた。
本題に戻そう。そんな彼女が恋をすることになる。
その相手は『女性』だった。
*
「女の子に恋した?」
午前の授業を終えた昼休みのこと。机の上に座って、牛乳パックのストローを軽く噛んで、
「うん、私おかしいのかな……最近、彼女のことを思うとなんというか、その」
「胸が熱くなる?」
「え!? そう、そうなの!」
左胸を抑えながら、先読みされて答えられたことに驚く。渚はそんな庵を無視して手を扇子のように仰がせながら、牛乳パックの中身を吸い込む。
「夏バテかもしれないわよ。最近暑くなってきたしね」
「確かにもう夏だけど、流石に理由が適当過ぎないかしら?」
今は七月の下旬。期末試験も終了しすっかり夏休みムード直前の賑やかな教室の一角でこの会話は繰り広げられていた。
「梅雨が明けて、もうすぐ夏休みって時に面白そうな話するわねぇ」
ニヤリと唇の端を上げて、庵を見つめる。
「お、面白がらないで。私は真剣なんだから」
あまりにも気の抜けた視線に耐え切れず、そっぽを向く庵。もう少しちゃんと取り合ってくれると思っていたからこそ、少し失望だ。
零条渚は幼い頃からの友人だ。小・中は別の学校であったが、家が近所ということで交友を深めていた。水泳部のエースであり、この学校にもスポーツ推薦で入学してきた生粋のスイマーだ。サバサバとした性格、水泳によって引き締まった筋肉質な身体、そして分け隔てない雰囲気に異性にも同性にも人気がある。
そんな彼女はいつも庵にふざけた態度を取り、ケラケラと笑うのだ。
「で、これからどうするのよ」
「え? どうするって……」
首を傾げる庵に、やれやれと肩をすくめる渚はどこか余裕だ。
「だーかーら、その娘とどうなりたいわけ?」
勢い良く指さす。指された庵本人は少したじろいで、
「うぇ!? や、う、それは……」
「ほらほら、言ってみなさいよ~」
更に追及の手を止めない渚。庵はググっと握り拳を固めて、
「……愛でたい」
と、庵は静かに答えた。
「ん? ごめん聞き取れなかった。もっかい」
「私は愛でたい、彼女を、思う存分!」
今度は先ほどよりも強く、大きな声で伝える。顔は紅潮して、恥ずかしさが隠しきれていない。それほど『本気』だということだ。
「な、なんだか強い意志を感じるわね……」
前のめりな庵に少々引き気味になる褐色肌の少女は、まだストローを口に咥えていた。机上で胡坐をかいて、下品な姿勢になった。
「それで、その娘とはどういう関係なの? もしかしてクラスメイト?」
「ち、違う。一年生よ」
「一年生?」
渚はまずは情報を整理することが先決だと考えた。庵は帰宅部であり、他のクラスの生徒、ましてや一年生となんて繋がりはないはず。そんな彼女がどうやって?
庵は一度椅子に座り直して、息を吐く。荒れた息を整えて、口を開いた。
「期末テストが始まる前くらいのことなんだけれど、確か移動教室の授業の時だったわ。梅雨らしい天候で、雨のせいで廊下もちょっとジメっとしてた。それで気分も落ちて私は下を向いて歩いていたの」
「あれ、移動教室なら私と一緒に行ってない?」
「あなたはその日、お手洗いで遅れてたから、別行動」
なるほどと手のひらをポンと叩いて、渚は途切れた会話をもう一度続けるように促した。
「……その時、『その娘』が目の前でハンカチを落としてね。拾ってあげたのよ」
「うんうん、それでそれで」
「え、それで……それだけよ」
「へ?」
目を輝かせていた渚の声のトーンが一気に下がる。それを聞いて庵は申し訳なさそうに頭を下げた。
「うっす!! 関係性めちゃくちゃ薄いじゃん! そんなの、下校時に猫がいて可愛かったみたいなレベルの、些細な出来事じゃない!」
「それでも、好きになっちゃったの!」
「……まあいいわ。で、なんでそれで好きになっちゃったのよ?」
既に半ば呆れムードが流れている。それをかき消すためにも、庵は納得のいく理由を言わなければならない。
「『その娘』は、拾ったハンカチを手渡すと、とってもキラキラした瞳で私を見つめて、今までに見たことがないくらいの無邪気な笑顔をして、お礼を言われたの。その時、なんというかドキッとしたと同時に愛おしくてたまらなくなったというか」
もじもじする庵を見て、ただならぬ気配を感じる。これは間違いなく『恋する乙女』の仕草だ。だけど、本当にする人がいるとは思っていなかった。
「そ、それにね? その後も私を見つける度に挨拶してくれるの。わざわざ」
「ふうん……」
ズズッと音を立てながら牛乳を飲み干して、乱暴に机から降りて、渚は空っぽになった牛乳パックを握り潰す。
「じゃあ、まずは会いに行こう。どんな娘かちょっと気になってきたわ」
「え、今から?」
「うん。昼休み終わる前にね。ほら早く!」
庵に手招きをしながら渚は教室を颯爽と出ていく。慌てて庵も後を追った。
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