その五 おやすみ、テディ・ベア ~小熊が見つめる諸行無常~

 赤川次郎は冷徹な作家である。

 「キャラクターが物語を牽引する」とか「気が付いたら登場人物たちが物語を紡いでいた」というような言葉は彼には無縁だ。例え明確に結末を決めずに書き始めても、ちゃんと自分のコントロールの元に作中人物を置く作家である。


 『おやすみ、テディ・ベア』は連作集のような形をとった長編である。

 物語は大学生の野木由子が友人の中原を訪ねる所から始まる。中原のアパートで爆発事故が起こり、瀕死の重傷を負ったところに駆けつける。実は中原は爆弾作りをしていたのだった。息絶える寸前中原は由子に自分の作った爆弾をテディ・ベアのぬいぐるみに隠した事を告白する。そのテディ・ベアをすれ違った少女が持っていた事を思い出した由子は取り返そうとするが、それは長い探索の日々の始まりだった。

 今作は一応テディ・ベアを取り戻そうとする由子が主役という体にはなっているが、本当の主人公は都合5回変わるテディ・ベアの持ち主たちである。

 望まぬ結婚生活を強いられる主婦、気の弱いサラリーマン、半端者のチンピラ、病弱な少女、過去の栄光に縋る屈折した老人…といった人々の間で起る人間悲劇がテディ・ベアを通じて描かれるのが今作のメインストーリーなのだが、そのおかしな所は登場人物への距離感だ。

 赤川次郎が登場人物に容赦がないというのは、作品を読めばすぐに気が付く特徴だが、もちろんそれは赤川作品だけの特徴ではないし、昭和のミステリーにも無情感を売りにしたものは数多くある。ただ赤川次郎のそれは実に淡々としていて、それでいて容赦がない。

 あるアイテムを手にした人々が不幸になっていく、というのはこの手の物語のギミックとしては定番だが、今作に関してはただ不幸にさせるだけではなく、登場人物達一人一人の描写も容赦がない。

 三番目に登場するチンピラに対して同棲している彼女が「真面目に働けるような男ではないから盗聴テープを売るような仕事をしている事は悪くない」と思ったり、過去に縋る老人の事を「自分の都合の悪い記憶は、古い日記帳を破るように捨ててしまっていた」と書くなど、そこには世間でよく言われるようなユーモア・ミステリの名手である赤川次郎の面影は全く無い。人間に対する諦観、というより「どうしようもなさ」がこれでもかとばかりに読み手に迫ってくる。

 それでいて彼ら自身に非がないわけでなく、むしろ不幸になってしまう原因は、それぞれ事情はあるものの、全部自分自身なのだからよりやりきれない感じが物語全体に募る。

 こういった読者に「自業自得じゃないか」と思わせる演出は意図的なもので、その直前の章でそれなりにハッピーエンドに終わった話に対して、次の主人公があんなもの感動的でもなんでもないと吐き捨てるような場面をわざわざ挿入し、また別の章の主人公が他の章の主人公にかなりひどい仕打ちをする部分などもあり、全体として人間のしょうもなさ、哀しさが横溢している。

 爆弾付きテディ・ベアを取り返すというサスペンスと、赤川作品特有の軽妙さのおかげでするする読める作品なのだが、決して読後感の良いというわけではなく、タイトルと装丁のかわいらしさに騙されずに覚悟を決めて読む必要がある一作だ。




書誌データ

1982年11月カッパノベルズ

1985年12月角川文庫上下巻

1986年12月光文社文庫上下巻

2011年11月角川文庫(赤川次郎ベストセレクション18・19)

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