第12話◇俺は心臓が弱かったらしい、知らんかった


 教室の扉を開けてヤクザが入って来た。角刈り、アロハシャツ、金のネックレス、うん、ヤクザだ。そのヤクザがひとつの箱を大事そうに両手で持って来た。


「すいやせん、これしか取り戻せませんでした」


 ヤクザが頭を下げながら、両手でうやうやしく差し出すのは、チョコレートクッキーの箱。


「はぁ、どうも」


 吉野君が、ヤクザにビビりながらチョコレートクッキーの箱を受け取った。直後、ハゲおっさんの腹が、ぐーーっと音を鳴らす。その場にいる全員がハゲおっさんに注目してしまう。おっさん一言。


「気にするな」


 …………ふーーーーー、


 これで、まぁだいたい理解した。この強面ヤクザが食料奪い返すのを躊躇うほどに、ここの人達は飢えている。クッキー1箱を何かのトロフィーかと勘違いするような、貴重品扱うような持ちかたしてる。そして、おそらくはリーダー格のおっさんが腹を空かせている。

 地震とかあれば、学校の体育館が避難所になったりするんだろうが、それはそこに物資を持って自衛隊かレスキューが来ること前提。誰も来ないまま外にも行けなければ餓死待ちの監獄になるわけだ。


 俺は吉野君からチョコレートクッキーの箱を取ってその場に座り、箱を開けて包みを破ってひとつ食べる。ボリボリかじりながら残りをおっさんの方に向けて置く。


「ほい、開けちまったからみんなで食べて」


 ハゲおっさんは遠慮をしている。おっさんが食べないのでヤクザも保健の先生も手を出さないみたいだ。


「どーせあれだろ? 自分の分の食いもんも人に分けて、今、腹空かせてんだろ?」


 この3人は、どーもそんな感じがする。他人の面倒見て割りに合わないことしてる、そんなポジションに嵌められてる。で無かったら、他の奴等といっしょに俺らのリュックを漁ってるハズ。奪い合いに参加して、食料の取り合いでケンカでもしてんじゃねえの。

 そんな状況でハンパに理性と正義感があると苦労するな、おい。


「いいから、座って食え」


 吉野君は座って紅茶を用意している。


「あ、水筒は無事だったんだ」

「ずっと首にかけてたんで」


 吉野君は暖かい紅茶を水筒に入れて、首にかけて持って来てる。お茶っ葉はアールグレイ。コップが無いから水筒の蓋に注いで、おっさんに渡してる。俺もカーゴパンツのポケットにしまっておいたカロリーメイト、フルーツ味とチーズ味をヤクザと保健の先生に一箱ずつ投げる。


「何かあっても、腹ペコじゃ動けんだろうに」

「スマン、ありがとう」


 と、言っておっさんが食べたのを見てから保健の先生も、ありがとう、いただきます、と食べ始めた。責任感があるのは無いよりいいことだけど、こういうときめんどうくさい。ヤクザは正座して俺らに深々と頭を下げる。


「ありがとうございやすっ!」


 おう、礼儀正しい。ある意味では凄くヤクザらしい。このヤクザ、顔は怖いがしっかりしてる? 3人がモソモソポリポリとクッキーとカロリーメイトを食べ終わるのを待ってから、いろいろ聞いてみるか。


 ここに避難してる人、30人。みんな三階で寝泊まりしていると。校舎の中、一階から二階に続く階段ふたつは 机と椅子でバリケード作って塞いである。なのでこの教室には机も椅子も無いので俺らは床に座ってるわけだ。

 電気はまだ使えるものの、水が無い。トイレも流せないので、大便は古新聞の上にして丸めて裏に棄てていると。そっちは臭いがひどそうだな。水も食料もほとんど無い。当然、救助も来てないし救助のヘリも見たことない。あーこれ、終わってる。詰んでる。


 おっさんは元消防署職員で、避難した人達の中にいたバカちんを処分したことで、現在ここのまとめ役になってるとか。なんでも人の食料を暴力で奪いとろうとして、ヤクザに止められた際に「俺には食う権利が」とか「基本的人権が」とか「訴えてやる」なんてたわごとをほざいたので、ヤクザが殴る前におっさんがそいつを窓の外にポイッと捨てて、ゾンビに喰わせたということだ。


「あのときの兄貴のしたことは、間違ってないです。あのバカはほっといたらワシら今頃、全滅してますわ」


 と、ヤクザ。どうもこのおっさんに心酔してるようで。今のところは、おっさんとヤクザの二人で、『いうこときかん悪い子は窓の外に捨ててゾンビのエサじゃ』という恐怖で規律を保っている状態。

 保健の先生が唯一の看護師資格者で、体調が悪くなったら保健の先生に診てもらうことに。


「でも、保健室は一階で薬も包帯も絆創膏も取りに行けないんです。なんとかしてって言われても………グスッ」


 いろいろ思い出したのか保健の先生泣き出しちゃったよ。でも、仕事できますって感じのキリッとした美人がポロッと見せる弱々しいとこってのは、なかなかいいもんだねー。ふむ、美人の保健の先生ねー


「この状況だと、いろいろあるだろ。盗みとか強姦とか」

「そういうバカは見つけしだい追放している。これまでに3人突き落とした」


 おっさんキッパリ言い切った。言外に『俺が一人でやった。この二人は関係無い』って字幕が見えてきそうだ、男前。ヤクザが兄貴って呼ぶのも分かるなー。おっさんとヤクザと保健の先生で食料を集めて再分配したり、雨が降ることを期待して屋上にバケツならべたり、そのバケツに椅子とか追加して、上空から見たらSOSに見えるように配置したりと、思い付く限りのことをしているとか。


 一応、こっちもここまでどうやって逃げてきたかとか、前もって吉野君と決めてた設定で話をする。

 俺ら二人ゾンビに噛まれてることをごまかしながら。せっかく上手くいってるのだし、この3人とバトルとかなったら嫌だし。

 吉野君が自分の母親がゾンビになって襲ってきたのを撃退して逃げてきた、そのくだりで保健の先生がまた泣き出して吉野君を抱き締めたり、ヤクザも涙を浮かべながら


「兄さんらも、たいへんだったんですね。それでそんなに白髪が……」


 そういうことに、しておこう。


「白髪になってもフサフサの方がうらやましいがな」


 ハゲおっさんが自分の頭を撫で上げながら言う。自分の身体を張って場を和ませようというジョークを飛ばす、ハゲおっさんの心意気と器の大きさに、思わずファンになってしまいそうだ。


「君らは、この部屋で好きにしてくれ。ただ、三階には昇らないで欲しい」

「どうしてですか?」


 吉野君の素朴な疑問。いや、解るけどね。水と食料持って来たって、すでにできあがってるコミュニティの中に余所者が簡単に入れるわけが無い。ここでヤクザが、


「ワシが説明します。三階には、今いる人らで縄張りができちまってんです」


 縄張り、ときたか。みんな野生が目覚めたか。


「食料の盗みがあってから、みんながみんなを警戒しちまって、家族、友人、恋人、とかでグループを作って、それぞれが決まった場所を縄張りとしてます。で、勝手に人のシマに入って来るヤツは盗人扱いされます。そんな不文律ができあがっちまってますので。床に線が引いてあるのでも無いので、そこに住んでない兄さんらには、解りにくいだろうと」


 なにも知らずに三階をウロウロすれば、それだけで喧嘩や騒動のタネになると。衣食満ち足りて礼節を知る。衣食足らずなれば野蛮となる。文化?文明?それおいしいの?


「上の人らも、かなり気持ちが弱ってギスギスしてます。申し訳ないですが、その辺り兄さんらに気遣っていただけるとありがたいんですが」

「解った。用も無く三階には昇らない。ここでおとなしくしとくよ」


 ここの人らに比べたら、俺ら余裕あるしな。朝はトースト食って、チャーハンも食って、ついさっきおにぎりも食ったところだ。俺はゾンビが来る前の平和なときよりモリモリくってるわ。やーん、ゾンビのおかげで幸せ太りしちゃう。


 保健の先生にトイレの注意事項を説明される。水が無いのにいつものようにしたら、悪臭の原因になるからね。流せないし。とはいってもこの建物内、お風呂に入れない30人分の体臭がうっすら漂ってんだが。もわっと。

 そして3人は三階に登って行った。二階に残る吉野君と話をする。


「30人じゃ、自分らが持ってきた量じゃ、ぜんぜん足りないですね」

「雀の涙だよなー、とくに水が」

「けど、案外上手くいくもんですね。小山さんが、うがー」片手で吉野君の口を押さえる。吉野君の耳に口を近づけて小声で、


「念のために、この建物の中でそっちの話はやめよう」


 ひとつ上の階に30人もいたら、新参者に興味持って聞き耳立てるヤツ絶対いるだろ。


「とりあえず休もう、疲れたから。ほら、俺って心臓弱いし」

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