第2話 幸三②

 何が来たのか? と思いながら待っていると…三十秒ほどした頃だろうか、かすかなノックが聞こえた。

「はい」

 答えてみたものの、返事がない。

 有泉はさっと立ち上がると、ドアを開けた。そこには、細い目をいっぱいに見開いた女の子が立っていた。

 身長はそれほど高くなくて、気持ち小柄な輪郭、ショートボブの黒髪が清楚な雰囲気を醸し出し、さらにワインレッドのマフラーが色の白さを引き立ている。ほっそりした足にはぴったりになりすぎないジーンズ、コートの色は白に近いベージュで、マフラーとジーンズの濃い色をうまい具合に調和している。

「あの、占いしてくれるって聞いて……」

「はい、こちらにどうぞ」

 僕はにこやかに、彼女を部室の中に招き入れた。

 有泉は彼女に気づかれないようにしながらも僕を睨んでいる。何故さっさと部屋を出て行こうとしないのか、不審に思っているようだ。

 僕がなぜ退室しないのか。理由は簡単で、その子があまりに可愛くて、立ち去れなくなっていたのだ。

 有泉は諦めて占いを始めることにしたようだった。机のこちら側には僕と有泉、向こう側にはその子が座ることになった。

 彼女は席に着くと、茶色い皮のトートバックからお財布を取り出し、おもむろに千円を取り出した。驚く有泉を横目に、僕はできるだけ笑顔でそのお金を受け取った。

「じゃあ、今日は何を占いましょうか」

 まだ何かをためらっているような有泉をしり目に、話を始める。

「あの、私、なかなか彼氏ができなくて…」

 そう言ったきり、彼女はうつむいてしまった。僕じゃだめですか? という言葉を懸命に飲み込む。

「わかりました、では名前を教えて下さい」

「岩村ユウです」

 有泉に、早く占いを始めるよう目で促す。有泉はしぶしぶという様子だったが、しかしカードを手に取るとしゃきっと背筋を伸ばし、覚悟を決めたようだった。

 カードをシャッフルし、一つにまとめたあと、裏返したまま扇形に並べる。

「それでは、一枚引いて下さい」

 彼女は少し緊張した様子で頷くと、一枚カードを引いた。

 表に返すと、そこには、男の子と女の子が向かい合って立っている絵が描かれていた。このタロットは西洋で発売されているものらしく、海外のおとぎ話の絵本に出てくるような絵柄だ。少年は、白い花が植えられた黄色の器を両手に抱え、少女に手渡そうとしている。場面は屋外で、背景にはお城のような建物が描かれている。

 岩村さんは、そのカードを見てはっとしたようだった。

「タロット、知ってるんですか?」

 と有泉。彼女は首を横に振る。

「このカード、なにか驚くようなことが描いてあります?」

 有泉に問われ、彼女は再びじーっとカードを眺める。

「わかりません、でも、この絵をどこかで見たことがあるよう気がして…」

「このカードが、問題の核心を表しているってことになるんですけど……、何だろう、このカードは、郷愁とか、ノスタルジー、過去を懐かしむとか、そういう意味があるんです」

 岩村さんは、一瞬何か言いたげな様子を見せたが、そのまま言葉を飲み込んだようだった。

「そうですね」

 一呼吸置いてからそう言うと、微かに微笑んだ。

「どうもありがとうございました」

 そう言い残し、静かに出て行ってしまったのだった。

 残された僕達は、顔を見合わせた。

「まだ五分も経ってないんだけど」

 僕が言うと、

「あの人、満足したのかな? こんなに早く帰っちゃって」

 有泉も首を傾げている。

 少なくとも僕は満足していないと、心の中でつぶやく。

「あの人、何で先に料金払ってくれたんだろう?」

 僕は、有泉のちょうど背中と向かい合うように張ってある、料金先払いの紙を指さした。有泉はあからさまに顔をしかめた。

「ねえ、今日はもう終わりにしよう。私、もうこれ以上占いたくない」

「でも、まだ四時だ。ポスターには五時までは営業してるって書いちゃってあるし」

 掲示板に、~タロットが教えてくれるあなたの真実~ というタイトルから始まるポスターを貼ったのは、数日前のことだった。そこで営業時間を火、木、金の十五時~十七時、他応相談、と定めているのだ。

「でも、今日はちょっと……」

 そうこうしているうちに、再びドアがノックされる。気持ち強めのたたき方、男か? と思いながら「はい、どうぞ」と言う。現れたのは見知ったやつだった。

「あれ、彰」

「おお」

 彼、須長彰とは、いつだったか彼が所属するフォークソング部のライブで知り合った。同じ学年で、一応友達と言っていいくらいの仲ではある。

「お前も占ってくれるのか?」

 などと言いながら、千円札を差し出す。とっさに書いた走り書きが有効に働いてくれることに満足し、満面の笑みでお札を受け取る。

「僕は単なるアシスタントだ。なんだ、この間話したらけんもほろろだったのに、実は彰も占いに興味あったんじゃないか」

「まあ、平林があれだけ宣伝してたから、一度くらい見てもらってもいいかなと思ってさ」

 有泉の、睨みつけるような視線を感じる。僕は彼女に占ってもらったことなど一度もなく、なぜ自分が体験してもいないものを宣伝できるのだ、と非難しているのだ。まあ、仕方ない、いちいち気にしていたらやってられない。

「では、何を占いましょうか」

 有泉はぶっきらぼうにつぶやく。

「うーん、俺、留学しようかどうか迷ってるんだけど。それで、どうかなって思って」

「え、そうなんだ。初耳だなあ」

 横から口を挟むと、有泉にひじ打ちされる。

「まあ、二週間の語学留学なんだけど。まだあんまり人に言ってないから、なるべく他言しないようにしてくれよ」

 僕達が話しているうちに、有泉はさっきと同じようにカードをシャッフルし、ひとつにまとめ、扇形に並べた。

「では、一枚引いて下さい」

 彰はにやにやしながら一枚引いた。しかし、出てきたカードを見た瞬間、顔色を変えた。

「あれ、これさっきと同じ…」

 言いかけた僕に再びひじ打ちを食らわせると、有泉は「これが問題の核心を表すカードです」と、幾分小声で呟いた。

「問題の核心? 何だ、それ」

 怪訝そうな面持ちの彰に、有泉はさっきと同じ説明を始める。

「このカードの意味合いとして、郷愁とか、ノスタルジー、過去を懐かしむだとか、そういうのがあって……」

 彼は説明が終わるのを待たずに、「なんかいいや、やっぱ」などと言いながら立ち上がる。素っ気なく礼を言い、立ち去ってしまった。

「何あれ。さすが平林君の友達だね、変人」

「いや、いつもは普通なんだけど。なんだか様子がおかしかったなあ」

 あのカードを見るまではいつも通りだったと思うのだが。

「ねえ、今日は二千円も稼いだし、もういいよね?」

「まあ、そうだね」

 有泉はその言葉を訊くと、嬉々として外に飛び出し、「営業中」となっていたかまぼこ板をひっくり返し、「閉店」にした。

「ねえ、有泉さん、今更だけど、今日使ってるカード、いつものと違うんじゃない?」

 タロットのことはよく知らないのだが、いつも有泉が使っているカードはやたらと植物の絵が描いてあって、色調も緑が多かった覚えがあった。しかし今日使っているカードは、緑色はあまり使われておらず、どちらかというともっとラフで乾いた印象を与えるもののようだ。

「いつも使ってるのは、ハーバルタロットっていう植物をモチーフにしたものなの。でも今日は自分のカードを家に置いてきちゃったから、部室に置いてあるのを拝借してたの」

「だから、占いに積極的じゃなかったんだ」

「よくそんなに気が利かなくてアシスタントを気取れるわね」

 いつにも増して料金を取ることに消極的になっていた理由が、ようやくわかった。意外と律儀じゃないかと思うと、ちょっと可愛く見えるから不思議だった。

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