第16話 幸三⑫
「何が?」
ああ、有泉さん、またやり合おうとしてるよ、この人は……。
「どうせ誰も自分の歌なんて聴きやしないって、そう思って歌うもんなの? 歌って」
何でこの子はいつもこうきつい言い方をするんだろう。もう少しソフトな言い方をすれば、もっと可愛いのに。
太郎は、あきれたように目を見開いて、何か言おうと口を開きかけるが、
「それでも歌い続けてるんですね、上原さんは」
岩村さんが横から口を挟んだ。ナイスフォローだ。
「まあね」
太郎は、少し迷ったあとで付け加える。
「俺が辞めたら、あいつが戻って来る場所がなくなるし。彰、今休部してるんだよ」
「なんで休部してるの?」
「まあ、家庭の事情とか? 色々」
「須長君は戻って来るんですか?」
と岩村さん。
「ああ、戻って来る」
やけに自信満々だ、成吉に似ていなくもないが、彼よりももっと根拠のある自信に満ちているように見える。
「確証があるの?」
「ああ、俺がいるから」
だめだ、やっぱり成吉と同じレベルだ、この人も……。彰が成吉と比較的すんなり馴染めたのが、わかる気がした。
「上原さんは、なんでアキラと一緒にバンドをやってたんですか?」
岩村さんが、ずっと須長君と言っていたのに、突然「アキラ」と呼び捨てにしている。ちょっと面食らいながらも、太郎は答える。
「高校のとき、同じクラスだったんだ。俺のやりたい曲って、ちょっと一昔前の曲なんかが多かったんだよな。それで、あんまり一緒に組めるやつがいなくて。
音楽の時間、近くに座っててさ。よくリコーダーなんかで、“じゃあここ自主練”とか先生が言って、みんなめいめい練習する時間があるじゃないか。あのときに、彰は課題の曲なんて練習しなくても吹けたみたいで、自分の好きな曲を吹いてたんだ。何吹いてたかは忘れたけど、そのときに、曲の好みが俺と合いそうだなと思ったんだ」
上原は昔を懐かしむような目をしていた。
「あの、アキラは、ピアノはもう弾いてないんですか?」
「岩村さんって、もしかして彰の幼馴染?」
今度は、岩村さんが面喰う番だった。
「はい、そうですけど。アキラ、私のこと何か言ってたんですか?」
「言ったといえば言ってたけど…。呑んだときにちらっと話を聞いたことがあるだけで、彼は覚えてないと思うけど」
「なにを言ってたんですか?」
「さあね、本人に訊いてくれ」
「今、本人は覚えてないって言ったばかりじゃないですか」
そうだったな、と太郎は笑ってごまかした。ますます成吉っぽいな……こいつ。
太郎は何か迷っているようだったが、コーヒーを一口飲むと、
「岩村さんは、なんで彰が休部してるか、本当に知らない?」
と言った。
「さっき家庭の事情って言ってませんでしたっけ?」
「ああ、そういえば」
「うそなんですね。そうですよね、だって今度留学するのに、家庭にそんなに問題があるとは思えないし。本当は何があったんですか?」
「さあね、あいつの事情なんていちいち確認してられるかよ。いつも一人で勝手に決めて勝手にすねてるんだから、いちいちい面倒見てらんないよ」
突き放したような言い方に、もしかしたら、こいつらは仲が悪くなって辞めたのかな、という気がしないでもなかった。
「ところで、アキラがなんでピアノ辞めたかは知ってるの?」
「高校になってギターを始めたから…?」
「逆だ。ピアノを辞めて、することがなくなったから、暇を持て余してて、ギターを始めたんだ」
「なんでピアノを辞めたんですか、アキラは」
「それこそ、本人に訊けばいいよ」
太郎はコーヒーをすすった。
「ああ、すまないな、内輪な話になっちゃって。
それより、みんな春休みどっか行くの? 実家帰ったりするの? そういえばみんなどこ出身なの?」
とにこやかに話し始める。
「俺工学部だから、普段あまり女子と話す機会ないんだ。こんなところ、学科の奴らに見つかったら羨ましがられて、後で質問攻めにされるな。はは」
その女子の一人が有泉だと知っても、みんなは羨ましがるのだろうか。確かに、大人しくしてれば有泉もそれなりに可愛く見えないこともないけれど。
仕方ないので、ミッションはこのあたりで終わりにして、ここからはダブルデート気分でしばらく楽しませてもらうことにする。少しくらい寛いでも、ばちはあたらないだろう。
喫茶店を出ると、太郎は練習に行くからと部室の方へ歩いて行き、残された三人でぶらぶら歩くことになった。
三月に入り、道行く人達の服装も心持ち華やかになりつつある。つい楽しくなってきょろきょろしながら歩いていると、
「今のは、何かの作戦だったんですか?」
岩村さんの言葉に、咄嗟に何と返していいのかわらない。有泉も何も答えない。きっと彼女も僕と同じ気持ちなのだろう。
「有泉さんは知ってるんですか、須長君がなんでピアノを辞めたのか」
「知らない」
「占いで、そういうのわからないんですか?」
「本人に訊かれたこと以外は、私には関係ないし」
岩村さんは軽く頷いた。僕はふと思いついて、
「そういえば彰は、なんであの人と付き合っているんだろう」
と言ってみる。
「まさか私に訊いてるの?」
と有泉がちょっと怒ったように言う。
「別に、ただ言ってみただけだけど」
鈴木さんがどんな質問をしていたのかよく覚えていないのだが、多分恋愛のことでちょと悩みが、というようなあいまいな質問だったと思うのだが、あの「悪魔」というカードのことは鮮明に覚えている。
悪魔、束縛とか、本能だとか、逃れられない、快楽にふける、たしかそんな意味合いのカードだったはずだ。鈴木さんは、何らかの方法で彰の弱みを握って、むりやり交際を強いているわけではないよな、とちょっと心配なのだ。あの二人が一緒にいるのを見たのはバイキング会場での一度だけだが、この僕が見ても、彰は岩村さんを見るほど真剣なまなざしで彼女を見てはいなかったような気がするのだ。
「なんだか、あまり合わない感じがするけど、あの二人」
とりあえず言ってみる。
「いいんじゃないですか、男の人って、ちょっと可愛い子に『好きです』なんて言われたら、すぐふらふらしちゃうものだから」
「そんなことないよ」
僕にしては珍しく強い口調で言うので、岩村さんは少し驚いたようだった。
「そんな人もいるかもしれないけど、そんな人ばかりじゃない」
ここにいる僕のように、と思ったのだが、
「でも、須長君はそんな人なんですよ」
岩村さんはやはりというか、あいつのことを思い浮かべているのだった。仕方ないので、僕も話を合わせることにする。
「でも、彰は今でも岩村さんのこと、見てるじゃないか」
「見てるんじゃなくて、視界に入っているだけですよ。須長君は私に関心はないはずです。留学のことだって、私だけ知らされてなかったんだし」
むしろ僕達が偶然知ってしまっただけで、知っている人だけが少数派なんだと言ってあげればいいのだろうか。多分言っても岩村さんは聞かないだろうけど。そして、あまり言いたくない気がする。
「私なんていなくなったほうがいいんですよ、どっかいったほうがいいんですよ、でも無理、だって同じ大学にいるんだもん。だから、自分がいなくなるつもりなんです、あの人は。そんなに私のことが目障りなのかしら」
彼女は歌うようにそう呟いた。
彰が羨ましい。子供の頃、近くにいたというだけで、今もこうして岩村さんと深い縁があるのだから。そんなのたまたま近くに住んでいただとか、親同士が仲良かっただけで、彼女が彰を自らの意思で選んだわけではないだろうに。魅力的な男子だったから彼女に見初められたってことではないのに。
ほんのちょっと前に知り合ったばかりの僕なんて、それこそ彼女には視界に入っているだけなのだろうと思うと、いたたまれなくなるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます