第23話 幸三⑮
数日の間はっきりしない天気が続いていたものの、その日はすっきりと晴れ渡っていた。
「よかった、荷物が濡れるとすっきりしないからな」
「随分と身軽だね」
彼の荷物はスーツケース一つと、小さなリュックサックだけだった。スーツケースは何故か僕が持っている。
「それにしても、誰も見送りに来ないんだね。実は彰、友達少なかったとか?」
「普通、二週間海外旅行行くくらいで見送りなんて来ないよ」
「でも、僕には当然のように今日の時間の確認をしてきたじゃないか。てっきりみんなも来るものかと思ったんだけどな」
「荷物持ちに使ってやってくれって、有泉さんに言われたんだけど。合意してたわけじゃないの?」
僕は言葉を失った。彰にそう言われたら行くしかないな、と思ってたのに、有泉の仕業だったとは。それで、彰は僕を見るなりスーツケースを預けたのか。
彼女はあれからもことあるごとに小さな嫌がらせをしてくるのだ。今回だって、素知らぬ顔して「行くんなら、ついでにこれ持ってってよ」と手紙を僕に託しさえしたのだ。タヌキめ。
今僕らがいるのは、普段の生活圏から少々離れた駅である。ここから長距離バスに乗って国際空港まで行く予定なのだが、家からここまで千円近い交通費がかかっている。もちろん、自腹である。
彰はさっきから頻繁に時計を確認していて、せわしない。いつもは落ち着いている彼でも、やっぱり海外旅行の前は興奮するんだなと、微笑ましく思う。
「これ、有泉さんからだよ。はい」
「なにそれ? ラブレター?」
「知らないけど、飛行機の中で開けてくれって」
卓弥はちょっとにやっとして、封筒をショルダーバックに入れた。
「いいの? こんなもん、幸三君が預かって」
「なんで?」
「なんでって、決まってるだろう?」
その言い方は成吉君っぽいよ、と前置きしてから、
「有泉さんがラブレターなんて書くわけないじゃないか」
と言うと、彰は笑い出した。
「何かおかしいこと言った?」
「いや、別になんでもないよ」
やがてバスが来て、手を振ると、バスに乗り込む乗り込む直前にも、彼は時計を確認していた。もう乗ったんだから、遅れようもないのに。
ああ、行っちゃったな、と思い、自分は自分の住むべき場所へと帰ることにする。
大学の最寄り駅へ帰ってくると、岩村さん浮かない顔をして、切符売り場の前でうろうろしているのが目に入る。声をかけると、はっとしたように驚いてこちらを向いた。
「ああ、平林さん」
「どっか行くの?」
「はい、ちょっと。平林さんも?」
「僕はもう行ってきた。彰を見送って来たんだ」
岩無さんの顏から血の気が引くのがわかった。
「見送って来たって、確か十六時出発だ、とか。まだ十三時じゃないですか」
「それは飛行機の出発時間だよ。バスはもう行っちゃったし、次のバスだったら見送りには間に合わないと思うよ」
岩村さんはとたんに真剣な顔になる。
「電車で特急を使えば、まだ間に合うかも…」
「そもそも、その十六時にバスが出発するって、誰が言ったの?」
「成吉さんですけど」
「だと思った」
僕はため息をついた。
「あのさ、あいつ、悪いやつやないんだけど、興味がないことはけっこ適当なんだよね。この間も待ち合わせの時間、十四時と四時とを間違えていたり。俺からもきつく言っとくけど、ちょっとひどいよな」
ははっ、と軽く笑いかけてみたが、彼女は駅の方へ歩いて行こうとする。
「あの、そんなに無理しなくったっていいんじゃない? 二週間もすれば戻って来るんだから」
「え?」
「もしかして、勘違いしてない? 留学ったって、彰は二週間短期の語学留学へ行くだけだよ。別に何年も戻って来ないわけじゃないよ」
彼女はしばらくうんともすんとも言わなかった。
「まさか、成吉がまたなんかおかしなこと言った? ずっと向こうへ行っちゃうとか」
「いえ、成吉さんではありません」
「じゃあ、誰が?」
「私の勘違いです。失礼します」
岩村さんは顔を赤らめてそう言い残すと、走り去って行った。
「誰にきつく言っとくって?」
後ろからいつにも増して低い声が響く。僕は、自分もそのまま走り去ってしまいたいと思うのだった。
成吉に自転車を奪われて、仕方なく歩いて部室へ戻る。自転車だと十分ちょっとの道が三十分以上かかって、日頃運動不足の僕はへとへとになってしまった。
部室に戻ると、有泉がのっぱらの真ん中に一人立ち、空を見上げていた。
「寒がりな君が、外で空を見上げるようになったなんて。春だな」
と言ってみたものの、よく見ると有泉はコートの下に二枚はセーターを着ている様子だった。
「彰が乗った飛行機でも見ようとしてるのか?」
「この時間なら、まだバスの中でしょう」
その通りだった。
「何か言いたいことがあるの?」
「そういえば、岩村さんは、彰が一年間留学すると思っていたみたいだった」
「ああ、鈴木さんがそう言ったのかもね」
「なんで?」
「びっくりさせようと思ったんじゃないの」
「びっくりって、子供じゃないんだから。それに二週間経ったらすぐにばれるじゃないか」
「大事なのは二週間後じゃなくて、今なの。岩村さん、血相変えて見送りに来たんじゃないの?」
突然、何度も何度も時計を確認していた彰を思い出す。あれはバスが来ないのを気にしてたんじゃなくて、岩村さんが来ないか気にしていたのかもしれなかった。
「結局、時間を間違えてたから、来られなかったけど」
もしかして、二人があの場所で会えなかったから、もう二人に今後はありません、だなんてことにならないか? だとしたら、だとしたら……。
「まさか、鈴木さんに岩村さんを騙すよう頼んだのも、時間を間違えて教えるよう成吉君に吹き込んだのも、君なのか?」
「なに、それ。どこまで人のせいにすれば気が済むのよ。しかも、なんで私が成吉にお願いなんてしないといけないの? 地球がひっくり返ったってあり得ない」
「その地球がひっくり返ってって表現、久々にきいたよ」
僕は苦笑した。
「でも、あの二人は、今日バス停でちゃんと会って、わだかまりを取り除いておかないといけなかったんじゃないかな…」
「そんなことしてたら、飛行機に乗り遅れるじゃない。別に、帰って来てからでも問題ないんじゃないの」
確かにその通りだけど、あっさりし過ぎじゃないのか、有泉。
仕方ない、彰が岩村さんが来るのを直前まで待っていたことも(本当にそうかはわからないけど、そういうことにしてしまえ)、岩村さんが血相変えてバス停に走って来たのも(走ってはいなかったけれども、そういうことにしていまえ)、僕がそれとなく二人に伝えればいいのだ。後で、「もしかしたら、平林幸三が僕達のキューピッドだったのかもしれない」だとか、二人の半生を振り返ったときにそっと思い出してくれればいいのだ。僕なんて…、あーあ、岩村さん、久々にあんなにいい子に巡り合えたと思ったのに。まあ、しょうがない。
「ところで、あの中身、どうやって手に入れたの?」
彰に渡した封筒には、僕が知る限りでは、写真が一枚入っているようだった。有泉がご丁寧にも封をし忘れたようで、中身がはらりと落ちて、ちらっと目に入ってしまったのだ(わざとなのか、偶然だったのかはご想像にお任せする)。それは、彰がいつか部室でじっと見ていたカード、そして二人が三週間ほど前のあの日に、部室で、裏返したまま引いたのに引き当ててしまったカップの6というカードと、よく似た構図の写真が入っていた。
小さい、小学生になったかならないかくらいの二人の子供が写っている。ピアノの発表会のようで、女の子の方が幾分背が高いのだが、ステージの上にいる小柄な男の子に、花束を渡しているのだ。
「鈴木さんからもらったの」
「鈴木さんからもらった!? 奪ったのではなくて?」
「奪ったりなんてしないわよ。あんた達じゃあるまいし」
「なんで鈴木さんがそんなもん持ってるの? まさか、二人がしょっちゅう見詰め合ってるから、腹いせに盗んだの?」
「さあね。どっかで拾ったんじゃないの」
「なんで今更、返そうと思ったんだろう」
言ってから、そうか、二人は別れたんだな、となんとなく思った。
「なんでそれを有泉さんにくれたんだろう」
「私から返せってことだったんじゃないの」
「有泉さん、いつの間に鈴木さんとそんなに仲良しになったのさ?」
「仲良くなったんじゃなくて、占って欲しいって来たのよ。今度はちゃんと最後まで聞いてたけど」
「また来たの? あの人」
「うん」
「で、結局どうなったの、結果は」
「守秘義務」
有泉は、占いのことに関しては、決して口を割らないのだ。まあ、仕方がない。
「でも、彰が岩村さんを好きでも、岩村さんがどう思ってるかわかんないもんな」
「あんた、いい加減諦めたら」
有泉は横目で僕を見て、ふふんと笑う。
「なんだよ、一体」
「はは、馬鹿な人」
有泉がぶるっとふるえたのが見えたので、部室に入ろうと促した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます