第12話

「あの……陛下? どうしたんですか」

「何か問題でも?」

 俺とヴァイハルトさんの問いにも答えないで、陛下は顎のあたりに指を掛けて考えこむ顔になっていた。

「座標の設定に、何か不具合でもありましょうか。拝見しても?」

 佐竹が言う。佐竹もこっちの世界で古代の文書をさんざん調べて、古代文字を解読した経験がある。あの時は《白き鎧》のほうだったけど、どちらも操作は同じようなものらしいし、佐竹にも十分扱えるんだろう。


「いや……。うん、これは──」

 陛下の困った顔を見ているうちに、俺はだんだん体の芯が冷えていくのを覚えた。

「え? あの、まさか……」

 まさか、帰れなくなっちゃったとか?

 いや、そんな。

 前に俺が交通事故に遭った時にも、一度白き鎧で治療してもらったはずだ。あの時は俺も意識をなくしてたけど、結局ちゃんとあっちに戻れていたじゃないか。

 いや、もしかしたら《鎧》にも回数制限みたいなのがあるとか?

 あんまりあっちとこっちを行き来しすぎたら、座標が使えなくなっちゃうとか。


(そんな……!)


 体がかたかた震えてきて、思わず佐竹にしがみついた時だった。

 陛下がけろりといつもの顔に戻った。いや、破顔した。

 ぶはははは、と哄笑する。


「いや、すまん。ちょっとした冗談だ」

「は?」

「えっ?」

「……まことですか」

 俺とヴァイハルトさんはぽかんとし、佐竹の声が一気に地の底まで冷え込んだ。

「悪かった。まあ、ちょっとした出来心だ」

「って。こっ、こらあああ!」

 なに言ってんだまったく、この人はあ!

 なにが出来心だよ。俺、マジで肝が冷えたんだからな!

「いや、サーティーク。いくらなんでもその冗談は笑えんぞ」


 さすがのヴァイハルトさんもちょっと頭を抱えてる。

 そうだよ。ヴァイハルトさんの言う通りだぞ!

 ヴァイハルトさんが指の間から、ちらりと陛下の顔を見た。

 

「……まさかとは思うが。お前、実はサタケ殿が《鎧》から戻って来なければ……などと、よからぬことを考えていたなんてことはあるまいな」


 陛下はそれには答えなかった。

 なんだか不思議な目の色をして腕を組み、俺を見て薄く笑っただけだ。


(……え?)


 いや、待ってよ。冗談じゃないよ。

 なんだいきなりその真顔。怖いんだけど!

 なんかこの人、実は俺が思っている以上に俺に執着してんのかも。

 いやまあ、無理もないとは思ってるよ? だって基本的に、この人は遺伝子レベルまで佐竹と同じ、つまり「同じ存在」だって言ってもいいんだもんな。あの《鎧》でさえその違いを検知できないってことは、つまり「同じ人」って言ってもいいぐらいなんだから。

 要するにこの二人は、一卵性の双子ぐらいな感覚ってことだ。


 そしてその佐竹と俺は今、もう「そういう関係」になっている。

 だからこの人が俺のことを……くれてたとしても、多分なんの不思議もない。双子は異性の好みまで似るっていうし。

 もしもここが佐竹のいない世界で、俺が最初から佐竹を知らなくて、先にこの人に出会っていたら。

 もしかしたら俺は本当に、この人と生きることを選んでいたかもしれないんだ。


(……いいや。ダメだよ。それを考えちゃ)


 俺は激しく首を振ってその考えを追い払った。

 なに考えてるんだ、俺。

 俺たちの世界とこの人たちとの世界は、そもそもまったく別のもんだ。たまたまこっちに《鎧》ってものがあって、お互いの世界がつながってしまったけれど、本当は一生、会うこともなければ話すこともなかったはずの人たちなんだぞ。

 だから俺が陛下と……なんて、そんなことは起こるはずのないことなんだ。あってはいけないことなんだ。


 ましてや俺は、今はもう……佐竹のものだし。

 そこまで考えたら、急に耳のあたりがかあっと熱くなって、俺は下を向いてしまった。


「ほらほら。ユウヤが困っているではないか。その辺りにしておいてやれ」


 優しい声で助け船を出してくれたのはヴァイハルトさんだった。

 ちらっと目を上げたら、佐竹と陛下が俺の頭の上のあたりでめちゃめちゃ怖い視線をぶち当たらせているところだった。

 佐竹なんていつのまにか袋から《氷壺》を出して、つかに手を掛けてるし!

 対する陛下も腰に差している愛刀|焔《ほむら》の柄に手を掛けて、笑っていながらも間違いなく殺気を帯びた目で佐竹をまっすぐに睨んでる。いや、笑っているからこそ余計に怖い。

 俺は慌てて、ふたりの間に割って入った。


「ちょ……! や、やめろよ。なにしてんだよ、佐竹! 陛下もやめて。なに決闘みたいになってんですか。頭冷やしてくださいよ。ちょっとまってくださいよっ!」


 ほんと、お願い。やめてくんない? 

 あんたら、マジで怖いから。

 その殺気、半端ないから!

 それにしてもなんで俺、こんなところで「俺のために争わないで~!」とかやんなきゃなんないことになってんの。


「両名とも、おふざけはその辺りにしろ。時間切れだ。そろそろ《門》が開くぞ」


 最後にものすごく面倒くさそうにヴァイハルトさんがそう言ったのを合図に、二人はしれっと愛刀の柄から手を離した。


「はあ? ちょっと、ふたりとも──ぐぎゃ!?」


 頓狂な声をあげて食って掛かろうとしたところを、ぐいと襟首を掴まれて、俺は《門》に放り込まれた。いや、本当にそうされたわけじゃないけど、ほとんどそんな感じだった。やったのはもちろん佐竹だ。

 そうしておいて、佐竹は律儀にきりりと二人に頭を下げた。


「それでは、お邪魔いたしました。此度こたびはまことにありがとうございました」

「ああ。さっさと戻れ。もう来るなよ」


 陛下は犬でも追い払うみたいに手をひらひらさせて、相変わらずにかにか笑っている。


「わ、わわっ……。へ、陛下! ヴァイハルトさん! あ、ありがとうございましたああ~!」


 俺の最後の叫びが届いたのかどうなのか。

 それを確かめるすべはもうなかった。

 俺と佐竹は真っ黒な《門》の中の通路を、ただひたすらに歩いて行った。

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