第18話◇あれ?
音楽室の扉を開ける――いた。あの女の子がいた。音楽室の床に四つん這いになっている。やっと目的の、喰いたい女の子を見つけて、俺の視界の赤色は、薄くなって消えていった。――あれ?
女の子は男の上にまたがって、その男の腹に顔を埋めるようにしている。そこから、ぐすっ、くちゃぐちゅ、ぐすん、ぐちゃくちゅ、と音が聞こえてくる。おい。なんだその泣き言とくちゃくちゃと喰う音は?
振り乱した女の子の髪は、金髪なんだが、よく見ればところどころが斑の白髪になってて、小汚なく見える。見れば見るほど、さっきまでの狂暴な衝動が消えていく。おいこら、どういうことだ?
手から力が抜けてバットが落ちる、音楽室の床に落ちてゴスンと音がした。床はカーペットだからカランカラーンとは響かない。その音で女の子はこちらに気がついたか、顔を上げてこちらを見て目が合った。
外国人らしい青い目が俺を見上げる。涙が流れている。鼻の頭から顔の下半分が血で真っ赤に染まって、口はモグモグと動いている。久しぶりの感覚がジワリ、あぁ、同族だ。こいつは同族だ。しばらく見つめ合った後、女の子は思い出したように、また男の腹に顔を近づけてもぐもぐと食べ始めた。俺は力が抜けて、立っていられなくなって座りこんだ。
なんだかなーこれはー。頭の中を渦巻いていた衝動はすっかり消え去って、その反動なのか、頭がシャッキリしない。倒れている男は死んでいる。片手に拳銃があって、後頭部が血塗れなので拳銃自殺? 倒れた男の髪の毛は金色、なのでこの女の子の兄か父親かな?
音楽室の扉の向こうの廊下からは、まだ誰かとゾンビがハッスルしてるのか、カシャンバタンと音が聞こえてくるけど、もう動く気がおきない。勝手にしろよ。この音楽室には生きている人間がいないから、ゾンビも来てないんかな? あー、どっと疲れが出た。体を倒して横になる。女の子が泣きながら男の死体をまだ喰ってるので、鼻をすする音と咀嚼する音が聞こえてくる。
なんとゆーか、なんだろね、俺の人生、こんなんばっかり。いざ腹を決めて、よしやるかってなると、状況が変わって空振りする。
さっきもなんだかいろいろ込み上げてきて、女の子喰ってやるーってここまで来たら、同族になってて喰えないし。水と食糧持ってきたら渡す相手はこの有り様だし。バイト先が倒産して、仕事が見つからなくて、貯金も無くなって、生活保護も受けられなくて、飢え死にを覚悟したら、ゾンビが現れて生き残るし。
バイト先だって、頑張って仕事して社長に来月から社員になるか? って話が出たら、急に倒産するし、大学受験のときも、それを言ったら、高校の剣道部のときだって、うじゃ、うじゃ、うじゃ。あーーーーー。
もうどうでもいいわ。
横になったまま、女の子の喰いっぷりを眺める。うんうん、いっぱい食べて大きくなれよー。俺はさっきまでお腹すいてたはずだったんだけどねー。今はなんだか、胸がいっぱいでね。そうやって、どれぐらい時間が過ぎたかわからないけど、校舎の中は静かになったみたいだ。
あ、吉野君。
「いや、もう、ダメです。ぜんぜんダメですね。ゾンビの数が多くて。動きはそんなに早くは無いんですが力はあるし。教室の扉じゃもたないし、ここの教室は廊下と教室の境にはガラス窓だから、簡単に割って入ってくるし、多勢に無勢というのを身をもって体験しましたよ。数の暴力という奴ですかね。自分はゾンビに襲われないから助かってますけども……小山さん、どうしました? ぐったりしてますね」
「ちょっとねー、疲れて、休憩中」
「もしかして、ケガとかですか?」
心配されてしまうので、上体起こして座り直す。吉野君はタオルで腕を拭いている。ゾンビに引っ掻かれたのか皮が少しめくれていた。
「えーと、吉野君、生き残りは?」
「三階にはいませんね。ついさっき保健の先生を看取ってきました。『来てくれたの? ありがとう』と言ってましたよ。その保健の先生が、どうやら最後のひとりだったようです。あとはもう」
そっか、おっさんもヤクザも保健の先生も、か。
「ところで、小山さん、あれ」
「ん?」
「同族……ですよね?」
吉野君が指差す先には、元金髪の女の子。今はまだら白髪の女の子。食べるのに疲れたのか、男の死体の胸に頬をつけて寝ているようで。くうすうと寝息が聞こえる。
「同族だね、あ、それと新発見。同族に食欲は感じないみたい」
「それなんですけどね。初めて小山さんに会ったときにも、『あ、同族だ』って感じたんですよね。あの子に対しても、そう」
「俺もそうだよ、なんでって聞かれても解らんけど」
「人間は人間だなって解るし、ゾンビはゾンビだって解る。でも、人間とゾンビは、同族とは思えない……なんでしょうね? この感覚は」
「今のとこ、同族ってのはこの部屋の3人、いや、同族と感じるのがこの部屋の3人? その感覚を素直に信じたら、俺らは、人間族でもゾンビ族でもない別の族ってことになるのか?」
「さあ……、自分らって、なんなんでしょうね?」
「わっかんねーなー」
「他には、ゾンビとバトルして、少し気になったことがあるんですけど、大ケガしてるゾンビを見てないんですよねー」
「大ケガのせいで動けないんじゃないの?」
「映画やゲームだと、動く死体って演出するために、傷口グチャグチャのゾンビばっかりじゃないですか。でー」
吉野君がゾンビに引っ掻かれた腕を見せる。血は止まって、皮がめくれたところには、うっすらと新しい皮が張っている。
「こんな感じで、自分ら、ケガの治りが早いじゃないですか。もしかして、ゾンビもケガの治りが早いのかな、と」
「ケガが治ったら、死体じゃ無いよな。ゾンビって死んでないのか?」
「生きてる死んでるの線引きなんて解りませんよ。ただゲームのゾンビとは違うゾンビだと」
「ふーん、ゾンビはゾンビなんだけど、ホラーでありがちなゾンビとはゾンビが違うゾンビで、映画とかゲームのイメージに引っ張られると、騙される、か」
「でも会話はできないし、知能があるようにも見えない。生きてる人を見れば襲って食う。それでゾンビと呼んでますけど、いったいなんなんでしょうね、このゾンビって」
「わっかんねーなー」
科学者でも無い生物学にも詳しく無い、始めは襲ってくるから撃退してただけで、ゾンビが何者かなんて調べてる暇も無けりゃ余裕も無い。
ただ、さっきの食欲を思い出した。食欲の単語の範囲には収まらないほどの凶暴な衝動だけど、他に当てはまる言葉も無いので仮に食欲としとこう。あれに意識が飲まれると俺も吉野君も、ゾンビと同じようになる、ゾンビと同じ行動をする。生きてる人間を喰いたくなる。
解ったのはそこまでで、じゃあ俺らはなんで他のゾンビと違うのかは、解らんままだ。
「今日は、いろいろあって疲れた。もう寝る」
今はこれ以上解ることは無い。吉野君が言ってた、次のヒント待ちだ。
「そうですねー、あの子が起きたら聞きたいこともあるし、でもその前に」
俺と吉野君で音楽室のピアノを運んだ。重量はあるけどキャスターつきで動かしやすい。音楽室の扉を閉めてカギかけて、その前にピアノを置く。俺らはゾンビに襲われないけど、寝てるときにそばをうろちょろされたくないし。死んだ男の死体から、寝てる女の子を起こさないように静かに拳銃をとる。あれば便利かもしれないが、使ったこと無いし暴発も怖い。弾倉を外した状態で吉野君に持っててもらう。
「ゲームで使い慣れてるだろーし」
「そりゃゲームならゾンビ相手に何万発発砲したか覚えてないですけどね、本物の銃触るのこれが初めてですからね?」
今日はもう寝る。疲労感で身体が重たい。
「今日はホント、疲れました。1日でこんなに動いたのは何年ぶりですかねー」
吉野君もごろりと横になる。おやすみなさい。はい、おやすみー。
あとは、明日。明日考える。
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