第18話 太郎②
「どうしたんだよ、一体何があったんだ」
「だめだ、もうダメだ」を繰り返す始末で、全然話にならない。
「あいつ、一人でウイスキー飲んでたから、連れて帰ったほうがいいかもしれない」
と同期の一人に言われた。普段そんな強いの飲まないはずなんだけど。早く酔いたくて、強い酒を手にしたのか。馬鹿な奴だ。俺の相棒のはずなのに、何考えてるか全然わからない。
それからも、奴は「もうだめだ」とか「もう終わりだ」とか「もう嫌だ」だとか、普段使わないような言葉を口にしていた。
クールな振りをしているくせに負けず嫌いだから、「もうダメだ」などと言うくらいなら、初めから手をつけないやつなのだ、俺が知ってるあいつはそういうやつだった。うっかり手を付けてしまっても、辞めたいときにはそれらしい言い訳をいくつも考えて、もっと賢くごまかすはずなのに。
「おい、何がもうダメなんだ?」
「もう、歌えない」
「何で歌えないんだ?」
「失敗するから」
「失敗なんて、今までだってしてたじゃないか」
「魔法が、とけそうなんだ」
こいつは何を言っているのだろう。
「今まで、お前、魔法使ってたのかよ?」
「ああ、そうだよ」
酔っぱらいの言うことは面白い、と思いながらも、笑わないように気を付けながら、先を続ける。
「なんで魔法がとけちゃうんだ?」
「あいつに、会っちゃったんだよ」
なんだか、話がファンタジー過ぎてついていけない。こいつ、映画の観すぎなんじゃなかろうか。
「あいつかあ、それは大変だったな」
「お前、知ってたのか?」
「ああ、あいつだろう、それくらい知ってるよ」
もちろん知ってるわけなかったが、適当に思いついた言葉で答えてみる。
「で、お前あいつとはどういう関係なんだ?」
「幼馴染だよ」
幼馴染? 話がだんだんメルヘンになってきている。なんだ、この展開は。
「ユウがいると、駄目だ、絶対間違える、またあの時みたいになる、頭が真っ白になって止まっちゃう…」
「大丈夫だよ、俺がいるから、俺が続けてるから、止まってもまた適当に始めろよ」
「お前もか!」
と彰が叫ぶ。酔っぱらいの叫び声は半端じゃなくて、思わずアパートの隣人を気にしてしまう。
「お前もあいつと同じなんだな。いい加減なこと言いやがって、どうせ俺を見捨てるつもりなんだろう !」
そうして、あろうことか突然泣き出したのだ。
「大丈夫、ユウがいるからって言ってたのに、…いなかったじゃないか」
こんなに感情をあらわにしている彰を見て、面白いやらうろたえるやら、どうしていいかわからない。変に慰めても、ふっとばされてしまいそうだ。
「お前、そのユウって人と、また話してみればいいじゃないか、なんで俺を捨てたんだって」
「先に扉を閉めたのはあいつだ。なんで俺から話しかけないといけないんだよ」
そうこうしているうちに、彰は寝てしまったようだった。
扉、という言葉がやけに重く響いた。
翌日は「頭が痛い」とうめきながら何度もトイレへ駆け込んでいたようだが、昨日のことはさっぱり覚えていないようだった。覚えているけれども、忘れたふりをしているのか。四年もつきあっているのに、謎多き男だ。仕方ないので、俺も何も訊かなかったふりをすることにした。
そんなことがあったから、数か月後に突然「辞める」と言われたときには、ああとうとうきたか、という気持ちの方が強かった。たしかにショックは受けたけれども、来るべきものが来た、という風だった。
今更一人でやっててどうなるんだろう。確かに俺から誘ったんだけど、彰がいなければアレンジもろくにできないし、俺だってもともと一人でやるのは心もとないからやつを誘ったわけだし。いっそ、そのユウって人を探し出して彰に戻るよう説得してもらおうかと思ってしまったくらいだ。ばれたら絶交されるだろうけど。
でも俺は、何となくヤツは帰ってくる気がしている。あいつがいなくなってから気づいたけれども、彼が「これは一人でやってくれ」と言って却下した曲は、歌詞が両想いのものばかりだった。あいつは片想いや報われない想いの歌詞じゃないと、歌いたくなかったのだな、と今ならわかる。自分ではうまく隠しているつもりなんだろうけど、ばればれだ。自分が思っていることでないと、歌えないのだ、正直すぎてあきれてしまう。あんなに力入れてそんなエネルギーを発散していたのに、その場がなくなってしまったのだ。そのうち音を上げるに違いないととみているのだが、どうなるのだろう。
それに、魔法だなんだ訳の分からないことを言っていたけれども、それって結局過去の思い出にしがみついていたいってことなんじゃないか。
なんだかよく知らないけれども、きっとピアノを辞めたことにその子との思い出が関係してるんだろう。
魔法なんてあるわけないだろう、ばかばかしい。でもやつにとっては、そういうことにしておかないと、都合が悪いのだ。彼女との思い出がいつまでも特別なものであって欲しいから、自分はもう音楽はできない、なんて悲劇のヒロインぶりたいのだ。何食わぬ顔して、平気に演奏できるようじゃ、彼の「その子をいつまでも慕っている自分」という像に傷がつく、とでも思ってんだろな、一人で勝手に。どんな美意識だ。理解に苦しむ。いつまでも子供だな、その子だってもうお前のことなんてどうでもよくなってるよ、いつまでも夢の中にいるのはおまえだけだ、さっさと目を覚ませとでも言ってやりたい。まあ、言わないけど。
早く自分で気づいて、戻ってきてくれないだろうか。こんなんじゃ、学生生活終わっちゃうだろうが。
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