第6話 遭遇
保月神社から東にある一つの大きな山。名を華緑山という。緑色で覆われたその山の麓には、一つの小さな村があった。いつもは村人が畑仕事をしていたり、子どもたちが賑やかに遊んでいるが、今日は違っていた。
「ようこそお越しくださいました、流星様」
村の真ん中にある村長の家で、流星は話を聞いていた。流星がここに呼ばれた理由。それは、この村が「守り神」として崇めている熊神についてのことだった。
「これを…」
「…これが、熊神に受けた傷ですか?」
「はい…」
村長にしては若い青年は、奥の部屋で寝ている老人の足を見せた。
包帯が巻かれていたが、村長によって外されたそれを見て、後ろに控えていた環と如月は眉間に皺が寄った。
包帯の下は大きな獣の爪のようなもので傷つけられており、血は止まっているようだがガッシリと掴まれたのだろう痕があった。
流星がその傷に触れると分かるように、成人している流星よりも遥かに大きな獣の手だ。
「昨日、山でいつものように木の実を取りに親父が行ったのですが…なかなか戻らず村人数人で探しに行けば親父の悲鳴が聞こえました…急いで駆け付けたら大きく黒い熊神が、親父の足を掴んで引きずっていました…!」
「これはその時できた傷ということですね」
「…はい」
足に傷を負ったのは村長である青年の父親らしい。話を聞くと、最近年老いてしまった前の村長は、息子である青年にさっさと跡を継がせたようだ。
その矢先に起こったこの事件。
熊神に傷を受けたものの、村人が持っていた弓によって助けることができたそうだ。
矢が当たった熊神は早々に逃げたらしい。
「それが昨日の朝の出来事でした…しかし昨夜、五匹の熊神が山を降りてきて村を襲いました…幸い怪我人は出たものの死者は出ませんでしたが…」
「どうやって追い返したんだ?熊神は普通の熊よりも大きく奴等の長は土を操ることもできる」
「どうやら長は来ていなかったようなのです。村人達で弓や火縄銃を使ってなんとか…」
環の質問に答えた村長は、眠っている父親の包帯を直した。環はその返事に舌打ちをして出口に向かった。
「あんたら、熊神の恨みを買ったな」
「え?」
環はそう言い放つと、家を出てどこかに行ってしまった。
環の言葉の意味が分からない村長は不安げにどういうことかと流星に尋ねた。
「これは…どちらが先に仕掛けたか、によりますね」
「は?そんなの…熊神に決まっているでしょう!!いつも祠には供え物をしてやってるし、あいつらの縄張りとやらには一切足を踏み入れていない!!なのに何故こうなる!!」
青年は眠っている父親のことも忘れてそう叫んだ。その上からものを言う態度に、如月は違和感を覚えた。
流星は眠る彼の父親をチラリと見ると、もう一度村長の方に目線を向ける。
そこで己の発言にハッとなり、慌てて流星に謝罪した。
「…それで、私にどうして欲しいのですか?」
「…あいつらから守っていただきたいのです」
「それはこの村を、ですか?」
「もちろんです!!」
冷静なままの流星はしばらく村長を見つめると、「分かりました」と了承した。
村長は礼を述べ、頭を下げた。
「それでは、少し調べたいことがあるのですが…よろしいですか?」
「あ、はい…それはもちろんです…」
「ありがとうございます。村長は、ここで待っていてください」
「わ、分かりました…」
流星は如月に合図し、村長の家を出た。
如月は緊張が解けたのか、大きなため息を吐いて、どこかへ向かう流星の横を歩く。
「流星様…今回の件、何かおかしくないでしょうか?」
「どの辺りがです?」
「熊神はこの村の守り神で、元々穏やかなため滅多に人は襲いません。なのに、山にただ入っただけの前の村長が襲われたり、村が襲われたり…何かがおかしいです」
如月は顎に指を当ててう~んと唸る。色々彼女なりに推理しているようだが、数少ない情報では限界がある。如月は頭が痛くなり、結局そこで終わってしまう。
しかし流星はそんな如月を見て、「成長しましたね」と微笑んで頭を撫でた。
「る、るるる流星様!?もう子供ではありませんのでそのようなっ…!」
頭を撫でられた如月は恥ずかしさのあまり顔を赤らめて抗議する。
「えー?私にとって如月はいつまでも子供ですよ?」
「うぐっ…こうなったら、絶対に流星様より大人になってみせます!!精神年齢的に!!」
「あー、それはすぐに追い抜かれるかも…」
流星は自分が少々子供っぽい部分があるのは自覚しているため苦笑しか出ない。
「それで流星様。これからどうしますか?やはり情報収集でしょうか?」
「え?」
「はい?」
如月がこれからのことを尋ねると、流星はキョトンとした顔で首を傾げた。その反応に如月もポカンとして首を同じように傾げる。
「え?いや、あの、お仕事ですよ?それに、さっき調べたいことがあるって言っていたではありませんか!」
「あー…大丈夫ですよ。とりあえず調べものは環が戻ってからということで。…そんなに心配しなくても良いのに」
「心配します」
この村に来てまだ少し時間が経っておらず、また情報も少ないというのに余裕な態度な流星に如月は呆れ顔だ。本当に大丈夫なのかと心配になるが、流星は何やら山の方に視線を向けており、如月の表情に気づかない。
「……」
「流星様?何か山にありますか?」
こうやってたまにどこかを見つめたまま動かない流星は珍しくないが、流星の真面目な眼差しに、如月は山に何かあるのかと疑問を抱く。しかし、流星は「いいえ。特に」と首を左右に振る。
そして、前方から歩いてくる環を見つけると二人はそちらに駆けつけて、環が掴んだという情報を聞いた。
「…けっ、相変わらず勘の良い奴だな」
その頃、流星が見つめていた山の中で、木に登り村の様子を伺っていた鈴流が自分のいる場所がばれていたことに舌打ちする。
遠くから様子を見ていただけだが、流星に気づかれてしまったことに己の未熟さを思い知らされる。
「鈴流殿…」
「ん?お前、俺が戻るまでは村に近づくなと…」
「申し訳ありません…」
鈴流が登っている木の下から一匹の熊神が呼び掛ける。鈴流をこの山まで連れてきた熊神だ。鈴流は「はぁ」と息を吐くと、ピョンと木から飛び降りて熊神の隣に着地する。
「あいつらの怪我はどうだ?」
「薬がよく効いております。ありがとうございます」
「そうか。なら良かった」
鈴流がこの山に来てすぐに行ったのは、怪我をした熊神達の手当てだった。話を聞けば、熊神のまだ幼い子どもが人間に連れ去られ、探しに来たところを村人に矢で射られたという。それを聞い鈴流は人間に激しい怒りを抱いたが、まずは手当てをしなければと心を鎮めた。
幸い、熊神達の怪我は大したことはなく、持っていた薬を塗って安静を言い渡した。
そして次は熊神の子ども探しで、村の様子を伺っていたのだ。
「村にはあの流星が来てる。めんどくせぇことにな」
「保月神社の巫女が…」
「むやみにあの村には入れねぇ…これじゃあ熊神の子どもがどこに行ったのか分かんねぇな」
流星は妖霊達にとって厄介な存在だ。保月神社の巫女というだけで近づくのは危険だと言われるほどに。
「おそらくあの村にはもういないと思われます。昨日この村の子どもが連れていったとの情報が先程入りました」
「なんだと?…なら、俺はその人間のガキを探しに行く。それまで絶対に山を降りるな。人間にも近づくなよ」
「……分かりました」
鈴流が熊神にそれだけを言うと、その場から風のように駆け出して山を離れた。
どこを探すかは決めていないが、鈴流は熊神の匂いを頼りに子どもを探す。
何故人間の子どもが熊神の子どもを連れて行ったのか、鈴流には理由が全く分からない。
最初は村の人間が何らかの理由で熊神の子どもを連れ去ったと思っていたがどうやら違うらしい。
村の子どもと熊神の子どもとの間に何かしらの関係があるということか。それとも、ただの人間の子どもの悪戯なのか。何はともあれ、まずはその村の子どもを探さなければならない。昨日村から離れたのなら、子どもの足ならばそう遠くへは行っていないはずだ。
「とりあえず、人間のガキを見つけねぇとな」
『お前に何ができる』
走っている最中、頭の中に響いたのは自分を馬鹿にしたように笑う声だった。
『お前はまだ未熟な赤ん坊だ。何とかできるなどと思うな』
いつでも厳しく、笑顔など見せてくれない“彼”はいつも鈴流にそう言ってきた。その度に鈴流は苛立ち、反抗的な態度をとって“彼”を避けてきた。何日も口をきかないなんてことはもう既に当たり前のこと。そうすると、いつも麗雅や風璃は「めんどくさい」と決まって言う。
「俺だって、力になれる…!」
走るスピードを速め、鈴流は少しでも短い時間で神熊の子どもを親の元に帰してやろうと決意する。
「さっさとそのガキ見つけて、神熊の子を……っ!?」
どれくらい走ったか分からないが、熊神の山「華緑山」からはかなり離れただろう頃、前方に気配を察知して立ち止まる。
一つではなく、三つの気配だ。一つは人間、もう一つは妖霊。そしてもう一つは…。
「何だ…?人間か…?」
もう一つはその三つの気配の中で一番霊力を感じる。妖霊の方は弱く、小さい霊力しか感じられず、人間の方は全く霊力を感じられない。
だが最後の一つは、退治屋かと思うほどの強い霊力だ。
ただの人間か、それとも退治屋か。しかし退治屋ならば何故ただの人間と妖霊が共にいるのか。
「少し様子を見てみるか…」
鈴流は真上の木の枝に跳ぶと、その三つの気配に慎重に近づく。もし相手が退治屋ならば無闇に近づくのは危険だ。
「…にしてもこの気配…似てんな」
似てる、と言ったのは気配の形だ。まるで流星や夜楽のようなこの世界にはいない“現人”の気配と同じだ。
流星は村にいたためここにはいないはずだ。夜楽だとすれば、共にいる妖霊は口煩い紅い妖霊ということになるが、麗雅とは比べ物にならないほどに、今感じている霊力は弱すぎる。そして仮に夜楽だとして、側に人間がいるはずがない。
となれば、他に鈴流には心当たりがない。
「一体何者だ…」
鈴流は徐々に距離を詰めると、目の前の木の上で一旦止まろうと枝の上に足を掛けた。
するとその時だった。
「あーーーーーーーっ!!!」
「!?」
枝の上で止まった途端、足下から突然大声が上がる。驚いて下を見ると、こちらの接近に気づいたらしい照彰が大口を開けて指を指していた。
鈴流は心底嫌そうに眉間に皺を寄せ、照彰のことを見下ろしている。
「何だよその嫌そうな顔。あといつまで見下ろしてんだ」
「…そうか、お前がいたのか……」
「何だそれ」
照彰は、この世界に来て一番最初に会った鈴流を見つけ思わず叫んでしまった。
鈴流は照彰のことをすっかり忘れていたため、気配の予想が出来なかった。
「何でここにいる」
「何でって…この熊神の子ども……きのこを親の所に帰してやろうと思ってさ」
「なに?」
照彰は春太の腕の中のきのこを見せた。きのこは神社で腹一杯になったため今は眠っている。それを見た鈴流は確認のために枝から飛び降りる。
「なんか、木から飛び降りる奴が多いな」
「あ?なんのことだ?」
「いや別に」
昨晩の夜楽のことを思い出した照彰は、はぁとため息を吐いた。
どういうことか訳が分からない鈴流は首を傾げる。
「ね、ねぇ…この人、妖霊じゃないの…?」
「ん?ああ、心配しなくて良いと思うぜ」
「お前、なに勝手なことを言ってる」
「だってお前は俺のこと助けてくれただろ?森の中で」
鈴流を怖がる春太は、きのこをぎゅっと抱き締めて照彰の背に隠れる。しかし照彰は鈴流のことを全く警戒していない。
それも、一度森の中で助けられたからという理由だけで。
「別に助けた訳ではない。人間の血は妖霊の毒だからと、あの時も言っただろうが」
「んーー、でも助けてくれたことに変わりはないだろ?」
「……お前、そんなので大丈夫かよ」
「さぁ?ところで何でお前はここにいるんだ?」
「あ?ああ、そうだ」
鈴流は春太が抱えているきのこをじっと見つめる。穏やかな寝息を立て、大きな怪我をしているわけでもない。そのことに鈴流は安心して、顔を綻ばせた。しかし、だからといってこれで解決ではない。
「お前ら、少し話を聞かせてもらうぞ」
「別に構わねぇけど…あ、その前に…」
「なんだ?」
「俺は桃瀬照彰だ。こいつは春太で、こっちはきのこ。お前は?」
「きのこ…?」
照彰はいつまでも鈴流に「お前」と呼ばれるのが嫌だったのか、勝手に名乗り春太達の名前も明かす。熊神の方は本名ではなく春太が付けたもので、「きのこ」という名前に鈴流は何か言いたげな目で照彰を見つめる。
「あ、言っとくが俺が付けたんじゃないからな。名前を教えねぇと、俺がお前に名前を付けるぞ!」
「はぁ?何だよそれ。教えねぇよ」
「じゃあお前のことは……餅って呼ぶ!白いから!」
「やめろ」
「じゃあ教えろよー」
「……」
頭にパッと浮かんだだけの呼び名では呼ばれたくない鈴流は、ジロリと照彰を睨む。しかし照彰はその眼差しを向けられてもニヤニヤと笑っている。
「……鈴流」
「…ふんふん。鈴流か」
名前を聞けて満足したのか、照彰はニヤニヤ顔を穏やかな表情へと変え、鈴流にすっと右手を差し出した。
「よろしくな、鈴流」
「よろしくはしない、てりやき」
「あ、お前それわざとか?照彰だよ、て・る・あ・き!」
「聞き間違えた」
「嘘つけ!」
右手をパシッとはたき、鈴流はニヤッと口角を上げると照彰をわざと違う名前で呼ぶ。照彰は訂正し、もう一度確認と言って名前を呼ばせるが、それでも何度も違う名前で呼ぶ鈴流に、諦めたのか肩を落として「もう良いや…」とつぶやいた。
「きのこ、てりやき、餅…じゃあ僕は字数が違うけど春巻きかな?」
そのやり取りを静かに見ていた春太は、楽しそうだなと感じた。そして春太は自分も食べ物の呼び名が欲しいという謎の気分になり、真剣に自分で考えていた。
その様子を、遠く離れた場所から観察している者がいるということには、誰も気付いてはいなかった。
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