その四 いつか誰かが殺される ~ようこそ殺人パーティへ~

 赤川次郎はひねくれ者である。

 これだけ大衆に広く読まれている作家なのに、根本にはどこかひねくれた感性が横たわっている。


 『いつか誰かが殺される』は設定としてはまともなミステリのような出だしで始まる。大財閥永山家の屋敷に当主志津の誕生日を祝うため一族が集まる。風変わりな性格の志津は毎年趣向を凝らしたゲームを行い楽しむのだが、そこに末娘千津子を逆恨みする凶悪犯や千津子の夫の愛人、さらには偶然関わった謎の組織の一員など様々な人々が集まりやがて大騒動へと発展していく。

 今作は赤川次郎の作品の中でも決して突出した出来というわけではない。登場人物が誰も彼もおかしいという特徴はあるものの、それでいえば最初に紹介した『死体は眠らない』の方がずっとクレイジーな人物がそろっている。ではなにが一番おかしいかといえば、これを書いたタイミングだ。

 『いつか誰かが殺される』の初出は1981年で、赤川次郎のキャリアの中では初期にあたる。この時期は映画『セーラー服と機関銃』が公開直前であり、赤川次郎がまさに流行作家としてこれから大きく世に広まっていこうとする時期だった。にもかかわらず『セーラー服と機関銃』の文庫版発売の一か月後に出たのが今作なのである。

 このあたりのいきさつは、同じような紹介の仕方で申し訳ないが、ベストセレクション版解説の香山ニ三郎の文章が詳しい。赤川次郎が「禁書」扱いされた時期があるというのは今となっては信じがたいが、作品が学校図書館から敬遠された時期があったというのは紛れもない事実だ。

 問題は、まるでそうなる事をあらかじめ見越したかのように(今作が書かれたのは1981年の1月で、映画『セーラー服と機関銃』公開の1年前にあたる)、「殺されて当然のはずの人間がさっぱり殺され」ないという世間の親たちが眉をひそめるような作品を出してきた所である。

 当初筆者は、新本格ミステリ作家たちがスプラッター作品へのバッシングに対して、『殺人鬼』『殺戮に至る病』を発表した時のような、世間へのカウンターだったのではないだろうかと考えた。しかし赤川次郎作品をそれなりに読んだ今となっては、単に読者の期待を裏切りたい・変わった作品をものにしたいという希求の元生み出されたのだろうと確信している。

 また今作では永山家の企画するゲームに巻き込まれるダメな探偵が出てくるのだが、彼は作中相当ひどい目に遭う一方、準主人公ともいえる程目立っている。それがアクセントとなって物語を面白くしており、長編版の『探偵物語』はここから生まれたのだろう。

 今回はラストには触れないでおくが、後の赤川次郎だったらもう少し永山家の一族をひどい目に合わせていただろうと考えるとむしろ優しい結末なのかもしれない。


書誌データ

1981年12月カドカワノベルズ

1984年3月角川文庫

2009年8月角川文庫(赤川次郎ベストセレクション11)

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