その十二 丹野有紀子サーガ(下) 殺人よ、さようなら ~罪と罰の不均衡~


 赤川次郎の作品において、因果応報はありえない。

 罪を犯したキャラクターがのうのうと逃れる話や、逆に何も悪事を働いていない人物が目も当てられないような悲惨な目にあう物語が沢山ある。しかもややこしい事に、因果応報ではない事がかえって深い傷になる話すらあるのだ。


 『殺人よ、さようなら』は前作『殺人よ、こんにちは』の完全な続編である。ただ前作と同じキャラクターが活躍するというだけではなく、前の作品で起った事が大きな影響を及ぼしていくという話である。『殺人よ、こんにちは』のネタバレをせずに物語を紹介することは不可能だと言っていい(文庫版の解説で山前譲氏もそういっている)。

 なので以下の文章には『殺人よ、こんにちは』のネタバレが含まれているので注意して欲しい。


 『殺人よ、こんにちは』から三年後、丹野有紀子は再びあの海辺の別荘へと母親とおもにやってきた。三年後の事件は母との間に暗い影を落としていたが、有紀子はそのことに後悔していないと思っていた。しかし自分そっくりの少女が殺されるという事件が起こり、再び有紀子の周囲が騒がしくなる。それは有紀子が自分の罪と向き合う事でもあった。

 前作は、登場人物の多くが犯罪者であるというおかしな舞台設定を、極めて冷徹な視点で描写する主人公有紀子が印象的だったが、今作はそういった設定を踏襲しながらも少し違う雰囲気を漂わせている。それは、主人公自身の変化である。

 今回は十六歳になった有紀子だが、にもかかわらず以前の冷めきった性格に変化が見られる。

(この先今作のネタバレがあります)




 今作のおかしな所は、主人公がかつて自分の犯した殺人と向き合う事で、年相応の空気を身に着けて行くという実に倒錯した展開である。

 それは有紀子が自分のやった事を反省するというような真っ当な筋とは少し違うのだが、自分の周囲で三年前の影響を受けた事件が続発していくのを見て、初めて彼女は人を殺すという事の本当の意味と向き合うのである。

 さらに有紀子がごく普通の少年に惹かれる事で、より彼女は自分が人殺しであるという事の意味を突きつけられる。そして最後にはその少年を喪い、有紀子は「自分の罪を償うことができなかった」という罰を下されるのである。

 赤川次郎にしては珍しくサイコパスじみた殺人鬼が登場したり、いかにも黒幕的な悪役が事件の糸を引いていたりなどの展開はあるが、正直に言ってそれらの要素は上手く言っているとは言い難い。

 しかし、「殺人を犯した大人びた少女が自分の罪と向き合う事で少女に戻っていく」というのは、色んな意味で赤川次郎にしか書けないだろう。



書誌データ

1992年2月角川書店

1995年3月角川文庫

2007年8月角川文庫(赤川次郎ベストセレクション8)

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