第11話◇おー、みんな飢えてんのね

 

 ハシゴを登ったところでおっさんと目が合う。おでこが広い、というかハゲ。耳の上には毛があるので完全ハゲではない。険しい顔のハゲかけたおっさん。目の前のおっさんの顔をじっくり見る、よし大丈夫。俺がこのおっさんを食べたいとかは思わない。と、なればここで引き返すのは一旦無しで。


「助けてくれ!」


と、言ってみる。さぁどう反応する? おっさんは? 後ろから俺を見てる人達は?


「わかった!」


 お、迷わなかったなおっさん、男前。おっさんは俺の肩のリュックを掴んで俺を二階教室の中に投げる。なかなかの力持ち。俺は教室の中にぶっ倒れるが、バッグとリュックを肩から外して窓に向かう。ハシゴを登って来た吉野君の左肩を掴む、反対側の右肩はおっさんが掴んで、


「よいしょお!」


 吉野君を教室内にポイッと。まだ終わりじゃない、外の歌が聞こえなくなってる。窓の外を見ればゾンビ共が校舎に向かって歩いてくる。

 ノートパソコンとスピーカーは壊されたか? ゾンビがハシゴに近づいて来てる。ハシゴを掴んで持ち上げながら教室の中へ。よっこらせー、と。ハシゴを完全に教室の中に入れたところで座り込む。あーしんどい。吉野君に注目、荷物を床に置いて座り込んでる。見たところ誰かを襲う様子は無し。吉野君もぜぇぜぇ息を荒げながらも、横目で俺を見てる。では、教室の中は、と。

 さっきのハゲおっさんが俺達の前に立ってる。その後ろにこの学校の中に避難してきたけっこうな人数がいて、離れてこっちを見てる。右から左にざっと見て、途中で目が止まった。一人だけ、金髪の、女の子、が、いる。


『喰イタイ』


 ドクン、と心臓の音が、聞こえた。ヤバイ。


『喰イタイ、喰イタイ、喰イタイ』


 金髪の、青い目の、女の子から、目が離せない。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。


『喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ喰イタイ』


 これはただの食欲じゃない。もっと狂暴で本質的で根元的な―視界が薄く赤く染まる―指先が震える―目が離せない―息が詰まる―


「小山さん!大丈夫ですか!」


 吉野君が肩を抱いて押さえこんでくる。床に額をぶつけそうになったけど、おかげで今は床しか見えない。


「小山さん!しっかりしてください!小山さん!」


 吉野君は俺の右側から左手で俺にヘッドロックをかけるようにして、俺の右半身に覆い被さっている。視線を外せたからか視界の赤いフィルターは薄くなって消えていく。手のひらで吉野君の腕を叩く。タップタップ。まだ息は荒いけど、もう落ち着いた。


「おい!大丈夫なのか!」


 さっきのおっさんの声だな、疑われてる?どうする? なんて言う?


「あの、小山さんは心臓が弱いんです。ここに逃げてくるまで無理をしたから」


 お、吉野君ナイス、心の中で大喝采。そうか、俺、心臓が弱いんだな。両手で胸を抑えて、四つん這いになってた体を横倒しにして、まださっきの女の子がいたら見ないように固く目を閉じて、眉間にしわを寄せて、息を少し荒くして、さぁどうだ? これで心臓弱そうに見えるか? おっさんが、


「どうすればいい?薬はあるのか?」

「薬は無いんです。でも、しばらく安静にしていればおさまるはずです」

 吉野君グッジョブ。じゃ、俺はしばらく苦しそうにしてるんであとはまかせたわ。目を閉じてるからまわりの音だけ拾って様子を伺う。なにやら騒がしいが、バタバタと。


「あ、」


 吉野君、なにがあった?バタバタバタ。


「おい! お前ら!」


 おっさん? なにしてんのーバタバタバタバタ。複数の足音が遠ざかってゆく。目を開けたいが、まださっきの女の子がいたらと思うと開けられない。吉野君の機転でごまかせそうな雰囲気なので、任せとく。ほら、俺は心臓が弱いから。


「すまない、君らの持ちものなのに」

「いえ、ちょっとビックリしましたが」

「頑張ってここまで逃げてきたところなのに悪いことをした、すまない」

「……それだけ、ここは困窮してるってことなんですね、おじさんが謝ることは無いですよ」


 なにがあったの? そろそろ目を開けてもよろしい?


「小山さん、落ち着きましたか?」


 これは、動いてもオッケーの合図だよな? 手をついてゆっくり上体を起こす。弱ってるように見えるか? あぐらに直して、声小さめにして、


「……あぁ、もう大丈夫」


 目を開けて教室を見れば、吉野君、ハゲおっさん、女の人一人。俺を入れて四人しか居なかった。みんなどこかに行ってしまった。バタバタの芦尾とはそれか?


 どうやら、俺らの持って来た荷物に水と食料があるのに気付いて、それを持っていったヤツがいて、みんながそれを追いかけて、今ごろは奪い合いの真っ最中ということらしい。おっさんは俺らの監視に残っていると。じゃ、この女性は?


「この学校の保健医です。ここに避難してる人の中にお医者さんがいなくて、私が医者代わりになってしまいました。一応看護師の資格は持ってます」


 ご丁寧にどうも。二十代後半から三十代のできる女って感じの人。うん、この人にもさっきの食欲は湧いてこないな。


「一応確認のために検査させて欲しい、服を脱いでくれ」


 おっさん、いきなり脱げとか、男のストリップに興味ある人? まぁ、ゾンビに噛まれてないかのチェックってことだろ。それを考えてるあたり、しっかりしてる。このハゲおっさんがここのリーダーみたいね。さっさと終わらせるためにシャツを脱いで、ズボンを下ろす。


「下着も、だ」


 パンツもかー、学校の教室の中でチンコ丸出しで体じゅうじろじろ見られるのかー。なかなか体験できないシチュエーションだな。どこのイメクラだよ。

 しかし、迷ったところで時間のムダだ。さっさとパンツを脱ぐ。ちなみに俺ブリーフ、吉野君ボクサーパンツ。保健の先生が俺達の体をチェック。このおねーさん平気なふりをしてるけど、耳が赤くなってます。足の裏に太ももの内側も細かくチェック。腕を組んで見守るおっさんが、


「心臓が弱いと聞いたが、ずいぶんと引き締まったいい体つきをしているな?」


 おっとー? そこに突っ込んで来るのかー? さて、どうかわす? 俺は視線を心持ち下にさげて、


「心臓が弱くなったから、運動やめたんだよ」


 声のトーンも落として、こう答える。


「そうか……、スマンな」


 おっさんと保健の先生の視線が同情的なものになる。ごまかせたかなー?


「小山さんて、あれですよね、細マッチョってやつですよね」


 筋肉ついてんのは倉庫で荷物運んでたからで、細いのは貧乏で食費削ってたからなんだが。

 ゾンビに噛まれてないことを証明できたので、服を着る。ほんとは噛まれてんだけどね。俺の腕も吉野君の肩も、噛まれたのがウソみたいに綺麗に治ってしまってるからね。


 しかし、ひとつごまかすために次々と嘘つくのは難しいな。ま、面倒になったら逃げればいいか。

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