第13話


 《門》から出たら、設定されていた通り、そこは佐竹の部屋だった。

 すぐに掛け時計を見ると、陛下から「三分やる」と言われてから、五分も過ぎていなかった。

 俺はひとまず胸をなでおろした。

 あの人、あれこれ趣味の悪いことは仕掛けてくるけど、本当に大事なところは外さずにいてくれるよな。有難い。これは素直に感謝しなくちゃいけないよな。まあ、「大事なところだけは」とも言えるけど。


 背後で《門》がしゅるしゅると縮まって消えていくのを確認してから、佐竹も部屋の中を見回した。

 行くときにはすっかり失われていた佐竹の生気が、すっかりその体に戻ってみなぎっているのがわかる。

 と、その視線がある一点で止まった。佐竹の勉強机の上に置いてある盆のところだ。上には俺が作った粥の入った、IH対応の小さな土鍋。ちょっと近づいて触ってみたら、まだ少し温かかった。

 俺が盆を取り上げるのを、佐竹はいつになく申し訳なさそうな目で見ていた。


「すまん。あまり食べられなかった」

「え? いいよ、しょうがないし。あれだけ調子が悪かったんだから。今回はマジで危なかったみたいだし」

 と、佐竹が片手を差し出した。

「貸せ。今からでも温めて、いただく」

「いや……。無理すんなよ」

「無理などしていない」


 そう言って、佐竹は《氷壺》をいつもの刀台に戻し、俺の手から盆をひょいと取り上げた。そのままさっさとキッチンの方へ歩いていく。

 俺も慌てて後を追った。


「待ってよ、佐竹。俺がするっ……!」


 渡してもらえないかと思ったけど、今回の佐竹は珍しく素直だった。いや、そんなこと口に出して言ったら絶対に殴られるけど。

 ともかくすぐに土鍋を渡してくれたので、俺はお椀に中身をいれかえてラップをし、電子レンジで温め直した。これをやると、ちょっと味は落ちちゃうんだけどね。今回はもうしょうがない。

 佐竹は緑茶を淹れなおし、俺の分も準備して湯飲みをテーブルに置いてくれた。

「いいから。佐竹は座ってて」

「ああ。すまない」


 お粥が温まって、あらためて佐竹の前に出す。俺もいつものように、佐竹と向かい合わせで席についた。

 佐竹がいつものビシッとした姿で手を合わせる。


「いただきます」

「あ、うん……」

 蓮華れんげでひとさじすくって口に持って行こうとする佐竹を見ていた俺は、ふと思いついて片手をあげた。

「ちょ、ちょっと待って!」

「なんだ」

 佐竹が手を止める。

「えっと……。えっとさ」


 実は俺、佐竹が発熱したときにちょっと……ちょっとだけ、想像してた。ほんのちょっとだけど、期待もしてた。

 だって佐竹のほうがぶっ倒れて、俺が看病する機会なんて、これからも絶対にないと思ってたから。俺が佐竹のことを看病できるなんて、なんか信じられない気分だった。まあ、口が裂けても「嬉しい」なんて言えないけど。

 もっと甲斐かいがいしく氷枕なんか交換して、熱を計って。寝間着を着替えさせたり、汗を拭いたり。もっともっとお世話ができたらいいなと思っていたのに。今さらだけど、実は自分がそれを結構楽しみにしちゃってたんだと思い知る。それなのに。


(あっさり《鎧》で治るんだもんなあ)


 つまんない。

 うん、俺、つまんないぞ。

 このまま佐竹がお粥を食べて「はいさようなら」ってつまんないぞっ!

 俺は湯飲みにちょっと目を落としてから、改めて佐竹を睨んだ。


「俺……めちゃくちゃ心配した」

「ああ。申し訳なかった」

「謝らなくっていいよ。だってあれ、かなりヤバかったんだろ? みんな教えてくれなかったけど。陛下もヴァイハルトさんもゾディアスさんもさ。敢えて俺に黙ってたんだ。俺がパニックにならないようにって。笑ってたけど、実は結構マジだった。そうだろ?」

「…………」


 佐竹が沈黙して蓮華をおろす。ということは、それが事実だってことだろう。

 俺はあらためて、背筋が寒くなってくるのを覚えた。


(佐竹──)


 もしも今、あの《鎧》の人たちと連絡が取りあえていなかったら。

 ナイトさんがすぐに気づいて、陛下に連絡を取ってくれていなかったら。

 今ここに、こいつは生きて座っていなかったのかも知れないんだ。

 そう思ったら、体がかたかた震えだすのを止められなくなった。それと同時に、佐竹の姿が熱くぼやけた。


「ほんとに……ほんとうに、心配、したっ……!」


 目元をめちゃくちゃに擦って顔を覆ったら、佐竹が立ち上がる音がした。

 そのまま、硬い腹筋のあたりにぐいと抱きしめられる感じがした。


「本当に済まない。心配を掛けた」

「う、ううー……」


 みっともない。いい年した男が、人前ですぐに泣くなんて。それは分かってるけど、声を我慢するのは難しかった。


「泣かないでくれ。……頼む」


 佐竹の声はとても静かで、少しも俺を非難するものじゃなかった。むしろ本当に済まなそうな声に聞こえた。

 子供にするみたいにして、佐竹の手が俺の頭をぽすぽす叩く。

 そうされたら、余計に涙は止まらなくなった。


「だったら……。だったらさ」


 俺は佐竹の寝間着の腹のあたりを涙で濡らしながら言った。


「ちょっとだけ、お願い……きいてくれる?」


 佐竹はやっぱり俺の頭を撫でながら、しばらく何も言わなかった。だけど、それからたっぷり十五秒ぐらいはあって、やっとため息交じりにこう言った。


「仕方ないな。言ってみろ」

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