第4話 もう一人の現人
「ふあ~食った食った。美味しかったぜ!」
「ふふ、それは良かったです」
神社から少し離れた場所にある小屋で、照彰はもてなしを受けていた。
如月が運んできてくれた料理を食べ、照彰は満足そうに笑う。
如月も、料理を褒められて嬉しそうだ。
「では、今日はゆっくり休んでください」
「おう、ありがとな」
「いえ」
空になった茶碗たちを持って、如月は小屋を出ていった。
静かになった小屋の中で、照彰は昼間の話を思い出す。
この世界には妖霊という妖怪と似たような存在がいて、その妖霊と人間が対立している。ここまではまぁ分かる。
だが妖霊側の頭と言われていた夜楽という人物は、照彰や流星と同じ現人。だが、彼は黒鬼という妖霊として生きているという。
何故人間だったはずの夜楽は妖霊として流星と争っているのか。
人間と妖霊が仲良くできない理由はなんとなく分かる。今日、森で照彰は妖霊に食われかけていた、と銀髪の少年に言われた。
やはり世界が違っていても、人でないモノたちは人間を餌としているのだろう。まるでお伽噺のようだが、それがここでは現実なのだ。
人間は安全を、妖霊は餌を欲しているのだと照彰は考えた。
どちらも生きるためには必要だろう。
「…なんとかうまくやれないのかねぇ」
照彰はポツリと呟くと、ゴロンと如月が敷いてくれていた布団に寝転んだ。
真っ白な布団はフカフカで心地が良い。
天井を見つめながら、照彰は祖父の顔を思い出した。小屋の中が、祖父の家と重なってしまう。
祖父の顔が脳裏にちらつき、早く帰らなければという考えから少し焦り、不安になってしまう。
『…──帰りたいかい?』
「え…」
外から聞こえる声に、照彰は反応して起き上がる。
『帰りたいなら、外に出ておいで』
照彰を誘う声は静かだが、はっきりと耳に入ってくる。照彰は不審に思いながらも、「帰りたい」という気持ちに嘘がつけなかった。
まるで糸をつけられた人形かのように、フラフラと出口に近づいていく。
戸に手をかけると、横に引いて開ける。
『ほら、こっちだ』
声は近くの森の方からで、神社から出てしまう。だが、照彰はそんなのお構い無しで声の方にどんどん吸い寄せられる。
神社の石造りの塀を抜けると、照彰の意識がハッと戻る。
「やぁ、よく来たね」
「お前は…」
目の前で笑みを浮かべて、木の枝に腰かける青年。
漆黒のような黒に紫色がところどころ混じった肩まである長さの揃った髪。燃えるような紅蓮の瞳は視線だけで見る者を震えあがらせそうだ。
服装は現世で照彰が見たことのある黒のタンクトップにズボン、その上に紺色の羽織りを着て腰のところを金の帯で絞めている。。
「初めましてだね。僕は夜楽……君と同じ現人だ」
「…っ!?」
その名を聞いた途端、照彰の背筋が凍ったような気がした。
まさか妖霊側の頭である夜楽本人が、照彰の前に現れるとは思わなかった。
照彰の本能が、彼は危険だと言っている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫さ。別に君を食おうとか、殺そうとか思ってないから」
夜楽は、緊張している照彰の空気を感じ取ったのか苦笑しながらそう言った。
どこまで相手を信じられるか分からないが、それを聞いた照彰は少し緊張が解けた。
彼から目を離さないように真っ直ぐ視線を向ける。夜楽は薄い笑みを浮かべており、全く感情が読み取れない。
「はぁ…まだ会って一分も経ってないのに随分と怖がられてるな。まぁ良い。…僕はただ君が現世に帰りたいと思っているだろうと思って来ただけだよ」
「え…!?」
夜楽の意外な発言に、照彰は驚いた。
帰る方法を彼は知っているということだろうか。
「帰り方を知ってるのか!?」
「当たり前だろ?逆に君は知らないのかい?」
知っていて当然、とでも言うかのような態度だ。照彰は知らない方がおかしいのだろうかと思ったが、ここには来たばかりだ。きっと知らないのが普通だろう。
夜楽は、左右に首を振った照彰を見て目を細めた。
「やっぱり流星は教えなかったのか。本当に性格が悪い奴だねぇ」
「え?」
「現人はね、いつでもどこでも現世への扉を開くことができるんだよ」
「……ほ?」
夜楽の言うことがいまいち理解できなかった照彰は、目を点にして首を傾げた。
夜楽が言うことを簡単にすれば、いつでも現世に帰れるということになる。
「まぁでも、自分が開けた扉には入れないっていう謎の決まりがあるから、別の現人に開けてもらわないといけないんだけどね」
「そうなのか…?」
「うん。それで、どうするんだい?帰るなら僕が扉を開けてあげよう。そうすれば、流星の話を聞き終えるより早く帰れるよ」
「……」
夜楽の話を受けて、照彰はできれば帰りたいが、相手は元人間だが妖霊で、彼のことをよく知らない照彰は簡単に彼を信じて大丈夫かと不安になる。
妖怪の存在を信じているし、興味を惹かれるが、彼らは人ではない。
照彰は、頭のどこかでは彼らは人間の“味方”ではないと思っている。流星が言うように、敵なのだと。
「……僕を信用できないのは、まぁ分かるよ。けどね…」
「うおっ!」
夜楽が木の枝から飛び降り、照彰の目の前に立つ。
「君は流星のことも信用できるのかい?」
「は…?」
「同じ人間で現人…神社で保護され、もてなされる…それだけで君は彼女を信用する?優しくされたら簡単に信じてしまうのかい?それって…本当に大丈夫って言える?昔言われなかった?知らない人にはついていくなって」
「それは…」
照彰は顔を伏せて目を泳がせる。
そう言われては何を信じて良いのか分からなくなる。
初めてこの場所に来て、何も分からないまま流星のもとに行き、話を聞いた。目の前の夜楽に同じことをされたら、照彰はもしかしたら彼を信用していたかもしれない。現世だったらこのようなことは絶対にない。
どちらが正しいのか。この世界でのことをよく知らない照彰に分かるわけがない。
「君がこの神流に残るかは君次第だ。だけどその場合、流星につくか僕につくか……よく考えるんだね」
「どっちにつくかって…そんなの…」
照彰にとって、この世界で起こっている事は関係ないことだ。
しかし、ここに残る選択をすれば、現人として照彰はどちらかにつかなければならなくなるだろう。
その選択は、どちらを味方にし、どちらを敵にするか。
彼らのことを何も知らない状態で、照彰は簡単に結論を出せない。
流星のことも、夜楽が言うように簡単に信じても良いのか。
「…俺は…帰るべき……だよな」
ポツリと呟いた言葉は、夜楽に届いた。
「べきかどうかは自分が決めな。ただ、ここに残り流星と手を組むなら僕はここで君を殺すかもね」
「…それって脅しだよな?」
「そうとってくれてかまわないよ」
「…お前って、嫌な奴だな」
「誉め言葉としてとっておこう」
それを聞き、照彰は「帰る」という選択が一番だと考える。
照彰だって死にたいわけではないし、今のここの現状も分かっていない。
争うなら勝手にやれば良い。巻き込まれたくない。俺は関係ない。
そんな考えばかりが頭に浮かんで、照彰はほんの少しだけ自分が嫌になる。
だけど、「帰りたい」という思いはあるが、何故か照彰はそう口に出すことができない。
照彰の中の何かが邪魔をしているのだ。
残りたいと思っている訳じゃない。むしろ帰りたい。
だが、帰ってはいけない。帰ったらきっと、後で後悔する。
そんな二つの思いが、照彰の選択の邪魔をしている。
そんな照彰を見た夜楽は、うんざりしたようにため息を溢した。
「優柔不断な奴は嫌いだな…良いかい?流星が君に手伝わせようとしているのは人間と妖霊の“戦争”だ。僕もそれを君にさせようとしてるけど、現人は何故か全員が強い霊力を持っている。だから流星も俺も強い存在としてここにいる。だから君も同じだ。どちらにつくかによって勝敗が決まってくる。今は人間と妖霊で一人ずつだからね。君が妖霊側につくなら構わないけど、人間側につくと言うならここから追い出す」
「…──何で、そんなことを?」
怒ったようにそう説明する夜楽に、照彰は恐る恐る尋ねた。何か大きな理由があってのことと思ったからだ。
すると、夜楽は一瞬嫌そうな顔をしたがこう答えた。
「僕は人間だったけど、人間が嫌いだ。己の欲の為に大切なものを奪っていく。妖霊も時に争うが、人間ほど醜くはない。だから僕は人間としての人生を止め、守りたいもののために妖霊を率いて人間と戦っている」
「……」
そう語る夜楽は、どこか遠くを見つめている。
照彰はそんな夜楽をぼーっと眺める。それに気づいた夜楽がハッとしてごほん、と一つ咳払いをした。
「それで、どうするんだい?帰りたいなら、今しかないよ」
「……人間と、仲良くすれば良いんじゃないのか…?」
「は?」
「いや、だってさ、なんか方法を探して両方ともが納得してうまく生きられないのかって…」
「はっ!できるわけがない。互いに存在が邪魔でしかないからね」
夜楽は鼻で笑って照彰の提案を一蹴する。
照彰は落ち込んだように「やっぱり…そっか…」と諦めたように夜楽に背を向けて後ろを向く。
「何を悩んでるんだい?君はさっさと帰るか帰らないかを選べば良いだろ。この問題は君が残るならどうするかまた考えなよ。君が今ここで悩んだって無駄さ」
夜楽がそろそろ早く決めろとでも言うかのように照彰を急かす。まるで焦っているようだ。チラチラと神社の方を気にしている。
それに気づいた照彰が不思議に思って神社の方向に視線を持っていく。
するとその瞬間
「邪魔だどけぇぇっ!!」
「ぎゃああっ!!」
刀を構え、草むらの陰から飛び出してきた環が夜楽に斬りかかった。
照彰は悲鳴をあげながらそれを間一髪で避け、地面に尻餅をつく。
斬りかかられた夜楽は「おっと」と、ひらりと避けて頭上の木の上に立つ。
「まったく…君が早くしないからバレたじゃないか」
「おおお俺のせいかよ!てかてめぇあぶねぇだろうが!!」
「うるっせぇ!そいつの前に立ってたお前が悪い」
「んだとおおおお!?」
「喧しいねぇまったく」
緊張感のない言い合いが始まる。
しかしすぐに、どこからか大量の矢が夜楽に向けて放たれる。
それも難なく避ける夜楽だが、巻き添えを食らいそうになる照彰を、環が首根っこを掴んで安全な場所に避難する。
「ったく、避けねぇと死ぬぞ」
「はぁ!?あんなの避けられるわけないだろ!」
そう言っている間にも矢の攻撃はおさまらない。それを簡単に避けている夜楽を見て、照彰は「やべぇな」と溢す。
「彼の力はこんなものではありませんよ」
照彰の背後から流星が現れる。流星がス、と右手をあげると矢の攻撃が止まる。
攻撃がおさまると、夜楽はストンとその場に足をついた。
「流星…」
「お久しぶりです、夜楽」
静かな空間に緊張した空気が流れる。
辺りはひやりと冷え、流星と夜楽は鋭い視線で睨み合う。どう見ても二人が良い仲でないのは明白だ。
「はぁ…バレたなら仕方ない。今日のところは帰るよ」
「逃がすわけないだろうっ!!」
「環!」
「っ!!」
環が帰ろうとする夜楽に飛びかかろうとするが、流星に声だけで止められ、その間に夜楽は突然現れた霧に包まれ見えなくなった。
「答えはまた会った時に聞くよ。それまでには決めておくんだね」
霧の中から聞こえてくる夜楽の声は徐々に小さくなっていき、やがて完全に聞こえなくなった。
途端に、周りの巫女達の緊張が解け雰囲気が柔らかくなった。皆が弓を下ろし、霧が晴れると夜楽が本当に帰ったのか森の中を確認する。
「流星!なんで止めた!」
「あそこで彼に攻撃しても、無駄なことは分かっているでしょう?」
「っ!でもっ…!あいつの仲間には!」
「環。今は我慢してください」
「……」
環は流星に止められたことを怒っているようだ。拳を握りしめて、歯を食いしばっている。
「なぁ…なんであいつあんなに怒ってんの?」
照彰は側に立っていた如月に尋ねる。すると如月は暗い表情になり、環に心配する眼差しを向ける。
「…詳しくは分かりませんが、彼の仲間に何やら因縁があるようです」
「因縁?」
「はい」
ふぅーん、と照彰は環を見つめていた。それに気づいた環は照彰をキッと睨んで速足に立ち去って行った。
「気にしないでください。照彰殿、お怪我はありませんか?」
「あ、ないっす」
流星が照彰の手を取り、立ち上がらせる。照彰は流星の手に触れると、何かを感じたのか握られた手を見つめる。
「照彰殿、今日はもう遅い時間ですからお休みになってください」
「……流星さん、その…」
「なんでしょう?」
「……いや…やっぱり、良いや。おやすみなさい」
照彰は流星に聞きたいことがあったが、夜楽に言われたことは気にしないようにした。
夜楽の言うように、簡単に人を信じすぎたという自覚はある。だが、今は流星を信じることにした。
先ほど照彰を握った手が、暖かくて優しかった。照彰は直感でこう思った。
この人の手は、何かを守るためにあるんだ──。
「おやすみなさい。良い夢を」
流星と如月に小屋まで見送られ、照彰は布団に潜り込んですぐに眠った。
明日から照彰はこの神流で色々なことに巻き込まれ、また周りを巻き込んでいくことになる。
「ふぁ~」
「鈴流、眠いのならそろそろ寝れば良いだろう」
森の中の屋敷の縁側で、月を眺めながら欠伸をした鈴流。庭の木の枝にとまっている風璃は眠る準備を始めている。
「ん~寝たいけど…なんか来そうだからな…」
「来そう?」
目を擦りながら何かを待つ鈴流に、風璃は首を傾げる。この時間に何かがこの屋敷を訪れることはほぼない。
今はこの屋敷の主が出ているので、来るというよりは帰ってくる、の方が正しい。
しかし、鈴流の言い方からしてそのことを言っているわけではないらしい。
「…──けて……助けてください…」
「!…お前…“熊神”か」
「はい…」
屋敷の高い塀を跳び越え、鈴流の目の前に着地したのは茶色い毛皮に緑色の苔が背中に生えた熊、に見える者。
大きさは二メートルほどはありそうだ。
「何があった。東の山に住む熊神は、滅多に山を下りてこないのに…」
鈴流は目の前で頭を垂れる熊神と呼ばれる妖霊を、落ち着いた瞳で見つめながら尋ねる。
「子供が…人間に連れ去られました。仲間も怪我を…」
「人間に!?」
「だが、熊神の山は複雑な道で簡単には入れぬ」
「どうせまた汚い手を使ったんだ。案内しろ」
チッと舌打ちをした鈴流は立ち上がる。熊神は「はい。ありがとうございます」と頭を下げた後、鈴流を案内する為に背中に乗るよう促す。それを見た風璃は、熊神の背に乗った鈴流の前に移動した。
「待て鈴流!夜楽の帰りを待て!おぬしだけ行く気か!」
「あいつがいつ帰ってくるか分かんねぇだろ!その間に熊神達に犠牲が出たらどうする!!あいつらはもう数が少ないんだ!!行くぞ!」
「鈴流!!」
引き止める風璃の言葉を無視し、鈴流は熊神と共に屋敷を去って行った。
「どうしました?」
「麗雅、鈴流が…」
風璃は追いかけようとしたが、屋敷の中から麗雅が出てきたので説明しなければならない。その間に鈴流と熊神の姿はもう見えなくなっていた。
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