第4話 幸三④

 最近の有泉は、部室にじっとしておらず、気づくと外に出ようとする。

「占いは?」

「どうせ誰も来ないでしょう」

 つんけんしながらそう答えると、その日もそそくさとどこかへ消えて行った。

 何をしているのかと尾行してみると、どうやらこっそり岩村さんと会っていたのだった。

 普通の女子大生だったら、ちょっとその辺で知り合った同性と、気軽にお茶を飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったりして親交を深めるのはさして珍しいことではない。しかし、彼女、有泉はそういう子ではない。少なくとも、僕はそんな彼女を一度として見たことはない。有泉の行動圏を網羅しているわけではないから、決めつけるようなことは言えないけれど、狭い構内なのだから、一度くらい友達と歩いているところを見ないのは不思議だとは思っていた。しかし、こうして誰かと歩いているのを見たら見たで、びっくりしてしまう。

 占いの話をしているのかな、とも思ったが、有泉は占いのアフターケアをするようなまめな性格ではない。仮にアフターケアーをしているにしても、あの有泉が、彼氏を作るためのアドバイスなんてできようはずがない。恋愛に関する実践力は、限りなくゼロに近いはずだ。

 ありがちな行動だと思いながらも、二人が楽しそうに話している背後にある茂みに近づき、こっそりと様子を伺ってみることにする。

「はい、どうぞ」

 と岩村さんが何やら、手の平に乗る程度の包み紙を有泉に渡している。

「ありがとう。じゃあ、私からはこれ」

 と有泉も、楽しそうに、鞄の中から取り出した何かを渡している。僕の目がおかしくなっていなかれば、手作りのお菓子を交換しているようにしか見えない。有泉がこのような女の子っぽい行動をとっているだなんて、一体何が起きたのか。

「ココナッツとレモンのクッキーなんですけど、有泉さんの口に合うかしら」

「ありがとう! 私、ココナッツだとかレモンだとか、どういうぜいたく品は普段買えないから、うれしい」 

 何が贅沢品だ、大袈裟なやつめ。

「私こそ、自分で育てたハーブでクッキー作ってるだなんて、本格的で羨ましいです。この間いただいたローズマリーのクッキーも、すごくおいしかったし。今回のマジョラムのクッキーもすごく楽しみです」

「今は乾燥ハーブしかないからバリエーションが少ないけど、春になったら、また面白いのができるよ」

 何か撮影でもしているのだろうか、と本気で思ってしまう。見渡してみても、もちろん、カメラを構えているような人はどこにもいないのだが。

 この寒いのに、よくまあ屋外で楽しくやってるよ、と思ったが、今日は普段より幾分暖かいようで、あたりを見渡すと、陽のあたる場所では何組かのカップルが楽しげにわいわい騒いでいる。気づけば、日陰に隠れて寒い思いをしているのは僕くらいのものだ。

 それから二人は、他愛もない話を続けていた。

五分ほど経った頃だろうか、

「よう、何してんだよ、幸三」

 突然、背後から低い声が響いた。ひえっ、と飛び上がると、成吉が仁王立ちをしている。

 有泉と岩村さんが、さっと振り返る。

「なに? あんた達、何なの?」

 さっきまでの和やかな雰囲気はあっけなくかき消された。ついさっきまで、あんなにやさしく見えた有泉の瞳、同じ瞳なのに、僕に向けられたまなざしは驚くほど冷めたい。

「ちょっと光合成をしてて……」

「人間に光合成ができるか!」

 と成吉が僕の肩を小突く。有泉に言われるならわかるが、何故君がそれを言うんだと思いつつ、後ろに倒れる、驚きのあまり声が出せない。

「ああ、大変!」

 岩村さんが、飛ぶように僕の元へやってくる。

「大丈夫? 今、頭打ったんじゃないですか?」

「大丈夫よ、どうせ脳みそ入ってないんだから」

 と有泉。

「お前、俺の友達に対してそんな言い方ないだろう?」

 と成吉。

「でも、私が言わなければ成吉さんが同じこと言ったでしょう? どうせ」

 有泉に言われると、成吉は悪びれもせず「当然だろう」と言った。

「二人とも、冷たいですね」

 岩村さんは呆れるでも非難するでもなく、ただ淡々と事実を受け入れるかのように呟いた。

 首に巻いていたマフラーを外すと、丸めて僕の頭の下に入れてくれる。

 有泉と成吉は、「平林幸三のためには髪の毛一本動かすまい」と心に決めているかのごとく、岩村さんのすることをただつっ立って眺めている。

 尾行の件をうやむやにできたのだから、不幸中の幸いだろう、と痛みと戦いながらもほっとする。むしろ、岩村さんがこんなに僕のことを心配してくれるのだから、返って倒れてよかったくらいだ。成吉に感謝の気持ちすら湧いてくるのだから、不思議なものだ。

 数分して、「もう大丈夫」と起き上がると、岩村さんは、「よかった」と笑った。なんというか、本当に可愛い子だなあと思ってしまう。

「じゃあ私、図書館行くので」

と言って去って行ってしまった。

「で、俺たちはどうする?」

「それは…」

 三人だけでここでおしゃべりを続けてみても、ろくなことにはならないだろう。「僕たちも図書館へ行こう」との僕の提案を、残りの二人はこれまた本能的に受け入れたようだった。

 とは言ったものの、僕も、彼らも、特に見たい本はなく、そのうち有泉は、ロビー脇の雑誌コーナーへと吸い寄せられていった。園芸関係の雑誌が視界に入ったらしい。僕と成吉はその付近に座り、比較的小声で世間話などを始める。ここで張っていれば、岩村さんはいつか必ずここを通るから、きっとまた会えるはずと淡い期待を抱きながら。

「あいつは本当に馬鹿だぜ」

 成吉は人を小馬鹿にするのが好きで、彼の話はしばしばこのフレーズから始まる。突然何を言い出すのだ? と驚きつつも、そうして聴いていると、意外と相手をよく観察しているのがわかる。いや、観察というよりも、パッと見ると相手がどんな人物であるかが、彼にはわかるらしい。後は、その第一印象をもとに、こういう特徴のある奴は大抵こういうやつだから、奴もこうに違いない、と仮定する。思い込みの激しいやつだ、と馬鹿にして聞いていると、しかしながら、不思議なことにその仮定はほとんどの場合当たっているのだ。

 親しくなってから、しばらくしてのことだった。自分の第一印象について尋ねてみたら、「こいつは一生俺の手下でいると確信した」と言われ、憤慨した覚えがある。普通の人なら、そう思ってもはっきり口に出すことはないだろう。しかし、腹を立てつつも「なんだ、それは。ははは」と笑ってしまう自分は、確かにそういう面を持ち合わせているのかもしれない。かといって、怒っても疲れるだけだし、どうせ成吉には響かないだろうし、悩むところだ。

 そういえば、有泉のことはどうなのか。特に成吉に彼女の第一印象を尋ねた覚えはまだないことを思い出す。まさか今本人を目の前にして訊くわけにもいかないので、今度さり気なく尋ねてみようと思った時だった。

「おーい」

 成吉の話に聞き入っていると、階段の方から声がした。そこにいたのは、彰だった。

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