その十三 裁きの終わった日 ~名探偵の鎮魂歌~

 赤川次郎の作品に出てくる名探偵は大体ろくな目に合わない。まず設定からして女性恐怖症だったり重度のマザコンだったり警視庁きっての嫌われ者だったり自分をシャーロック・ホームズだと思い込んでいる患者だったりと色んな意味で多様だが、作中でもディスられるだけではなく大変な目に合う事が多い。


 だが、『裁きの終わった日』に登場する名探偵「たち」ほど酷い目に合う探偵役もそうはいないだろう。

 物語は普通のミステリの最後の場面のような所から始まる。ある一族の間で殺人事件が起こり、その事件を解決したという名探偵が一同を集めてさて、とやろうとした所で犯人を名乗る人物に殺害されてしまう。そして事件の関係者の女性と名探偵の息子が協力して事件の真相に迫ろうとするのだが…。

 今作は赤川次郎にしてはかなりの本格ミステリ作品であり、実際その筋のファンにもかなりアピールできる内容となっている。ただし発表時期のせいか殺人事件の真相を追う要素とある会社の中で起る陰謀劇が交錯しておりその部分は正直もったいなく感じる所ではある。

 ただ、今作の本当におかしな所はミステリ要素ではなく、物語に登場する探偵役を巡る数奇な運命である。名探偵が酷い目に遭う作品は数多くあるが、彼のような運命をたどったキャラクターはさすがに多くないのではないだろうか。

(この先今作とフィルポッツ『赤毛のレドメイン家』のネタバレがあります)




 今作の最大の読みどころでもあり問題点は、「探偵役が真犯人に完全に出し抜かれ利用されつくしてしまう」所である。展開として似ている作品として一番連想するのは『赤毛のレドメイン家』だろう。しかしあちらは最終的に真犯人は裁きを受けたが、今作では真犯人の完全勝利に終わる。しかも真犯人が勝利を収めた事をしっかり探偵役に認識させて物語は終わるのである。

 確かに名探偵が酷い目に遭う作品は多くある。しかし「ミステリの探偵」という立場をここまでコケにされた物語はさすがにそうは思いつかない。

 しかも今作は赤川次郎らしいユーモアがほとんどない分、より一層探偵の悲惨さが際立ってしまっているのである。正直に言って読後の爽快感は皆無なのでその手の物語が苦手な人は注意した方が良いレベルの後味の悪さである。以前紹介した『招かれた女』も相当後味が悪いがあれはラストシーンが極めて短い上にスパッと切り捨てるように終わった分まだ良かったようにすら思える。


 今作の「やり過ぎ」を反省し、赤川次郎は自分の生み出すシリーズ探偵たちへのいじりを物語ではなくキャラクター設定でやるようになったのではないかと思うほど、正統派名探偵への鎮魂歌に見える作品である。



1980年12月文藝春秋

1983年5月文春文庫

2010年6月文春文庫(新装版)

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