〈銀鼠〉1

「行くぞジャック。忘れ物はないか?」

「はい、大丈夫です。」

「クラリス!何してる、置いてくぞ!」

「ええ〜ちょっと待ってよ〜。」

「ダメだ!早く来い!」


今日はティアメイルの練習を少し休んで、三人でクロードさんの実家に行く日だ。まだ『雀の涙』の中にいるのにもうクロードさんが疲れた顔をしているのはなぜだろう。とにかく迷惑をかけないようにしなきゃ。


「行ってらっしゃい、楽しんできてくださいね。」

「お母様方によろしく言っておいて下さい。」

「ああわかった。」


ステラさんとイヴさんに送り出され、僕らは歩き始めた。


「お二人ってどういう関係なんですか?すっごく仲良いですよね。」

「ボクとクロードはねえ、幼なじみなんだよね。そしてその上従姉妹っていう。」

「ここまでずっと一緒なんだ、腐れ縁ってやつだな。」

「親戚だったんですか・・・。」

「ボクのお父さんがクロードのお母さんの弟なの。」

「へえ。」

「クロードん行くの久しぶりだなぁ。ヴァネッサ伯母おばさん元気かなぁ?」

「母上にはできれば会いたくない・・・。」

「ええーなんで?」

「二人なら良かったのに、お前がジャックを誘うからだぞ!あ〜もう!いいかジャック、私の家でのことは絶対に、誰にも、話すなよ!」

「は、はい。」

「ジャック君、クロードは別に君が嫌いなわけじゃないから安心してね。」

「はあ。」


クロードさんの家はハクスリー領にあるらしい。ターナー領のすぐ隣の領で、金属を使った工芸品が有名なところだ。アーヴィング領の武器は確かハクスリー領で作られたものだったはず。


「クロードの家は凄いんだよ。迷わないように注意してね。」

「私もたまに迷うからな。」

「深夜に迷うと存在しないはずの部屋の前に出て二度と帰ってこれないって噂もあーる。」

「・・・大丈夫ですかね。」

「目印をつけて歩けば大丈夫だ。」

「そんな迷宮でやるようなことしないとダメですか?!」


絶対に二人から離れないようにしよう。


 『雀の涙』を出てから峠を越えるまではずっと一本道だ。そのうち分かれ道に出て、右はハクスリー、左がターナーに行く道になっている。僕達はそこを右に曲がり、ハクスリー寮へ向かった。門番を尻目に、二人はずかずかと門に向かって進んでいく。


「と、止まれ!住民証か許可証を提示しなければここには入れないぞ!」


門番が焦ったように言う。


「・・・持ってくるの忘れたな。」


クロードさんがぽつりと呟く。え、入れないじゃないか!


「つい癖でねー。君新入り?」

「はあ?何言ってるんだ?提示できないのならば入れることは出来ん!」

「どうするんですかクロードさん、イグナスさんに持ってきてもらいます?」

「いや、大丈夫だ。私たちは一応顔が利く。おいお前、ヨーゼフはいないのか?いたら呼んでこい。」

「な、なぜ・・・」

「いいから早くしてよ。」


門番はいぶかしげな顔で走って行き、四十代くらいの男性を連れて戻ってきた。


「おお、ヨーゼフ!久しぶりだな、元気だったか?」

「クロード様!これはこれは、十年ぶりですかな?立派になられて。」


ヨーゼフと呼ばれた男性とクロードさんは固く握手した。というか今、様って言ったよな?一般階級の人じゃないのか・・・。まあ迷うくらいの家を持ってる人だからな。最初の若い門番が困惑した顔で僕を見つめてきたから、僕は肩をすくめて見せた。僕に聞かれても困るのだ。


「おい、三人を通せ!失礼のないようにな!」

「はっ!」


ハクスリー領の領主はマクシミリアン・ハクスリー伯爵。姉さんのアーヴィング領とクラリスさんのターナー領に続いて、どんな風景が待っているのか・・・!そう期待していた僕は、門をくぐってからの予想外の光景に、ただ呆然とした。


「クロードさん、来るとこ間違えた訳じゃないですよね?」

「何を言っている、ハクスリーと言えば地下都市だ。知らなかったのか?」


門を抜けた先にあったのはだだっ広い平野で、所々に看板が立っているだけの土地だった。クロードさんに地下都市だと言われてよく見ると、看板の近くに何やら階段のような物が、見えるような。


「私の家はあの真ん中。一番大きい看板のところだ。」


僕は二人について立派な看板のそばにある、幅の広い石段を降りていった。大きな灰色の石造りの家だ。クロードさんが僕の背丈の三倍はありそうな大きな扉を、殴るようにノックした。小さく音がして、扉の丁度大人の目の高さあたりがパカッと開いた。黒い両目がこちらを見ている。目は二、三秒こちらを見つめたあと引っ込んでいき、それからたっぷり五分かけてゆっくりと扉が開いた。


「お帰りなさいませクロード様。どうぞお入りください。」

「客が二人いると母上に伝えてくれ。できるだけ広間に近い部屋を頼む。」

「かしこまりました。」


深い緑色の絨毯の上を歩き、大広間に入った。壁には交差した斧と、三本のつるぎがかけられている。斧も剣も本物なのだそうだ。ちょっと赤黒く見えるけど、気のせいだろう。気のせいだと思いたい。


「クローディア!お帰りなさい、クラリスちゃんもいらっしゃい。」


高い声がして綺麗なドレスを着た女性が現れた。身長はクロードさんより低いが、頑張って彼女の頭をなでようとしている。


「母上、やめてください!今日は私とクラリスだけではないんですから!」

「あら、可愛い男の子連れて。どうしたの、その子。」

「ジャックです。クロードさんには、いつもお世話になってます。」


どうやらこの女性はクロードさんのお母さんのようだ。彼女はヴァネッサ・ハクスリーだと自己紹介してくれた。


「え、クロードさんって・・・?」

「クロードは、ハクスリー伯爵の娘だよ。」


僕は決めた。『雀の涙』では驚くことしかないから、もう絶対に驚かないぞ!


「クローディアったらジャック君にも違う名前教えてるのね!全く、こんなにいい名前のどこが気に入らないっていうのかしら。」

「ですから母上、もう何度もお願いしているように・・・。」

「嫌よ。自分の娘に自分でつけた名前を呼んで何が悪いの。」

「ですが・・・。」


クロードさんは諦めたように肩を落とした。僕はクラリスさんに小声で聞いた。


「クローディアってクロードさんのことですか?」

「うん、クローディアの方が本名。でも本名呼ぶの伯母さんだけなんだ。」

「クラリス!その顔止めろ!」


やっぱりこの人たちといて驚かないのは無理だ。前言撤回しよう。でもクロードさんの本名って結構可愛いんだな。


「ジャック・・・。」

「うわあ!な、なんでもありません!」


危ない危ない、もうちょっとで殴られるとこだった!


「アンナ、三人を部屋に案内しなさい。クローディア、部屋分けはどうするの?」

「三人バラバラでお願いします。出来るだけ近い部屋を。」

「聞いたわね、お願い。」


僕たちはアンナさんに案内されて、大広間を出てすぐ右の三部屋に到着した。僕が一番広間に近い部屋で、僕の隣がクラリスさん、その隣がクロードさんだ。中は『雀の涙』の部屋より狭いけれど、なかなか快適そうだった。僕は荷物を置き上着を掛けると、部屋を出て広間に向かった。広間の戸を開けて入ろうとすると、


「ジャック君ストップ!」


クラリスさんが叫んだ。驚いて止まる。一歩退いてよく見ると、そこには白い糸がちょうど首のあたりにピンと張ってあった。


「ごめんごめん、ちょっとクロードと練習したんだよね。」

「はあ。」


クラリスさんの霊力は糸。名前を〈象牙ぞうげ〉といい、鉄よりも硬い糸を指先から繰り出すことができる能力だ。あのまま進んでいたら首が落ちていたかもしれない。そう考えるとゾッとする。クラリスさんが糸を引っ込めてくれて、僕はようやく中に入ることができた。中には、豪華な服を着た見たことのない男性がいた。


「ジャック君だね。ようこそ我がハクスリーへ。領主のマクシミリアン・ハクスリーだ。よろしく。」

「ジャック・アーヴィングです。よろしくお願いします。」


僕は伯爵と握手した。


「クロードが世話になっているね。これからも仲良くしてやってくれ。」

「こちらこそ、クロードさんには色々お世話になってます。」

「ははっ、しっかりした少年だ。気に入ったよ。好きなところに座りなさい。自分の家だと思ってくつろいでくれたまえ。」

「ありがとうございます。」


伯爵は自分の家だと思えと言ってくれたけれど、僕からすれば『雀の涙』の方がずっとくつろげる場所だ。『雀の涙』のソファだと思ってソファに深く座ると、あまりにふかふかで起き上がれなくなってしまった。


「クロードさん、クラリスさん、助けてください・・・。」

「あっはははは!何やってんのさジャック君!大丈夫?」

「あんまり深く座るとこのソファは沈むからな。浅く腰掛けるのがコツだ。」


二人に手を引っ張って助けてもらうと、僕は今度は用心深く、浅く座り直した。


「ありがとうございます。」

「ここには三日ほど滞在しようと思っている。その間も練習は欠かさずやるからな。」

「頑張ってねジャック君。」

「何を言っているクラリス。お前もだ。」

「えー今は冬なんだしいいじゃん!」

「だめだ!一番霊力の弱まる夏でも大丈夫なように今のうちに練習しなくては。」

「ちぇ。ここにいる間のんびりできると思ったのに。」

「お前はいつものんびりしてるだろうが。」


普段と変わらない二人のやりとりにどこかで安心しながら、僕は机の上に出されていたクッキーをかじった。


「最近は寒さも和らいできたから、周辺の森であるじが出始めるだろうな。」

「主?」

「ああ、一年で一番強い魔物が主と呼ばれる。毎年冬眠をしないでいろんなものを食べ、力をつけた魔物が必ず一体現れる。奴らはとても凶暴だから、すぐに倒しておかないと我が領に被害が出るのだ。」

「それは、大変ですね。」

「うむ。ここ数年、主の討伐にはかなり手を焼いていて、五年前は領に侵入してきたものもいた。今年はクロードとクラリス君が帰ってきてくれたし、ジャック君、君もいるからな。被害を出さずにすむだろう。」


伯爵が期待に満ちた目で僕を見る。僕はまだ未熟です!と言いたいのをグッと我慢して、笑顔で頷いた。


「父上、主というのは私も聞いたことがないのですが。」

「え?」

「ああ、クロードが王都の学校に行く前はあまり主の討伐に手を焼かなかったからな。クロードやクラリス君に情報が伝わる前に討伐も終わっていたのだろう。だがクロード、冬になったら兵士達が総動員で森に出かけたことは知っているだろう?」

「そんなこともありましたね。」

「伯父さん、もしかしてボクたちがその強力な魔物を・・・。」

「倒してくれるだろう?」

「うげっ!」


クラリスさんがあからさまに嫌な顔になる。その横でクロードさんは満面の笑みで伯爵に答えた。


「もちろんです父上。今はクラリスの力が最も強いので、こいつをこき使いましょう。」

「酷いよクロード・・・。」


いつも陽気なクラリスさんが、見たことがないくらい情けない顔になった。僕としては、僕達の滞在中に主が出なければ良いなあ、というのが本心だけど、まあ仕方ない。嫌なら冬に来なければ良かったのだ。


 夕食を終え、部屋に戻ると、〈若草わかくさ〉の宝玉がらんらんと光っていた。誰かから連絡が来たらしい。これだけ光っているということは結構前に来たのではないかと思って、僕は慌てて宝玉に触った。


『ジャック、もうクロードの家に着いたかしら。ハクスリー領はどんなところ?クロードの家は?早めに返答をちょうだいね。』


エレンからの〈若草〉だ。いつ来たんだろう・・・。来たのが数時間前だった場合、エレンはイライラしているに違いない。急いで返答を送らなきゃ!僕は宝玉を口に近づけた。


「エレン?遅くなってごめん。ハクスリー領は高い塀に囲まれた中にたくさんの穴が掘ってあって、そこに家があるっていう地下都市だよ。入り口の隣には看板があって、誰の家か、とかが書いてあるんだ。クロードさんの家は大きな石造りの家で、僕の身長よりずっと大きい扉があって、長い時間かけて開いていたよ。とっても広い家みたいで、クロードさんもたまに迷うことがあるんだって。それと・・・」


僕は自分が見たハクスリーのイメージと、クロードさんの家の様子を詳しく宝玉に吹き込んだ。〈若草〉を送り出して寝る準備をしていると、エレンから返事が来た。


『もう!ホントに遅いわよ!大変な目に遭ってるんじゃないかって心配したんだから!それにしてもハクスリーはすごいところなのね。私も行ってみたくなったわ。明日も何かあったら教えてね。じゃ、おやすみ。』


僕は宝玉に「おやすみ。」と吹き込んで送り出した。そういえばエレンと初めて会ったときからずいぶん砕けた口調になっている気がする。『雀の涙』に慣れたんだろうな。僕は明日の訓練を楽しみにしながら目を閉じた。

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