第5話 幸三⑤

「彰も図書館なんて来るんだ」

「一応、僕も学生なんですけど」

 僕の問いかけに、彰は笑いながら答える。

「いつもギターばっか弾いてるのかと思って……」

「お前馬鹿じゃねえの」

 僕が言い終えるのを待たずに、成吉の低い声がした。彰に向かって言ったのか、と思いあたふたしたが、彼の視線が自分に向けられていることを知り、ほっとする。

 なんて、ほっとしている場合ではない。突然「馬鹿」と言われ、いつものこととはいえ放っておくわけにはいかない。

「何が馬鹿なんだよ」

「何でだと思う?」

「そうか、わかった、ギター弾ける友達がいるのに、僕たちの活動に勧誘しなかったからか。それは仕方ないよ、彼がやっているのはアコースティックギターだし、邦楽や洋楽が好きみたいだから、僕達とはジャンルが違うんだ」

「そんなこと言ってんじゃねえよ」

「じゃあ、他に何があるんだよ?」

 成吉は大げさに顔をしかめて、首を横に振る。

「音楽に通ずる者は、ギターだけ弾いてりゃいいってもんじゃないんだ。こうして、図書館の本を手当たり次第物色して格調高い文学に触れるだとか、音楽関係の本を読んで演奏法や歴史について学ぶだとか、時には外国語の文法や発音の勉強をしたり、その曲ができた時代背景を調べたりだな、図書館と音楽家は切っても切れない縁があるもんなんだ。それを、お前、このギター弾きのお友達に『お前も図書館来るのか?』だなんて、馬鹿にしすぎじゃねえのか? え? そういうお前は、一度でも音楽関係のことを真面目に調べようとしたことあんのかよ?」

「いいえ……」

「こいつにも、音楽にも失礼だ。どの面下げて生きてんだよ、おめえはよ」

 彰は、とうとう笑い出した。

「面白い友達だね。そう言えば、幸三君も音楽関係の部活やってるって言ってたよね。それ関係の知り合い?」

成吉が何か言おうとしているのを感じ取り、

「あ、こちらは成吉創君。こちらは須長彰君」

 慌てて紹介する。黙ったまま放っておくと、「お前誰だ?」とか「仲良くなれそうにない野郎だな」とかとんでもないことを言い出す場合もあるのだ。

「アキラか。ありきたりな名前だな。俺の周りに十人はいる」

ちゃんと紹介したのにこれか!? もう、僕はどうしたらいいんだ…。

 しかし彰は彰で、

「ハジメって名前の人は、僕の今まで会った中では、どうもシャイな人が多いようでね。成吉君、さっきからやけに攻撃的だけど、実はちょっとびびってたりする?」

 と笑って返した。おかしな奴だ。

 そんなことを言われて、成吉はどうするのかはらはらしていると、とりあえず微笑んでいるようなので、ほっと胸をなでおろした。

 そうして我々三人は談笑を始めただが、何か大事なことを忘れているような気がしてきた。

 僕は何が気になっているんだろう? 有泉を輪から締め出していることか? そんなの勝手に入ってこないだけだしいつものことだなあ…。

 彰の冗談に笑いながらも、頭の片隅で何かが“思い出せ”とささやいている。

 話題はいつの間にか、お互いがどこで僕と知り合ったのかという話になっていた。

「俺達が初めて会った時、講義室が変更になったってことをわざわざこいつが言いに来てよ、俺も変更になったことくらい知ってたのに、こいつ昔からおせっかいでよ」

 と成吉。

「それで、移動中に話してたら突然成吉君が涙を流したんだ。で、どうしたのかと思ったら、『勉強のし過ぎで目が痛い』とか言うんだよ。あのときは、笑いすぎておなかが筋肉痛になったんだよな」

 僕も負けずに言い返す。

「そんなことでいちいち笑えるだなんて、幸せな人だね、君は」

 彰も涼しげに微笑んでいる。

何を忘れてるのか、早く思い出さなきゃ……と思いながらも話を続けていると、

「有泉さん」

 女の子の明るい声が響いた。岩村さんだった。ここからほんの少し離れた場所で雑誌を読んでいる有泉に声をかけているのが目に入る。

やばい、と咄嗟に思ったのは何故だったのか。

「平林君さんと、もう一人の方は一緒じゃないんですか?」

 との問いに、有泉はこっちに顔を向ける。岩村さんもそれに倣ってこちらに顔を向ける。

「あ、こんにちは」

 微笑んだのも束の間、見る間にその顔が凍りつく。

 こちら側でも、つい数秒前まで微笑んでいた彰が、さっと笑うのを止めた。

 二人はしばしの間険しい顔で見つめ合っていたが、やがてどちらからともなく目を逸らした。

「幸三の馬鹿げた話は、他にも売るほどあるんだぜ」

 そこには、この様子に全く気づいていないであろう、成吉の笑う声だけが高らかに響いていた。

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