第19話 アンジェリカちゃん
アンジェリカ。
私の名前はアンジェリカよ。
パパはアンジェって呼ぶの。パパはイギリス人でママは日本人よ。
小さい頃に絵本を読んだの、ピエロの話よ。ピエロは空を飛びたかったの、でも羽が無いから飛べないのよ。
ピエロはどうしても空を飛びたくて、自由に大空を高く高く飛びたくて、だからピエロは蝶を捕まえるの。蝶を捕まえて食べて蝶を捕まえて食べるの。
蝶を食べるとピエロにも蝶みたいな羽が生えて、空を飛べるようになるって信じて、ピエロは蝶をいっぱい捕まえて、いっぱい食べるの。そのあとピエロがどうなったかは、憶えてないんだけど、その絵本のピエロを、ずっと覚えてるの。
その日はパパと私とママで家にいたの。
庭に変な人が入ってきたわ。背中を曲げて、両手を前に垂らして、ふらふらしながら歩いて家の庭に入ってきたの。
私、ママの浮気相手が来たのかと思ったわ。前にも一度、そういうことがあったの。
彼女を一番愛してるのは俺だ、とか言ってパパに殴りかかったのよ。でも、このときは違ったわ。
ママが、『なにか、ご用ですか?』って聞いたら、その変な人はママに襲いかかったのよ。私、びっくりしたわ。
パパって大きな声で呼んだらパパがすぐに来てくれて、ママを襲ってる変な人をやっつけてくれたわ。そのときにママは変な人に肘を噛まれていたわ。
パパはママのケガを手当てして、包帯を巻いて、それから3人で避難したの。
いろんなところから、きゃー、とか、うわー、って聞こえるから、なにか大変なことになってるみたいだったの。パパに手を引かれて、3人でこの学校に逃げてきたの。
頭の薄くなったおじさんが教室の机を持って来て、階段に並べたの。おかしな奴等がいるから入ってこれないようにって。
みんなで机と椅子を運んで、階段を塞いだの。ビニール紐とガムテープと針金で動かないように固定したわ。
窓から外を見たら、学校に逃げようとした人が、変な人達に捕まって、食べられてた。
わたし、人が人を食べるところを初めて見たわ。
その日から、みんなで救助が来るまで学校で生活することになったの。
パパはこっそり拳銃を持ってて、なにがあっても私とママを守るって言ってくれたわ。
ママは変な人に噛まれてから、具合が悪くなって音楽室で寝てばかりいたの。パパがずっと介抱していたの。だから、私はバリケードを補強するのを手伝ったり、この学校の保健の先生のお手伝いをしてたわ。
学校で寝泊まりして三日目くらいに、ママがパパを食べようとしたの。校庭で変な人に食べられて死んだ人達が、起き上がってうろつきだしたのを見てたから、私、ママがパパを襲うんじゃないかって気をつけてたの。
ママがうあーって言って起き上がったの見て、私はガムテープでママをぐるぐる巻きにしたわ。
私とパパで、ママを動けないようにして、そこの楽器がある部屋、音楽準備室?に閉じ込めたの。パパが泣きながら、
『ママは悪い病気にかかっただけなんだ。自衛隊が助けに来て、ママを病院に運んだらすぐに治るはずだ』って言うの。
だから、ママは具合が悪くて寝てるだけだって他の人には説明したわ。パパはママを愛してたから、ママにもとに戻ってほしかったのよ。
その日に水道が止まって、水が出なくなったの。救助も来なくて、食べ物も無いから人のものを取ろうとする人がいたの。
花柄のシャツを着て金のネックレスをつけた怖いおじさんが、その人を止めたんだけどそのまま二人は言い合いになったわ。
その二人の怒鳴り合いを聞いていた頭の薄くなったおじさんが、その人を掴んで投げたの。窓の外に、ポイって。下からグシャッて音がしたわ。
それから、学校の中ではあまり他の家族とかグループに関わらないようになったの。ケンカにならないようにって。
食べ物も無くなって、なにより水が無くて喉が渇いて仕方なかったわ。トイレのタンクを開けて、中の水を汲んでみんなで飲んだりしたけど、それもすぐに無くなって、雨が降るのを期待して屋上にバケツを並べたりしてたの。
そんなときに外から歌が聞こえてきたの。英語の歌で、押し売りに気をつけろって歌ってたわ。校庭を見たら、変な人達は歌の聞こえてくる方に集まってて、校門からハシゴを持って走ってくる二人が見えたの。
その二人が持ってきたバッグのチャックが開いて、チョコレートの袋が見えたの。私もパパもお腹が空いてたから、悪いと思ったけどそのバッグをとってパパのところに走ったの。
でも他の人にすぐ追いつかれそうになったから、チョコとお水の入ったペットボトルだけとって、バッグを開けて中身をばらまいて音楽室に逃げたの。
かってにとっていってごめんなさい。チョコとお水のおかげで助かりました。ありがとうございます。
その次の日のお昼過ぎぐらいかなぁ。ママが音楽準備室から出てきちゃったの。身体を縛ってたガムテープを破って、扉を壊して。
私、ママを止めようとしたけど、今度は無理だった。顔を噛まれそうになって避けたら、肩に噛みつかれたの。
私、痛くて、頭にきて、何度もママを蹴って、パパもママを引っ張って、なんとかママを引き剥がしたわ。パパがママのお腹を拳銃で撃ったんだけど、ママは倒れなかった。
拳銃の音を聞いて他の人達が音楽室の扉を開けて、ママはその人達に襲いかかっていったの。
パパはしばらく茫然としてたわ。私とママを守れなくてごめんって言って拳銃を口にくわえたの。パンッて音がしてパパの頭から血が出て、パパは倒れた。私、それを見て気がとおくなった。
私、パパのこと大好き。でも、ママのこと大嫌い。ママはパパに愛されているのに、浮気ばかりするのよ?
パパもママのことを『恋多き人なんだよ』とか言って怒らないから、ママはパパ以外の男と遊んでばかり。私だったらパパを一番大事にするのに、浮気なんてしないのに。
だから私、ママみたいになりたかった。パパは私のこと好きって、愛してるって言うけど2番目なの。1番はママなの。私は、髪の色はパパと同じ金色、目もパパと同じ青色。でもママは髪の色は黒色、目の色は黒色。
だから私、あのピエロみたいにいつかママを食べて、目も髪も肌の色もママみたいになって、パパと結婚するの。浮気なんて絶対にしないわ。パパのこと大好きだもの。パパを愛してるの。
目が覚めたら、ママはいなくなってて、パパは、死んでいた。何度もパパ起きてって言って、肩を叩いたり、ゆすったりしたけど起きなかったの。
パパがもう二度と起きないのがわかって、私悲しくて悲しくて、涙が止まらなくて、私パパを食べたの。そうしたらパパが私の身体の中に入って、ずっとずっといっしょにいられるって、そんな気がして。
私、泣きながら、パパを食べたの。
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