第17話 太郎①

 あれは、高校に入ったばかりの頃だった。

 六限目の音楽の時間の途中で、先生が「じゃあ、後は適当にリコーダーの練習しといて」と言って、音楽準備室に行ってしまうと、室内にはリコーダーの音よりもおしゃべりに興じる声が響いた。放課後の部活に備えて、睡眠をとることにした。

 うとうとしていると、何とも心地よいメロディが流れてくる。暖かい陽の光の中、まどろんで、きれいな音楽が流れているだなんて、なんていいところなんだ。ここは天国かな…などと寝ぼけていると、突然笛の音が止まった。

 驚いて顔を上げると、隣に座っていた男子生徒がじっと俺を見ていた。

「なんだよ」

「いや、よく寝てるなと思って」

「いいだろう、リコーダーなんて練習しなくても吹けるんだから」

「ああ」

「だから、じろじろ見るなよ」

「失礼。あまりよく寝てたから、僕の笛がうるさいかなと思って心配になったんだ」

 もしかして、あの心地よいメロディを吹いていたのはこいつだったのか。

「真面目だな、ちゃんと練習してて」

「まあ、暇だし」

「お前、さっき何吹いてたんだ?」

「え? シシリエンヌとか、カノンとか…」

「横文字ばっかだな。洋楽か?」

「いや、クラッシックだけど」

「ふうん、クラッシックってああいうのもあるんだ。運命くらいしか知らないけど」

 ちょっと馬鹿にしたように笑ったのが気になったが、こいつのセンスはけっこう自分と近いのではないか、と思った。単なる勘だったけど。

「やっぱ、吹奏楽部とかに入ってるわけ?」

「いや、帰宅部だけど」

「じゃあさ、フォークソング部に来いよ」

「それはちょっと……」

「なんで?」

「ええと、フォークソング、知らないから」

「いいよ、知らなくても、これから覚えればいいじゃないか」

 そうやって、半ば強引にあいつを誘い込んだ。

 あいつは、基本的に俺に従順だった。何の曲をやりたいなどの意見は一切なく、俺が「次はこれだ」と言うと、たまに「それはちょっと……」と言うこともあったが、大体俺に従った。ただ、いったん曲が決まると、弾き方やニュアンスのつけ方にはいちいちうるさく、よく口論になった。

「そんな細かいこと、誰も気にしねえって」

 俺が言うと、あいつは、

「じゃあいいや、俺辞めるから、一人でやってくれよ」 

 と言い出すのだ。言い出したら聞かないので、結局従うしかない。やっぱり俺があつに従順だったのだろうか。でも、やつの口癖はいつも、「俺は、サブだから」だった。「俺は、一人だったらやってないから」というのがその理由だそうだ。

 文化祭でデビューするために、名前を決める必要があったときにも、「太郎が決めればいいよ」と何も考えようとしないので、仕方なくいくつか候補を出して、あいつに選ぶよう言った。漢字一文字がいいと漠然と思っていたので、候補は「風、林、魂、炎、優、扉」など、今から思えばあまりぱっとしないものが多かった。彰はしばらく悩んだ後で、

「まあ、扉が一番無難なんじゃないの」

 と、ぶっきらぼうに、どこか嬉しそうにつぶやいた。

「なんか文句あるのか?」

「別に、まあ、どれでもいいけど、あえて言うならそれじゃない」

 というわけで、「扉」としての活動が始まった。

 俺は流行してから最低五年は経った曲ではないとやりたくなかった。その他にも、曲の好き嫌いがけっこう激しいほうだったので、ほとんど文句を言わずに従う彰は便利な存在だった。

 最初のうちは、こんなに好みが無くて大丈夫なのかと心配していたが、やがて俺たちは趣味が合うんだということがわかってから、気にならなくなってきた。

 そうして、自分たちの好きな曲ばかりを演奏していたので、万人受けするわけではなかったが、文化祭の後などで、口をきいたこともない同級生から「突然あんな歌が出てくるからびっくりしたよ」とか、「お前らが歌ってるのを聞いて、思わず原曲聞いてみたけど、お前らのほうがよかった」と言われたりして、なかなか嬉しいものだった。

 思えば、あれからもう五年も経つ。高校の三年間、ずっと音楽ばかりやってた割には、俺たちはどうにか現役で大学にすべりこんだ。しかも同じ大学に。示し合わせたわけではなく、家から通いやすいのもあって、偶然同じ志望校だったのだ。

 大学に入ってからのことは、無理に誘うこともできないし、ちょっとあいつの要求の高さに疲れていたところもあったので、俺からは何も言わなかった。

「大学入ってからも、やっぱやるんだよな、俺たち?」

 卒業式の日に言われたときには、

「もちろん」

 考える前に返事をしていた。面倒に思う部分もありながらも、やっぱり、一緒にやりたい気持ちの方が強かったのだろう。それに、常に一歩引いていた彼から、続けたい素振りを見せられるとは思ってもいなかったので、嬉しいと言えば嬉しかったのだろう。


 俺たちは大学に入ってからも基本的に二人で活動していくつもりだったので、それができそうだということで、再びフォークソング部に入った。

 それから一年間は、何事もなく平和に続いた。活動できる時間が増えて、彰は今まで以上に細かくなり、喧嘩も絶えなかったけれども、こうして活動休止になってしまった今から思うと、あんなの全然なんてことはなかったと思う。


 二年目の春のことだった。

 新入生歓迎の野外ライブが終わった後、「お疲れ」と声をかけると、彰の様子がおかしいことに気が付いた。そういえば、こいつは「コンタクトをなくした」とか言って、朝から普段嫌っているメガネをかけてきたり、変にそわそわしていたり、様子が変だったことを思い出す。一年生に可愛い子がいないか、緊張してそわそわしているのかと思っていたのだけど、何かあったのだろうか。歌っている間は多分いつも通りだったと思うので、あまり気にしなかったのだけど。

 その夜の飲み会も、おかしかった。いつものようにサークルボックスで飲んでいたのだが、普段は、いつもあまりしゃべらない分、お酒が入ると気を使ってみんなに話しかけるようになるのに、隅っこの方で黙々と一人で飲んでいる。もしかして、俺は気にならなかったけれども、自分の演奏に一人でダメ出ししてむくれているのだろうか。

「どうしたんだよ、今日は」と話しかけてみる。

「もうダメだ」

「別に、俺は全然気にならなかったけど。あえて言うなら、二曲目の歌い出しが、ちょっと走ってたかもしれないけど」

「そんなことじゃない、もうダメだ、もう歌えない」

 様子がおかしいと思っていると、

「俺、辞めるから。解散しよう」

 などと言い出す始末である。

 新入生も何人か来ていたので、慌てて奴を外に連れ出した。

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