第2話 出会い

暗くて深い水の底に沈んでいるような感覚。

息苦しくて、体が動かない。

意識があるのかさえも、よく分からない。

うっすらと瞳を開く。


──なんか…このままじゃヤベェかも…。


ここが何処かは分からないが、ずっと暗い水の中を沈み続けるのは自分に“死”をもたらすのではないか。

そう思い、重たい体を懸命に動かす。

まずは右手、次は左手を上に伸ばす。

両足で水を蹴り、上を目指す。

すると、暗いだけだった“上”は、太陽の光が射し込むかのように輝き出す。

それに届くようにと、限界まで手を伸ばす。

しかし体力に限界がきたのか、腕の力が抜けていく。

水を蹴っていた足も、疲れて動かない。

意識もだんだん遠退いて、光に届きそうになった体はまた水に沈んでいく。


ダメだ…もう…体が……


『ソウダ ソノママシズメ』


まただ…また声が…。


『いいえ…沈んではいけません』


え…?なんだ…?


『こちらです』


優しい声が照彰を呼ぶ。どうやら光の方からのようだ。

照彰はその声に導かれ、腕を伸ばした。

それでも、頭の中では『シズメ』と言う声が響く。

その声を聞いても、照彰は光の方を目指して手を伸ばす。

光に届きそうになると、頭に響く声はより一層大きく、強くなっていく。


『シズメ シズメ シズメ!!』


「うるさい!!そっちにはいかねぇっ!!」


いつまでも響く声に向けて叫び、光に手を届かせる。

すると、光の中にある透明な水晶玉のような石が見えた。

照彰は、ガシッと両手でその水晶玉を包み込む。

すると水晶玉を手に取った瞬間、それはまばゆい光を放ち照彰自身を覆い始める。


「うわっ!」


照彰は眩しい光に耐えられずに、目を閉じて腕で顔を隠した。




 




「…っ!…──い…!……──おい!!いい加減返事しやがれヘンテコ野郎!!」

「ぶへっ!」


光に耐えていたら、いきなり誰かに頬を思いっきり殴られた。しかも、よく分からないが相手はなぜか照彰を「ヘンテコ野郎」と馬鹿にしている。


「いってぇぇぇぇ!」

「やっと反応しやがったな。ったく、お前…なんなんだ?」


ひりひりと痛む頬を押さえながら、照彰は己の状態を確認する。

照彰は今、どこかの森にいるようだ。


「は?なんで俺は、こんなとこにいるんだ?確か部屋で寝てて…あれ?そっからなぜか変な場所で変な子供に会って…そしたら水みたいな所を沈んでて……ほんで今はこの森の中…しかもなんでか殴られてる…とんだ乱暴野郎だな」

「おい、乱暴野郎って俺のことか?」

「ああ~~~わけがわかんねぇ!!こんなことは初めてだわ!!」

「おい、無視か?おい」


側で誰かが照彰に話しかけているが、聞こえていないようで照彰は反応しない。

今の状況にひたすら混乱し、頭をわしゃわしゃとかきむしる。

何がどうなって今の状況になっているのか、もしかしたらこれは夢なのではないか。照彰の頭は混乱するばかりだ。


「おい!!また無視しやがって、また殴られてぇのか?」

「うわああ待てって!結構痛かったから!」

「だったらさっさと反応しやがれっつーの!」


胸ぐらを掴まれ、右の拳を振り上げた少年を照彰は慌てて止める。

少年はパッと照彰から手を放して、すぐ近くの木に背をもたれさせる。


「えっと…お前…誰?名前は?」

「お前みたいな“人間”に名を教えるわけないだろ。お前こそ何者だ?変な姿をしてるが“妖霊ようれい”ではないな?」

「ようれい?変な姿?それを言うならお前の方が……はっ!!」 

「ああ?」


照彰は、まさかここは自分がいた場所とは違う別世界なのではないかと思った。

自分の姿は照彰にとっては“普通だ”。普通の高校の紺色のジャージ。わりと綺麗に使っているからシワもない。

髪も校則で染めるのは禁止だし、外人でもないため髪も瞳の色も黒だ。

それに対して少年は照彰にとっては“異常”だった。

まず、着ている物は平安時代などでなければ見ないような和服だ。

白い単に白い狩衣、単と同じ白い小袴で、白ずくしの服装だ。

月のような銀色の髪は短髪かと思いきや後ろで一つに纏めており、瞳は照彰と同じ黒だ。

年は照彰より下くらいか、顔は整っているが幼さがあった。その姿は今の日本では珍しい。

そして彼の台詞。

お前みたいな“人間”、それから妖霊、という言葉。


もしかしてこの目の前のヤツは人間じゃない?

それから“ようれい”ってのが何なのかは分かんねぇけど、人間じゃないモノのことだよな?多分……。


「なぁ……もしかして、お前は人間じゃなかったり……する?」

「─っ!?……へぇ…どうやら分かるんだな。そういうお前こそ、この世界とは違う世界の人間だろ?」

「あ、やっぱり?だと思ったんだよなぁ~」

「は?」

「いやぁ、だってさ、何となく分かるって。まさか本当にそんなことが起きるなんてこれっぽっちも思って無かったけど」

「……」


少年は、何かを探るかのような表情で照彰を見つめる。

あまりジロジロ見られるのは気分の良いものではないので居心地が悪くなるが、今はこの謎の人物に話を聞かなければならない。そうでなければ照彰は何をどうしたら良いのか分からない。


「なぁ……俺はこれからどうするべきなんだ?お前が俺のことを“別世界の人間”ってことが分かるなら、何か知ってるんじゃないのか?」

「……別に。お前と同じ奴を知ってるってだけだ」

「同じ奴?なら、俺みたいなのが他にもいるってことか?」

「まぁな。でも俺は何も知らないぜ?これからどうするかはお前が決めろ。俺に聞いたって答えは得られないぞ」


そう言うと彼は腕を組んでそっぽを向いた。

照彰は、彼にあまり良く思われてはいないらしいことを感じ取った。

それから、彼に聞いても知らないと本人は言うので照彰はまた困ってしまう。

知らない場所を一人で歩くのは不安だし、彼のように照彰を変な人間だと思われれば目立ってしまう。

照彰は目立つことは嫌いだ。

かといって、彼に助けて欲しいと言っても助けてくれるかは分からない。

どうするか思案していた時、目の前の彼は一つため息をついてこんなことを言った。


「お前、考えてるとこ悪いがそろそろ出ていって欲しいんだが」

「え?」

「ここは妖霊の住まう場所。人間が立ち入って良い場所じゃない。いつまでもここにいれば、やがて妖霊に食われるぞ」

「はぁ!?」

「実際、お前は寝ている間に食われかけていた。人間の血肉は妖霊にとって毒だ。だからお前を食わせない為に俺がここにいる」

「食われる?そのお前が言うようれいって、人間じゃない存在みたいな!?動物じゃなくて妖怪とか、幽霊とかみたいな!!」


何故か少し興奮したような雰囲気の照彰に、彼は若干引いている。

照彰は、「食われかけていた」と言われたのにあまり怖がっていない。むしろ、獣以外で人間を食う存在が本当にいるかもしれないということが分かることに興味をそそられる。


「…お前が言う妖怪とか幽霊とかは、お前の世界での言葉だろ?妖霊は人間とは違う存在。ま、お前の言う妖怪や幽霊とほぼ同じだろう」

「へぇ~…やっぱりいるんだな…!たとえここが俺のいた世界と違ってても、別世界にいるってこと自体がもう“不思議なこと”だよな!なぁ!!」


照彰は目をキラキラと輝かせて、まるで子供のように喜んだ。


「俺に同意を求めるな。なんだお前、急に雰囲気変えやがって。…キモチワリィ」

「あー、いいよいいよ。気持ち悪くて」


照彰はそう言われるのは慣れているので、右手をヒラヒラと振って何故かドヤ顔をする。

対して彼は疲れたような表情をしている。


「…お前、怖がらないんだな。普通はもっと驚いたりするもんじゃないのか?」

「普通はそうだろうけど、俺は違うんだなぁ。ずっと会ってみたかったんだよ。過去にいた歴史人物に直接会う、みたいな感覚かな~」

「……」


ニコニコ笑いながらそう語る照彰。

だが直ぐに、「あ」と声を出して、パッと彼の正面まで跳んだ。

それに驚いたのか、彼はびっくりした表情をしている。


「…なんだよ」

「俺、会いたいとは言ったけど、死にたくはないからさ。お前が助けてくれたって言うなら、ありがとな」


微笑みながら礼を言うと、彼は礼を言われたことが意外だったのか、更に驚いた表情をする。


「……別に。もう良いからさっさとここから出ろ。俺も長い間ずっといられるわけじゃないんだ」

「…?」


そう言うと彼は顔を伏せて、何やら悲しそうな表情をした。

しかし直ぐに顔を上げ、照彰の後方を指差した。


「良いか?ここを真っ直ぐに行けば森から出られる。森を出るまでの間は、色んな奴に“声をかけられる”かもしれないが、絶対に反応するな。無視しろ」

「ん?お、おう…?え?なんか怖い…」

「分かったらとっとと行け」

「いてっ!なんだよもう…って、あれ…?」


彼の話についていく前に、背中を強く蹴られて前へ転ぶ。 

抗議するため後ろを振り返るが、そこにはもう誰もいなかった。


「どこ行ったんだ?」


キョロキョロ見渡すが、どこにも彼の姿は見えない。

照彰は探すのを早々に諦め、彼が指差した方向を真っ直ぐに進み始める。

歩いているうちに、確かにナニかが照彰に話しかけてきた。

 

『ねぇ──』

『こっちだよぉぉ』

『おいで…おいで』


子供だったり、老人だったりと様々な声が照彰を呼ぶ。

照彰は言われた通りに反応せずに、耳を塞いで無視した。

サクサクと草を踏み、木々を通り抜ける。

やがて聞こえていた声は止み、代わりに賑やかな声が照彰の耳に届く。

森を抜けると、そこには本や教科書、テレビなどでしか見ないような光景が広がっていた。


「なんだ…?ここは…」


照彰が森を出て立っている所は、まるで江戸時代の町並みかのような場所で、周りの人間は全員が着物姿。

ちらほらと見える店は茶屋、髪飾りを売る店、薬屋だったりと色々ある。

行き交う人々は、やはり照彰を見て不思議そうだったり、何故か嫌そうだったりという様々な反応を見せた。

だが誰も話しかけてこないし、すぐに見えないものかのようにして通り過ぎていく。


「はぁ…やっぱり不安…」


森を抜けたは良いが、結局どうしたら良いかは分からないまま。

しかも森を出たからと振り向けばそこに森は無かく、あるのはただの道だけ。

不思議に思ってもと来た道を戻ろうとしても、路地裏のように家と家の間の細い道で、奥は行き止まり。

森なんてどこにもなかった。


「は~、ほんとに不思議だなぁ…」


奥の壁を両手でベタベタと触る。

どう見てもそれはただの壁で、何のからくりも見当たらない。


「お前が新たに来た“現人うつしびと”か?」

「おや、今度の現人は若いですね。私達と同い年くらいに見えます」


壁を触っていると、突然後ろから声をかけられた。

振り返るとそこには、灰色の袴に黒地に金色で風車の刺繍が入った羽織り姿の背の高い美形な顔立ちの青年。髪は黒い短髪で、瞳は海のように青い。腰には何やら刀のような物を持っている。

そして隣にいるのは、いわゆる巫女服姿の少女。腰まであるこげ茶色の髪を先端で緩く結い、緑色の瞳を細めて微笑んでいる。こちらは可愛らしい顔をしている。


「……だれ?」


困ったような表情で首を傾げる。青年が言った「現人」というのも気になる。


「俺はたまき

「私は如月きさらぎです。ある方に指示されて、貴方を迎えに来ました」

「えーと、俺は桃瀬照彰……ある方?」

「ある方とは私の師匠であり、この“神流かんな”一の巫女です」

「神流?」


如月の口からまた気になる単語が出てくる。


「そいつはお前と同じ現人だ。つっても、神流も現人も知らねぇだろう。それについても話をするから、とりあえず俺らについてこい」

「は、はぁ…」


くるりと方向を変えて二人が歩き出すので、照彰は訳が分からないがとりあえずついていくかとそろそろと足を踏み出す。

二人はスタスタと前を歩き、少し後ろを照彰はついていく。

周りの人々を見てみると、働く人間は忙しそうだが楽しそうで、会話をする者達は大きな声で笑い声を上げている。

それから、やはりいくら見回してみてもそこは照彰の知る現代の町並みではなかった。

時代劇でしか見ない風景に、少しテンションが上がってしまうが、帰るにはどうしたら良いのかという心配事が出てくる。


──まぁ、この二人についていけば、なんか分かるだろう。さっきの乱暴野郎と違って色々と教えてくれるみたいだし。

















緑の草の上を真っ白な足袋で進む。

その先にあるのは一つの屋敷。

そろそろと屋敷の入り口に近づき、扉を開こうと手を伸ばした瞬間、ガラッと扉が勢いよく開かれる。

驚いてビクッと肩を揺らして、怒った表情で怒鳴る。


「んだよ、驚いたじゃねぇか!」

「どこに行っていたんです。黙って出掛けるなとあれほど言ったでしょう」


中から出てきたのは、黄色の帯に赤地に色とりどりの蝶がたくさん描かれた着物姿の美女だった。紅い髪は団子にされ、両頬の横には二の腕辺りまでの髪が垂れ下がっている。


「人間が紛れ込んでいたから追い払っただけだ。その人間を食おうとしてる奴もいたから、毒をその身に取り込む前に止めてやったんだよ」

「それは良いことです。が、一言だけで良いので何か言いなさい。良いですか?鈴流すずる

「へいへい」


鈴流と呼ばれた少年は、適当に返事をして屋敷の中に入る。


「で、麗雅れいが。あいつは寝てんのか?」

「ええ。寝てるから起こさないように」

「別に起こそうなんてしねぇよ。…けど」

「なんです?」

「悠長に寝てられるのも今のうちかもな。……何か大きな事が起きそうな気がするからな」


縁側に座り、鈴流は暗い空を見上げた。

麗雅は考え込むような仕草を見せ、鈴流の隣に静かに正座する。

夜の冷たい風が庭の草花を揺らし、何かを感じ取ったかのように烏たちが木々から飛び去った。



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