第3話 お茶の温度

「……ひとつ聞くが我が家はもしかしてお湯も沸かせないほどに困窮しているのか」

「皮肉系で来ましたか、それはそれでナイス切り口ですが」

 まったく会話が成立せず、小さな主はやはりこのメイド長は頭がおかしいのだと気づいた。

 午後のお茶時だ、とティーカップを渡されたところである。

 それでも、主となったからには、と我慢して根気よく会話の成立を試みる。

「いや、皮肉とかではなくてだな……私の言い方が悪かった。紅茶が冷たい、と言っているのだ」

「私が悪かったなどと非を認めてはいけません。気の利かないわたくしめに紅茶をかけるのです。バシャッと! ほら!」

「本当にどういう性癖なんだお前のそれは」

「どういう、って、坊ちゃんのような金髪赤目の方に尊大にふるまっていただくことこそがメイドとしての光栄! あるいはそのようなふるまいすら許せぬ環境としたならばそれはメイドの恥! というものです!!」

 紅茶にげんなりとした表情の赤い瞳が映り込む。

「まさか、私にそういった真似をさせるためにわざとこの冷たい紅茶を入れたのか……わざわざ」

「そうしていただきたかったものですから」

「そんなことをすれば紅茶がもったいないし、絨毯もシミになるし、お前も濡れるではないか!」

「そのようなことはメイド当人が気にすることであって、坊ちゃんが気にすることではありません」

 非常に生真面目な顔をして、メイド長はこんこんと説く。

「坊ちゃん、坊ちゃんは主人なのです、ましてやお若ければお若いほど、周りを圧倒する気迫を持たねばなりません。そのためには不遜になることを恐れてはなりません。不遜になることを恐れれば、他人の顔色をうかがって生きねばなりません。そのような生き方は金髪赤目の方にはふさわしくありません」

「だが気迫があっても、気に入らなかったからと紅茶を女性に投げつけるなど気品が無いと思うが」

「淑女が相手ではそうでしょう。例えば将来、坊ちゃんが奥様をお持ちになった際には、奥様相手にそういうことをしてはなりません。ですがご自分の家族以外――使用人などはあくまでも雇っている者なのですから、そのように気を使っていただく必要はございません」

「いや、気を使ってるとかではなくてだな、人間として――」

「良いですか! 紅茶がこぼれたらもったいない? 主たる者がそんなみみっちいことを言ってどうするのです! もちろん口に入るものも領地の民から得たもの、それはそれで大切にしなければいけませんが、それを台無しにするような温度で出すメイドが悪いのです! そしてそのメイドを教育するためであれば、ぬるい紅茶をかけて温度を覚えさせる! そして屋敷の絨毯にシミをつけない技術を習得させる! これらをたった一挙に今なしとげる方法が、坊ちゃんがお気にめさなければ紅茶を私にかけるということ! さあどうぞ! ご遠慮なく!」

「お前が紅茶をかけてほしいだけなのではないか?!」

 自分はしごくまっとうな正論と常識でもって反論しているはずが、メイド長の勢いに、小さな主のため息がこぼれる。メイド長はその様子に、小首をかしげる。

「まあ紅茶をかけていただきたいというか……でも父君はそうなさっておいででしたよ」

「父さま……ああ、まあ、知らないわけではないが」

 なんだか渇いてきた口に、どうしようもなく、冷たい紅茶をほんの一口飲む。冷たく入れてはおいしくない銘柄がわざわざ選ばれていた。渋い。

 しかめっ面で小さな主はぼやく。

「私や母さまの前でそうなさったことは無かった……というか父さまは何かとお仕事でお忙しかったからな。執務室付きになるメイドは、若い者から年配の者まで、どんなメイドでも1週間もてば良い、と言われていた時期があったのはなんとなく覚えているよ」

「まあ、そうだったのですか? わたくしめなど、父君にはじめて紅茶をかけられた時には、嬉しくなったものですけどね」

「……うん?」

「確かにその時はじめて父君に出した紅茶は、その茶葉を楽しむのには適さない温度だったのです。その時期一番に、取れたての葉を領地の民が持ってきてくれていたというのに、私はそれを台無しにしてしまったのです。そのことに気づかせていただきましたし、何より、気に入らなかったのなら、私を担当から外すなり、解雇するなりすればよいものを、そうやってわざわざ私に紅茶をかけるという一手間をかけることで、次はちゃんとできるように、名誉挽回、汚名返上する機会をくださったのです」

「……それは父さまが、そういう意図であると、お前に言ったのか?」

「めっそうもない! でもあの偉大な父君がわざわざわたくしめを構ってくださるなど、そのような意図があって当然です! まさしく王道でした!」

「王道……。ちなみに、その言い分だと次も紅茶を持って上がったように聞こえたが、その時は父さまはどのように振る舞われたのだ」

「ええ、次は完璧に。入れさせていただきました。小さな虫1匹が入ってくるよりも無関心な様子で、書類を眺めながら紅茶をお飲みになり……そしてふとそれを持ってきたのがわたくしめだと気づいたのです。父君はそれをわたくしめが入れたかどうか、一言お尋ねになった後、満足そうに、おもしろいやつ、とおっしゃいました。そしてわたくしめを引き続き、お茶の係にすると。わたくしめは感動で声が出ませんでした、あの時のことを思い出すだけで……今も声が出なくなりそう、で」

「……おい。メイド長?」

 声どころか呼吸が止まっている。

 小さな主は慌てて、手に持ったままだった冷たい紅茶をメイド長へとかけてしまった。

 それはそれで、またメイド長を不必要に元気にさせすぎる行いだった。

 さすがですわ、坊ちゃん! と紅茶に濡れて喜ぶメイド長に、無言で、疲労を癒すための温かい紅茶の入れ直しが求められたのだった。

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