3-4 close to your trues

 ドアノブにかけた手を、そっと下ろす若菜。

 背後からした良二の声に、随分な違和感がある。瞼を上向け、眼球を左へ左へと回し、顔、肩、胴体、爪先と、振り返る。

「今、なんか……」

 視界に捉えた良二が、耳を顔を首を赤く染めている。目を見開いて、それを凝視。


 ぎゅん、と寄る眉。

 への字に曲がる、引き結ばれた口元。

 赤みが増しているように見える、良二の顔。


「かっ、かて、勝手な勘違い、してんじゃ、ねーよ」

「勘違っ。そっ、それは柳田さんの方がっ」

「聞け、若菜」

「んぬ?!」

 いつもよりもわずかに大きく歩幅をとって、良二は応接ソファを越えて近付いてきた。

「なっ、今な、名ま、名前っ、名」

 六歩手前でピタァと止まる良二。つられてカアッと全身を染め、心臓を激しく打ち鳴らす若菜。

「ダセェことを、今から、言うけど、隠して伝わんねーんじゃ、意味ねぇって、思い直したからだからな」

「は、はい?」

「オマエが勝手に、腹の内をだな、その、ベラベラ言うから」

「な、わっ、私のせいですか?」

「や、違っだ、だァら。聞けって」

 どこか、わずかに優しい、良二の声色。「聞け」の意味が、「聞いてくれ」だと簡単にわかるようになった若菜は、スンと鼻を啜り、口を閉ざす。

「つ、つまりその、俺は」

 真っ直ぐに見つめてくる、良二のまなざし。生唾を呑んで、呼吸すら潜めて。

「オマエに、腹の内をだな、話すから。ちゃんと」

「は、らの、内?」

「俺も他人ひとの気持ちだの、わかんねーように、その、他の奴も、俺の気持ちだの考えだの、わかんねーんだなって、理解したっつーか」

 逸らされない視線。きゅん、と上下に狭まる目頭。

「お、オマエと一緒にいて、わかったこと、でよ」

「そ、へ?」

「だから、ちゃんと話させろ。俺の本心が、そーじゃねぇってこと」

 口をぽっかりと開ける若菜。

「もう、後ンなってからあーだこーだ悔やむの、嫌なんだよ」

 言いながら、良二はジャケットの腰ポケットから白いケースを取り出した。「目渇く」と小さく言い残し、若菜に背を向け俯く。そうしてコソコソとしながら、その白いケースへ何かをしまう。

 再び照れくさそうに振り向いた双眸そうぼうは、白銀のそれだった。


 なにも、目が渇いていたわけではない。本心を言うために、色付けていた『余計なもの』を外しておきたかったわけだ。

 『本当だけ』を伝えなければと、カラーコンタクトカッコつけを自ら取り払うのは、良二にとっては相当の覚悟を要する。


 やっとのことで若菜を一瞥いちべつし、しかし即座に視線を左下へ流してしまう。照れ恥じらいがなかなか退かない。コンプレックスの曝け出しと、安定の気持ちを同居させることは、良二にとってはほぼ不可能なことで。

「さっき、その、出てけって散々言ったのは、テ……オマエが世間様に認められた能力に、ケチつけたかったわけじゃ、ねぇんだよ」

 低いその声は、いつもよりも小さい。細くもろく、自信のなさそうな、酷く弱った声色。言葉の真意がわからない若菜は、眉を潜めて首を傾ぐ。

「『良かったな』って、ちゃんと思ったんだ。俺らだけじゃなくて、外からも認められたのは、オマエが辛かった時期にやってきたこと、報われたみてぇな。なんかそんな気がしたし」

 誤解なく、すんなりと良二の言葉が胸に染み入る若菜。

「けど、そう思ってんのに、離れていくことをオマエが言ってくっかもって考えると……いや考えなくても、なんか、無理だと思って。だんだんその、腹立ってきて」

「…………」

「だから先に俺の方から、オマエを解放してやれば、その、お、オマエも俺も、ぐちゃぐちゃしなくて済むのか、とか、思ったっつーか」

 ゴニョゴニョとしながら、再び左下へ逸れてしまう視線。首の後ろへ、左掌を持っていく。

「俺が私利私欲をてりゃ、その、オマエがずっと夢みてたこと、叶えられるんじゃねーのかって思ってたんだが」

「わ、私の夢?」

「だ、だァらその、あれだ。『自分と似たような、笑い方忘れた奴らを笑わせる』っつーの? あれ、オマエの『縫製技術求められてる能力』で、さっきの話に乗れば簡単に叶うだろって、思って」

「だから、解雇解雇って、あんなに?」

 返ってきたのは、かすかな首肯。ぐしゃ、と若菜は顔を歪めた。

「もう。自分の気持ち、そんなにないがしろにしないでくださいっ」

「別に、ないがしろにしてたわけじゃ」

「言ったじゃないですかっ、裁縫関係でどうなるつもりはないって。それ無視して追い出そうとしたって私、出ていきませんよ」

 若菜へ戻ってくる、良二のまなざし。対面の頬の赤みに触発されて、良二はその深層部分を口にしていく。

「は、離れてほしく、ねーのに、なんかその、突き放すことしか言えねーし、俺。そーいう自分にも、その、歯痒いっつーか、ホントは」

 首の後ろにやっていた掌で、口元を隠す。

「えと。オマエなら、ここに居たままあの仕事引き受けたって、マジックの練習とも秘書の仕事とも平行して、絶対やりこなせる。俺様が言うんだから、それは一〇〇%だ。けど──」

 口元から掌を剥ぎ、くしゃ、と前髪に触れた良二。

「──そーゆーの引き受けたあとの、オマエの許容量キャパも、し、心配になった」

 許容量キャパなどという言葉をよく覚えていたなと、じんわりの若菜。

「ここに来てからのオマエ、毎日、俺のためにって、全力で動いて。お、オマエと毎日ギャーギャーやんの、知らねぇうちに、楽しみになったりして、頭おかしいんだけど。そっ、そーゆーの、かっか、かん、感謝、してるっつーかだな。だァら離れて欲しくねーっていう、その、私利私欲が」

 小刻みに下顎が震える若菜。沸き起こる感情に胸が詰まる。

「オマエにいいことある度に、ここに居る意味どんどん無くなってくの、キツかった。意味無くなるっつーことは、秘書辞めて別ンとこ行くってことだし、だな」

 口を窄めて、続きが細く告げられる。

「その、オマエに居なくなられたら、かなり困んだよ、俺」

「柳田さん……」

 更に赤に染まっていく頬が、わずかにふるふると震えている。


 怖くなるほど、良二の素直な気持ちが初めて言葉になり、排出され、提示され。それらはゆっくりとじっくりと、若菜に降り注がれ、与えられた。

 良二の内情をまっすぐに受け取ることで、双方の何かも同時に充たされる。


 言葉を詰まらせた良二は、長い溜め息を挟み、若菜を向き直った。

「昔、『兄貴』が勝手に離れてって、勝手に外国行ったのが、正直ずっと腹立ってて。だからアイツから目を背けてる、と思う。祖父じいさんが死んだときもそうだった」

 薄い下唇をひと舐めする良二。

「だからさっき、オマエがマジで出ていこうとしたのが、ムカついた。怖さ感じてる俺自身に腹立つし、また『独りになる』んじゃねーかって、焦って」

 やっぱりか、と密やかに納得する若菜。

 スラックスポケットにそれぞれ手を突っ込み、じりりと二歩、良二から距離を詰める。

「オマエまで俺から勝手に離れていくな。なんでも一人で決めたり、さっさと進んで行くな。もう……もう独りに、なりたくないんだ」

 消えてしまいそうな弱い声。

 最奥の気持ちを絞り出した良二は、まるで幼い子どもの表情だった。サムとエニーよりもはるかに幼い、知らぬ土地に独り取り残された迷子のような。

「…………」

 瞼を伏せた若菜は、わずかに口角を持ち上げて、良二と同じ二歩分を進む。

「『自分と似たような、笑い方忘れた奴らを笑わせる』ってやつ。身近に居るんですよね、私」


 ゆっくりと持ち上がっていく、若菜の右腕。

 それは吸い寄せられるように、良二の痩けたような左頬に近付いていく。


「自覚してくれるまで何回も言います。私、柳田さんが毎日楽しいと思ってもらえるのが、一番嬉しいんです。柳田さんをちょっとでも笑顔にすることが、いつの間にか、私の目標と目的になってたんです」

 ひた、と触れる、若菜の右手の指先。中指、薬指とわずかに触れて、そこがじんわりとしてくる良二。

「これからだって柳田さんと、喧嘩も、コントも、師弟も、仕事もやってく。それが私のホントの幸せになったんです。私だけは、柳田さんの私利私欲に向き合い続けて、ただ柳田さんの傍に居たい」

 マジで、と加えた若菜は、出来る限りの笑顔を向けた。

「いいのか、それで」

「何言ってんですか。しつこい男はモテませんよ」

「…………」

 込み上げる何かを堪えるように、良二の眉間が詰まっていく。白銀の瞳が、わずかに揺らめいたような気がする若菜。

「……バァカ」


 スラックスポケットから抜かれる、良二の両腕。

 やがてそれは若菜のくびれのない腰へ伸び、回され、引き寄せられ。

 若菜の左肩に埋まる、良二の頭部。赤茶けた頭髪が若菜の頬にくすぐったく触る。

「今だけ、ちょっと」

 囁きに似たその小声は、かすかに震えている。

 よしよし、となだめるように、若菜は震えるその背中に右手を添える。

「いいんですよ。寄りかかるとこにしていいんです」

「……ん」

 人の温もりなど、祖父が逝ってしまってからはすっかり忘れていた。若菜へは、格好悪い本心を曝け出しても、そこまで恥ずかしくはないと思えた良二。


 甘い匂いがする。懐かしい、いい匂い。

 逝ってしまった、両親のような。


「コントはやってねぇよ」

「ツッコミ遅いんで無効です」


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