第3話 幸三③
僕も有泉も、現在大学の二年生である。僕たちが知り合ったのは数か月前、二年生になったばかりの頃のことだった。
有泉は、園芸部の部長をしている。僕らと知り合う前、彼女は園芸部の主である黒猫とともに、キャンパスから遠く離れた謎の部室で、一人で暮らしていた、ではなく活動していた。(ちなみに主は、主のくせに冬季はどこか近所の家の炬燵で生活するのが常とのことで、今は不在である)。
活動なんて偉そうなことを言いながら、彼女は、近くの藪を切り開いて細々とハーブを栽培したり、クッキーを焼いてみたり(オーブンは部の備品で電気代は結果的に学校が支払っているが)、園芸と何が関係しているのかわからないがタロット占いの腕を磨いたり。その他園芸と何が関係あるのかますますさっぱりわからない知識を磨くために、週に一度、リュックサックを背負って、電車二駅分離れた市内の図書館へ行き、各種さまざまな分野の本を大量に仕入れては、乱読したりなどしている。
また、先ほどからしばしば会話に登場する「成吉」という男は、一年生の頃から親しくつき合うことになってしまった友人のことである。彼は密かに園芸部の部室を狙っていて、有泉となるべく鉢合わせないよう気にしつつも、隙をみてはこの部室に通っている。部員が多い方が学校からの補助が増えるらしく(というより僕らが名前を貸しているから辛うじて部として成り立っているのだが)、帰属意識はなるでないものの、僕も成吉も、一応園芸部員ということになっている。
有泉とは全くそりが合わないように見えながらも、成吉は、フォルクローレのテープを聴くことを許可している代わりに、有泉の作るクッキー(直径三十センチ程の、クッキーの空き缶に入って机の真ん中に置いてあるのだ)をこっそり食べてもお咎めを受けないらしい。ちなみに、僕が食べると何故かいつも見つかってしまい、ほんの数枚しか食べていないのにも関わらず、国産小麦粉一キロを自費で買ってくるよう命じられたり、クッキーとは何ら関係ない木イチゴの実を籠一杯採ってくるよう命じられたり、こき使われるのだった。
そんな小競り合いを経て、ようやく落ち着いてきた今日この頃だったのだが――いつも事は突然起こる。ある日、道端でばったり合った成吉が、すれ違いざまに「俺、急に金が必要になったんだ」と言ってきたのだ。
それまで、成吉はそういったカツアゲまがいなことはしてこなかった(まあ、普通しないだろうけど)。それどころか人にお金を借りるのは嫌いらしく、数円足りないばかりにおにぎりを買えなかった場合ですら「お前の施しなんぞいるか」と断るほどだった。その成吉が、突然「あの女に伝えとけ、今後も南米音楽を聴きたければ、今月中に三万円払えってな」などと言ってきたのだ。
「そんな、有泉さんにそんな大金払えるわけないよ。あの人、夏は畑で野菜を作ってるからあまり食費がかからないらしいけど、冬は食べる物がなくていつも困ってるみたいだし、あまりにも可哀想なんじゃない? せめて夏にしてあげたら?」
そんな僕の言葉を、成吉は冷ややかな表情を浮かべながら聞いていた。
「下らねえこと言ってんじゃねえよ。俺は今すぐ金が欲しいんだよ。金がないなら、占いでもして儲けろって言っとけ」
成吉は、そう言うと先ほど述べたポスターを薄っぺらい鞄から取り出したのだった。
やっとのことでそのことを有泉に伝えると、もちろん彼女は「馬鹿言わないで」と怒り狂った。
しかし、彼が本気だとわかると、有泉はその理不尽な条件を受け入れることにしたようだった。彼女にとって、いつの間にかフォルクローレのカセットテープは、それほどなくてはならない存在になっていたということなのだろうか。
成吉と仲良くしている限り、彼女はきっと僕に気を許すことはないだろう。
思えば出会ったばかりの頃も、僕は有泉を欺いていた。その頃の僕は、南米音楽研究会を作ろうと試みていた成吉にだだをこねられ、園芸部の部室を奪うべく、入部希望者の振りをして有泉に近づいていたのだ。間もなくそのことがばれて、彼女とは一度決別した。しかし、紆余曲折を経て、いつの間にかわだかまりも消え、僕らの間にも平穏な日々が訪れたかのように見えたのだが…、そこでまたこの成吉の命令だ。
しかし、ここでもし成吉のわがままにもつき合ってあげなかったら、一体どうなるのだろう。おそらく彼は、「もうお前なんて友達じゃない、これからはただの通行人だ」などと言って去って行くのだろう。少なくとも、以前仲間を抜けたやつはそう言われていた。もしそんなことになったとしたら――こちらも望むところだ、と思う反面、不思議なことに放っておいてはだめだと思う自分もいるのだった。
そう、僕たちが出会った頃、成吉は常に一人だった。入学して間もない頃だったが、他の学生は次々と友人を作って楽しそうにしていたのに、成吉だけはいつも一人でぽつんと離れたところに座って講義を受けていた。ある日、突然講義室が変更になったときも、伝言ゲームの輪から外れていた彼には伝わっていない様子で、見かねた僕が声をかけたのだ。
今でもあのときのことははっきりと覚えている。僕が話しかけた瞬間に、彼の態度が変わった。どこか大人しそうで、自信がなさそうにしていたのが、その瞬間から、彼は居丈高な態度をとるようになった。そうして、僕がそんな彼を受け入れてから、二人の関係はそのまま変わっていないのだった。
今、成吉は多分、僕と有泉が仲良くなることを嫌がっているのだ。ただ単に子供のように、友達がほかの人に取られてしまうことにやきもちを焼いて、駄々をこねているのだ。だからこうして、僕らが仲良くなりすぎないようにちょっかいを出しているのだ。本当に、めんどくさい奴だ。
そんなことを思い出しながらふらふらしていると、有泉が食堂に入って行くのが見えた。僕も慌てて後を追う。
「よう」
有泉が学食でご飯を食るだなんて珍しい。普段は弁当持参で昼食は部室ですませているはずなのに、どういう風の吹き回しだろう。僕はさっきパンを食べたばかりだったが、かけそばを取ると、同じテーブルに座った。
「なんか用?」
「別に、ただ座っただけだよ」
「こんなに他のテーブルが空いているのに、わざわざ、さして親しくもない赤の他人の半径一メートル以内に座るからには、何かやむを得ない事情があるのか、と訊いてるの」
僕は気にしない振りをしながら、そばを食べた。
有泉も、無言で野菜炒め定食を食べ続けた。食べ終えると、僕には目もくれずにさっと席を立ってしまった。僕も慌てて立ち上がり、影のようにささっと後をついていく。
彼女は生協の本屋さんへ向かい、ハードカバーのコーナーで立ち読みを始めた。
「何読んでるの?」
「平林君は一生かかっても最後まで読めない本」
取りつく島もないな、と思っていると、
「おーい」
誰かに後ろから肩を叩かれる。
振り返ると、彰がにやにや笑っている。
「もしかして、君達、恋人同士なわけ?」
どうやって否定しようか考えていると、僕が答える前に有泉が、
「太陽が西から昇る世界では、そういうこともあるかもしれないわね」
と答えていた。
平静を装っているが、彼女がほとんど面識がない人に向かって、個人的な会話でこんな長い文章でしゃべるなんて、珍しい。ひょっとすると、動揺しているのだろうか。僕はにやにやしていたが、有泉は気分を害したのか、本を置くとさっとどこかへ行こうとする。僕たちはとっさに子犬のようについて行く。
外に出てしばらく歩くと、あろうことか、岩村さんらしき人がベンチに座ってるのが目に入る。
「有泉さん、あの子」
そっとささやくと、有泉は、ああ、と呟く。
「声かけてみようよ」
「守秘義務」
占いで知り合ったからと言って、気軽に声をかけてはいけないということらしい。人によっては、自分が占いに足を運んだということすら隠したがることもあるのだ。ましてやここは、大学構内という必要以上に狭い世界である。
声をかけることは諦め、それでも何となく彼女の話をしたかったので、彰に話を振ってみる。
「ねえ、あの子可愛いと思わない?」
「あいつと知り合いなのか?」
彰の表情が一瞬曇る。
「いや、知り合いっていうか…」
言い淀んでいると。
「じゃあ、僕は用事があるから、そろそろ失礼」
彰はそう言うと、回れ右をして今来た道をそのまま帰る形で、どこかへ行ってしまった。
「あの二人、知り合いなの?」
と問いかける有泉に、僕は「さあ」と言うしかなかった。
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