冬の終わり

高田 朔実

第1話 幸三①

 二月も後半に入り、まだまだ寒い日が続くのに、その部屋には一台の古い灯油ストーブがあるだけだった。絶えず差し込む隙間風といい、そんなちっぽけな暖房器具一つで太刀打ちできるような寒さではない。それ以前に十分な灯油を買うお金がないので、ストーブに火が灯るのは、原則としてお客が来るときだけということになっているのだから、たまったものではない。

 ストーブが点いているにも関わらず、極寒の掃除用具ロッカーの中ではその恩恵は受けられない。ぶるぶる震える音が聞こえないよう祈りながら、数ミリほどの隙間から、テーブルを挟んでやりとりする二人の姿をじっと見守る。

 手前にいる女の子は、絵に描いたような今どきの子だ。少し明るい色の、パーマがかかった長い髪に、お化粧もばっちり、花柄のスカートとブーツ。普段こんなあばら家を訪れることはないのだろう、コートとマフラーはしっかり身に着けたままで、それでも寒そうに肩をすくめている。名前は、たしか鈴木さんとか言っていた。

 もう一人の女の子は、タロットカードを手に、鈴木さんのために占いをしている。

「この悪魔というカードは現在の状態を表すもので、鈴木さんの場合は……」

「悪魔?」

「そう、このカードには、道徳を守るよりも、本能の赴くままに行動するだとか、そういう意味合いがあります」

 鈴木さんの顔がみるみる曇って行くのがわかる。僕はひっそりとため息をついた。

「あんたにそんなこと言われる筋合いないんだけどっ」

 鈴木さんはパンっと机をたたくと、鞄を引っ掴んでつかつかと出て行ってしまった。ドアが打楽器だと錯覚しているかのような勢いで、力強く「バンッ」と閉めていくのも忘れなかった。

「ああ、ただでえぼろい机とドアなのに、ひどい。思いやりのない人。恋愛相談に来る前に、まず日頃の行いを改めなさいよ」

 憎まれ口をたたく有泉は、占い部ではなく、園芸部の部長である。

「相変わらずきついよな、有泉さん。僕だってもう少しましなこと言うよ」

 掃除用具のロッカーから飛び出すと、ここぞとばかりに渋い顔をして見せる。

「私がきついんじゃなくて、性格がきつい人ばかりが来てるってことでしょう。私は、出たカードについて、普通に伝えているだけなんだから」

「突然“悪魔”なんて言われて、怒らない人いないよ」

 彼女はきょとんとして、

「私、別に鈴木さんのことを悪魔みたいって言いたかったわけじゃないんだけどな」

 と言う。机の上でタロットを軽く数回シャッフルすると、言葉とは裏腹にどこかほっとした様子でポーチにしまった。

「それにしても、寒かったな」

「ロッカーの中に隠れたりするからいけないのよ。普通に、ドアから外に出ればいいじゃない」

「そうだったな」

 ノックの音を聞いて、なぜかとっさにロッカーに隠れてしまったのだ。有泉は、占いの現場を見られるのをとても嫌がるのは知っているけれども、考えるひまがなかったのだから仕方がない。さすがに、占いを始めようとした途端にロッカーから人が出てくることを考えたら、無視しておく方がまだましだったのだろう。どうりでイライラしているわけだ。

「で、お代は?」

「ない」

「前払いでもらえっていったのに」

「だって」

 有泉は不機嫌な様子で僕を見る。

「まあ、一応聞こうか。だって、何?」

「代金は、占いに満足してもらった見返りとしていただくものだから、ああいう風にすれ違っちゃって、もちろん感謝なんかされていないときにもらっても、ちっともうれしくないんだよね。それに私は占いには自信あるけど、『こんなのインチキじゃないの』って顔してる人から『この詐欺めが』って態度でもらうの、好きじゃないの」

「じゃあ、とっとと違うバイト探すんだね」

「あんたも段々成吉に似てきたわね」

 有泉は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 違う、と言いそうになりながら、考えるまでもなく、今の態度は友人の一人である成吉創に幾分似ていたように思われる。あの、横暴で身勝手な男に。

「だからなんだって言うんだ。それより、期限までにちゃんと払ってくれるんだろうね?」

「あのさ、期限とかノルマとか云々の前に、成吉はそのお金で何をするつもりなの?」

「知るもんか」

「ふうん、じゃあ平林君は、あいつがやれって言ったら、理由もわからないのに、なんでもお願いきいてあげるんだ。優しいね」

「まあな」

「なんで?」

「友達だからだ」

 有泉はわざとらしく、声をあげて笑い出した。

 あからさまに馬鹿にされるのは不愉快だが、仕方がない。それほどなんでもかんでも言うことを聞いてあげているわけではないのだが、たまにふと我に返ると、確かに甘やかしすぎなのかもと思ってしまうこともあるのもまた事実。しかし成吉は、相手にしてあげないと、何をしでかすかわからない相手である。多分、今だって本当はお金が必要なわけではない。どうせ、僕が有泉と仲よくなりつつあるので、やきもちでも焼いているのだろう。

 こういうやり方で僕達の仲を裂こうとするのは、理解に苦しむほど子供っぽい方法だ。わかってはいるけれども、断ったとが最後、彼は多分瞬間的に荒れ狂い、しかしその状態は長くは続かず、「お前も所詮俺なんてどうでもいいんだろう」などと言いつつ僕の元を去って行くだろう。彼はそうやって自分を追い込んでしまう癖がある。あまりに容易に予想できてしまうので、勝手に怒っていればいいと思う反面、ちょっと可哀想な気もしてしまうのだ。

「いいね、友達って。便利屋に頼む手間賃が節約できてうらやましい。私も欲しいなあ」

 有泉棚にある缶から乾燥させたハーブを取り出すと、湯を沸かし、ハーブティーを淹れる。大きいポットを使いながら、当然のようにカップは一つしか用意していない。

「僕にはくれないの?」

「当然でしょう」

 と嬉しそうに言う。これは、僕に嫌がらせをした後に、口癖のように「当然だろう?」と言い残す成吉の口調を真似ているのだ。さらに有泉は、「あったかーい、幸せー」と、これ見よがしにつぶやく。普段感情を表す言葉をほとんど使うことのない彼女がこんなことを言うなんて、明らかに僕への当てつけだった。

 気にしないふりをしつつ、その辺に置いてあった反故紙の裏に、「一件千円、料金は先払いでお願いします」と筆ペンで書き、壁に張りつける。そのまま何をするでもなく、埃をかぶったプレイヤーで音楽をかけながら、それぞれ本などを読んでいるうちにときは過ぎていった。

 有泉は分厚い植物図鑑を熱心に眺めているようだ。ちょっと小柄で、真っ黒な髪はショートカット、ぱっちりした黒い目。黙っていれば可愛く見えないこともない。服装はジーパンにセーターなど、見た目よりも動きやすさを重視した格好が多いが、たまにエスニック風のロングスカートなどを穿いたりしている。そんなときは、ちょっとはっとすることもある。

 彼女は大学内ではちょっと知られた存在だが、それは行動の特異な点においてだ。 構内に植えてあるビワの葉や、スギナやタンポポなどを収穫して薬草として活用しているだとか、朝海辺で礼拝している姿を見かけただとか(単にヨガのポーズをとっていただけらしいけど)、常にハードカバーの分厚い本を読んでいて怪しい、だとか。どれも、冷静に考えるとそれらはごく普通の趣味の範囲に入ると思うのだが、彼女の場合は一人で行動していることが多く、さらに黒猫やカラスに話しかける姿が目撃されていたり(実際は黒くない猫やキジバトにも話しかけているのだけれど)、占いが得意らしいと言われていたり、そんなところが人目を惹くようで「あの魔女みたいな女」とささやかれているのである。実際接してみると、案外とぼけていて、こやつが魔法なんて使えるわけはないだろう、とすぐにわかるのだが。

 有泉を盗み見ながら、BGMに耳を傾ける。今流れているのは、成吉が持ってきたカセットテープの一つで、主に南米のアンデス地方で演奏されている、フォルクローレというジャンルの曲である。有泉と成吉は犬猿の仲だが、有泉がどうにか成吉を排除しないでいるのは、これらの音楽を聴くためのようなのだ。普段あまり感情をあらわにしない有泉が、子供が子守歌を聴いて喜ぶように、これらの音楽を聴きながら、無表情ながらも体をゆすっているのをときおり目にする。

 僕は時々不思議に思う。カセットテープなんて、こっそり全部録音してしまえば、さっさと突っ返せるではないか。それに、有泉がちょっと本気になったら、成吉の子供っぽい嫌がらせなんて、それこそ幼稚園児が段ボールで作った家のように一瞬で壊せるはずなのだ。なぜ馬鹿みたいに耐えているのだろう。

 想像の世界を彷徨っていると、有泉は突然、

「来た」

 と言った。

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