第5話 少年と熊神
朝の日差しがポカポカと、寝起きの照彰の体を暖める。懐かしいような気がする照彰は、如月に案内された和室で朝食を食べていた。
ここが神流という異世界であっても、食べ物は照彰がいた世界と全く変わらない。
味噌汁に漬け物に野菜と白ご飯。定番の和食といった朝食は照彰の口にかなり合った。
すぐに朝食を平らげ、温かい緑茶をすすり一息つく。
「おはようございます照彰殿」
「あ、おはようございます…流星…さん」
如月をお供にして部屋に入ってきた流星は、昨日と変わらずきちんと身支度を整えている。
対して照彰は、服は今着ている高校のジャージしかないので昨日と服装は変わらない。
髪も寝癖でボサボサなので、照彰は少しでもしっかりしようと姿勢は正す。
「あ、楽なようにどうぞ。もう少しでお菓子も来ますから」
「なんかごめんなさい」
「いえいえ」
流星が柔らかく微笑みながら照彰の前の座布団に正座する。その様子は貴族の姫のようで無駄がなく、照彰は本当に彼女が自分と同じ世界から来たのか疑いたくなる。流星と違い、正座に慣れていない照彰は早々に体勢を崩してあぐらをかいた。
「では、昨日の話の続きをしましょうか」
「はぁ…」
こんなに朝早くから話さなくても、と照彰は思ったが、早く済めば早く帰れるということでもあるので、照彰は早朝に如月に叩き起こされても文句は言えなかった。
「続き、と言っても昨晩に彼から聞いたのですよね?現人は全員が強い霊力を持つと」
「ああ、まぁ…だから俺に力を貸して欲しいってことだよな?」
「ええ…」
照彰は、自分の前に置かれた桃色の桜餅を頬張る。
昨晩、夜楽の話を聞いた照彰は自分では自覚がないが、どうやら強い霊力を持っているらしいことを知って流星の考えはなんとなく分かった。
妖霊と戦うにはやはり力がいるだろう。
照彰は人間より妖霊の方が特殊な力を持ち、強いと思っている。妖霊に対抗するには流星や如月のような巫女や、環のように戦える人間でなければ敵わない。
自分が役に立つかは分からないが、流星は同じ現人である照彰に協力を求めている。
「俺…正直言って、どうしたら良いのか分からない…人間だから流星さんに協力するのが普通なんだろうけど、俺は妖霊に勝って得たいものも無いし、あいつらに恨みがあるわけでもないから、争うっていうこと自体が嫌なんだよな」
「……では、やはり帰るということでしょうか?」
流星が膝の上の拳をぎゅっと握った。側に控えている如月も、悲しそうな表情になる。
しかし、静かな雰囲気の中、照彰は流星の予想していなかった返事を返す。
「帰らない。もう少しここにいて、自分のできることを探す。なんかほっとけねぇし」
「はい?」
「だって別に今じゃないと帰れないわけじゃないだろ?それに…よく分かんないけど帰るわけにはいかない、って感じがしてさ。だからそんなに急がずに決めたい。良いか?」
帰ると言われると思っていた流星と如月は、驚きを隠せなかった。昨日もあんなに帰りたいと言っていた照彰が、まさかまだここに残ると言うとは思わなかった。
まだ正確に照彰が協力すると言ってはいないけれど、それでも構わない。
照彰がここにいることで、何かが変わると、流星は感じた。
「分かりました。貴方の答えを待ちましょう」
「…うん」
安心したかのように微笑む流星と照彰。如月もホッと安堵の表情を浮かべた。
「流星様!!」
すると突然、廊下をバタバタと走りながら流星を呼ぶ声が響いた。声の調子から、ただ事ではない雰囲気だ。
一礼して部屋に入ってきたのは、この神社の巫女であろう女性だ。
「流星様、失礼します」
巫女は流星の右隣に行き、周りには聞こえない声で何かを話した。
「…そうですか。分かりました」
流星が目を細めると、立ち上がってその巫女と如月に準備をするようにと指示をした。
二人が「はい」と返事をして部屋を出ていくと、流星は照彰にニコリと微笑んだ。
なぜ笑ったのか分からず照彰が首を傾げる。
「申し訳ありません。仕事が入ってしまいました」
「仕事…?」
「はい。なので、照彰殿はこの神社で待っていてください。困ったことがあれば、近くの巫女に言っていただければ大丈夫ですので。心配はいりませんよ、すぐ帰ってきますから」
「はぁ…」
照彰は自分に手伝えることは無いかと思ったが、流星は心配はいらないと言った。照彰はその言葉を信じて待つことにする。彼女の様子からして、あまり大したことはないのかもしれない。
流星が部屋から去ると、何やら一瞬外が騒がしくなったがすぐに治まる。
障子の閉じられた部屋の中、照彰はどうしようかと考える。
神社の中でどう過ごせば良いのか。持っていた携帯は電池が切れているのか動かない。照彰は何か暇を潰せるものは無いかと部屋中を物色する。勝手なことをして泥棒と言われても仕方がないような気はするが、暇だし、と照彰は部屋に置かれているたんすを適当に開ける。
「お、本がある」
たんすの中には、綺麗に整頓された本が数冊あった。少し古びているが、それがただの本ではないことを照彰は感じ取った。
すぐ手の届く場所にある緑色の表紙の本を手に取り、照彰はペラペラと捲る。
その内容に、照彰は心を踊らせた。
「すげぇ…!これ、この世界の妖霊の本だ!」
照彰は感動した。その本には、この神流に存在する妖霊の絵と説明が書かれていた。現世で言う妖怪辞典だ。かなり古い物らしく、ところどころ傷んでいるが読めないわけではない。照彰は興奮で震える指で一枚一枚丁寧にページをめくる。
「へぇ~俺の知らない妖怪ばっか。似てるのはいるけど全部知らないなぁ…これはおもしれぇ!」
照彰は今までにも図書館や本屋で妖怪に関する本を読み漁ってきたが、自身の知らないたくさんの妖霊という存在にどんどん惹かれる。ページをめくる度に、自分の知識が増えていくことに嬉しさや楽しさも増し、あっという間に読み終える。
次の本を手に取り、またページをめくる。先程読んだ本には山に住んでいる妖霊のことが書かれていたが、次の青い表紙の本は海や川に住む妖霊のことが書かれている。やはりそれにも、照彰が知っている者は一つもいなかった。海や川と言えば人魚と河童が先ず頭に浮かぶが、そのどちらも記されていない。
なんて楽しいんだろう──…、照彰はそう思った。
「ねぇ!助けて!誰か助けてっ!!」
「っ!!」
しかし、照彰が次のページをめくろうとしたその時、外から助けを求める声が聞こえた。少年の声で、疲れているのだろうか、はぁはぁという荒い息づかいも聞こえる。
「どうした?」
「あっ…!」
「──!おい、大丈夫か!?」
手に持っていた本をたんすの中に雑に仕舞い、障子を勢いよく開け外に出ると、地面に座り込んで腕に何かを抱える少年の姿が目に入る。
少年は遠い距離を走ったのか、草履を履いた足は土で汚れ、決して立派とは言えない着物は破けている。少年の顔も転んだのか少し鼻血が垂れていた。歳は十歳頃に見える。
照彰はその姿に驚き、直ぐ様少年の側に駆け寄る。
「あのっ、助けて!!ここが妖霊を退治する場所だって分かってるけど…!それでもっ、友達を助けて!!」
「…友達?」
少年が目に涙を浮かべながら、震える両手で腕の中の茶色い毛玉を抱き締めた。よく見てみると、その毛玉には緑色の苔のようなものが生えている。一体何なのか予想はつかないが、モゾモゾと動いていることから生物であることは分かる。苔が生えていることから、普通の犬や猫ではないだろう。
照彰はその得体の知れない生物に、恐る恐る手を触れた。
「ゥーッ!」
「っ!?」
すると、その生き物は少年の体に埋めていた顔を上げ、鋭く尖った牙を出して威嚇してきた。噛まれそうになった照彰は手を反射的に引っ込める。
「だめっ!大丈夫だから大人しくしてっ!!」
「ゥーッ!」
手を引っ込めても、照彰が害を及ぼすと思っているのかその生き物は未だに威嚇し続ける。
「なっ、なななな何だよソレッ!!?」
尻餅をついた照彰は震える指をその生き物に向けて尋ねる。
少年が強く抱き締めながら撫でていると、その生き物は落ち着いたのか牙を仕舞う。
「ふー…こいつは熊神の子どもなんだ」
「熊神?熊神……熊神って、確か華緑山に住む妖霊…だったよな…?」
少年が腕の中の生き物を熊神と言った。照彰は、先程読んだ本に書いてあったため、それがどういう妖霊か大体は分かった。
熊神は、華緑山という花と緑が美しい山に住む熊の妖霊。近くの村では守り神として崇められているとも書いていた。
「でもなんでこんな所に?」
華緑山がどこにあるのか照彰は知らないが、近くに山は無いため、少々離れた場所にあると推測する。近くでなければ、なぜ熊神の子どもがいるのだろうか。少年が連れてきたのだと思うが、何やら事情がありそうだった。
「悪い奴らに連れてこられたんだ!僕はそれを偶然見つけて…こいつと僕は友達だから…っ!だから助けて…それから…」
「あー分かった分かった!とりあえず中に入れ!なっ?」
「う、うん…」
潤んだ少年の瞳からポタポタと涙が零れる。照彰はこういう時どうするべきなのか分からず、とにかく少年を安心させなければと思い、神社に上がらせる。
誰か人を呼んでこようとも思ったが、少年が腕に抱えているのは妖霊だ。もしかしたら攻撃されるかもしれない。それは避ける為に照彰は誰にも知らせず、部屋の中に少年と熊神の子どもを隠した。
「えーと…まずは鼻血を拭かねぇとな。ほら」
「う、うん…ありがとう」
少年に部屋にあった白い布を渡す。それを受け取った少年は、腕に抱えていた熊神の子どもをそっと畳の上に降ろした。降ろされた熊神は、まるで少年を心配しているかのように側から離れずに「キュゥゥン」と小さく鳴いている。
照彰はその熊神の様子から、少年のことが好きなんだと感じた。それと同時に、人間と妖霊が仲良くすることは可能なんだと確信し安心した。
「あの…僕は春太っていいます。こいつは“きのこ”!」
「き、きのこ?」
「うん!」
「……」
少年が鼻血を綺麗に拭き取ると、礼儀正しく正座して自己紹介をした。そして春太は誇らしげに熊神の子どもの名前も教えてくれた。誇らしげな春太に対して、熊神の方は何か納得のいっていないという表情をしている。おそらく会話ができずに名前が分からなかったため、春太が勝手につけた名前だろう。
「いやそれでもきのこはないだろ…食いもんだぞ」
「何か言った?」
「別に…良いんじゃね?可愛い名前だしな」
「なに言ってるの?可愛いんじゃなくて、かっこいいの間違いだよ」
「へぇ~…」
正直な感想を言っただけだが、春太にとっては最高の名前だと思っているのだろう。嫌そうな熊神の様子に苦笑するしかなかった。
「あー、俺は桃瀬照彰だ。よろしく」
「…もしかして、最近やってきた現人?」
「あ?まぁ、そうだな」
「だったら助けて!!」
「うぇ?」
照彰が現人と分かった瞬間、春太は身を乗り出して必死な表情でそう言った。
「お願いだよ!現人なら流星様みたいに強いんでしょ!?だったら助けて!!」
「おおお落ち着けよ!一体何があったんだよ!」
照彰は春太の肩を押さえて落ち着かせ、事情を説明させる。
春太はポツリポツリと、ここに来るまでの出来事を話し出した。
「きのこは華緑山に住む熊神で、僕はその近くの村に住んでる。熊神は僕の村では守り神って言われてて、花を咲かせたり木の実を実らせたり…山では結構強い妖霊なんだ。だけど…それを狙った人間がいて…きのこはそいつらに山から連れてこられたんだっ…」
春太は怒りを我慢できず、拳をぎゅっと強く握りしめた。
まるで密猟だ、と照彰は思いながら話を聞いていた。
「僕ときのこはほとんど毎日遊んでて、昨日もそうだったんだけど、その途中で黒い忍者みたいなやつが現れて…きのこを連れていこうとしたんだ」
「黒い…忍者…?」
この世界は忍者までいるのかと照彰は驚いた。そいつらが何者かは分からないが、悪い奴なのだろう。
「僕はなんとかして逃げないとって思って…きのこを連れて昨日から走って走って…気づいたらここに着いたから、流星様ならもしかしたらって…」
「昨日から!?じ、じゃあ家には…」
「帰ってない…僕もお父さんとお母さんに会いたい…きのこだって山に帰りたいんだ…だから帰してあげたい…!だけどまだあいつが追ってきてるし…僕だけじゃきのこを助けてやれないんだ!!」
春太が昨日からきのこを守る為に家にも帰らずここまで一人で頑張ったのだと思うと、照彰は何故だか胸が痛くなった。照彰よりも小さな少年が、友達の為に一生懸命助けを求めてここに来た。
不安だっただろう、怖かっただろう。春太はきのこを抱き締め、震えながら泣き出してしまう。
照彰は春太ときのこを助けてやりたい、そう思った。
だが、自分にできるだろうか。
この世界のことをまだ何も知らない照彰に、誰かを救うことが。
だが、そんな不安はすぐに消えた。
「……よしっ!俺が助ける!だからもう泣くな!なんとかするからさっ!」
「…ほんと?」
「ああ!」
照彰は決心した。よく祖父が言っていた言葉を思い出したからだ。
『まずはやれ。もしそれでうまくいかなければ、それはお前の覚悟が足りんからだ。人に限界はない。心の持ちようで、人はどこまでも成長できる』
その言葉は、まるで側で祖父に言われたかのように聞こえた。照彰は、フッと微笑んで春太ときのこの頭に手を乗せる。
「絶対大丈夫だ。俺がお前ときのこをうちに帰してやるから!!」
そう言って照彰は二人を安心させようと頭を撫でてやる。くすぐったそうな春太ときのこだったが、突然腹の虫が鳴った。当然だろう。昨日から家にも帰らず走ったのだから、腹は減っていて当たり前だ。
照彰は台所へ行って、ご飯のおかわりが欲しいと言って白ご飯と味噌汁に、魚を貰った。
照彰は、このことが後に大食いと呼ばれるようになることをまだ知らない。
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