2-4 challenge the surprise

 週明け月曜日──若菜自宅上階 衣装作成部屋。



「でっ、出来ました! 若菜さんっ、出来ました!」

「マジ?! 見して見してっ」

 差し出された布地を手にした若菜は、頬が紅潮していくのを自覚した。

「おおー、めちゃくちゃ綺麗に出来たな! 蜜葉、マジで初心者?」

「そ、そんな。なん、なんとか、って感じです。いっぱいいっぱいで、まだまだ、です」

 顎を引き、首までを真っ赤にして俯く蜜葉。

 未踏の分野に挑戦している過程で褒められることは、蜜葉の幸福であり、そして熱意へ変わっていった。


 蜜葉がやっていたのは、袖口の刺繍。初歩的な並縫なみぬいや返し縫いから教わり始めて、一週間も経たないうちに、先に刺繍を覚えてしまった。

「若菜さんの、針の動かし方、をきちんと、こう、細かく見られたのが、とても勉強になりました」

「ホント? ゆっくりやってとかそういうのあったら、遠慮しないで言ってな」


 実は、若菜は特別上手く言葉で教えられたわけではない。


 若菜の教え方のほとんどが『雰囲気』で、感覚的な説明が続いている。裁縫経験のほとんどない蜜葉には、なかなか円滑に伝わらないのが現状だった。

 わからない箇所があっても、蜜葉の遠慮がちな性格によって、はっきり「わからない」と伝えられるわけでもない。しかも、若菜の感覚的技術だけが、良二の言うように、確かに超能力のように見えてしまっている。

 蜜葉自身のそれなりの集中力と、どうにか若菜の意向を汲み取ろうとする気力だけで、ひとまず予測をたて、針と糸を手に実戦を繰り返してもがいていたわけで。


 そんな中の、成功体験。

 若菜も蜜葉も、この感覚を逃すまいと、言葉少なに針を動かし手を動かしをやっていた。


「あのっ、若菜さん。とってもその、差し出がましいお願い……というか、提案、というかその」

 手縫い作業の合間に聴こえた、そんな蜜葉の一言。糸を引き伸ばした手を止めて、若菜は顔を上げる。

「ん?」

「わ、わたし、どうしても、その、柳田さんにも、びっくりしていただきたくて」

「え、柳田さんにも?」

「あっ、この場合の柳田さんはっ、探偵の柳田さんではなくてですね、芸人の柳田さんですっ」

 ワタワタと弁明する蜜葉。あぁ、と納得の相槌あいづちで返す若菜。

「柳田さんは、えと、サプライズがお好きだと、サムくんとエニーちゃんが、仰ってて。今回のこの衣装のお話も、ホントはお二人への、サプライズだった、んだそうです」

「ふんふん」

「でもその、取り決めの際に、お二人に開示、なさって、結局あの、サプライズには、ならなくて」

 しゅん、と落ちる瞼。まるでそれが、自分の計画だったとでも言い出しそうなほどに投影している、と若菜は思う。

「なんとかその、盛り返してあげられないかなと、思ったというか」

 縫っていた布地をそっと撫でる蜜葉。

「針を黙々と、動かしていたら、不思議となんだか、いろんなこと、考えたり、思い出したりして、とってもこう、考えが整理できる、みたいなんです」

 パッと顔を上げ、若菜と視線を合わせる。

「デザイン描いているときは、半ば興奮、といいますか、その、集中ってよりも、没入って、感じで、考えとか全然その、まとまらないし、忘れちゃうし……というか忘れたくて、デザイン描くみたいな、ところもあったりして、というか」

 尻すぼみに消えていく声。若菜にも思い当たる節があり、カクカクと首を縦に振った。

「わかる。針触ってるときは変な集中するよな」

「え、若菜さん、も?」

「うん。前に柳田さんのこと無視しちゃって、ねられたこともあるぞ」

 探偵のな、とクスクス溢す若菜。

「かわいいんですね、探偵の、柳田さん」

「プッ! ふふふ、かまってチャンなだけだよ」

 わずかばかり、若菜は『柳田』の音に甘い匂いを感じ始めているが、まだそれは意識の外の出来事で。

 肩に触る緩いウェーブのかかった黒髪を、蜜葉は右耳にそっとかけながら口を開く。

「デザイン描きながら、抱いていた、ネガティブな気持ち、まで、わたし、エニーちゃんに見抜かれて、しまったんです」

 ス、と笑みが消えていく。蜜葉の話に聞き入る。

「エニーちゃんにも、もしかしたらサムくんにも、わたしの過去の、嫌な想い、伝えてしまったなと、申し訳ない気持ちが、あることに、気が付きまして」

 ズキズキと痛む、蜜葉の胸の内。


 二人のことをポジティブに想いながら刺繍を縫い進めるも、徐々に贖罪罪滅ぼしの気持ちが顔を出した。共に縫い込んでしまう気がして、若菜へ吐き出すことにしたわけで。


「『諦めの気持ちを抜きにした、本気のデザインを見せて』……と、エニーちゃんに、言われたんです。縫い物をしていたら、だんだんとその意味が、くっきり、わかってきたような気がして、わたし、そしたらその、もっとお二人と柳田さんに、上回るようななにかを、えと」

「よしきた」

 パアンと自らの膝をはたいた若菜。蜜葉が顔を上げれば、若菜はその先でニッタリと笑んでいた。

「私も、サムエニがハッピーにパフォーマンス出来るように尽力したいと思ってたとこ。それに、蜜葉がそうやって考えが纏まっていくのは、かなりの前進だと思った」

 まばたきをふたつ重ねた蜜葉は、ドキドキと息を呑んで、若菜の言葉を待つ。

「ホントにスゴいよ、蜜葉は。蜜葉が今以上にキラキラ出来るように、私は蜜葉の力になりたい」

「若菜さん……」

「私、こんなこと最近まで思ったことなかったんだ。誰かのためにとか、そういうの。でも蜜葉が変わってくの見て、私も自覚すること増えたりしたんだ」


 他人のために尽くす心が、若菜にもどんどん増えていく。信頼関係があってこその、尽力したいと思えた気持ちだった。


「柳田さんとYOSSYさんと逢ってから、私もどんどん変わってく。きっと私も蜜葉も、これは嬉しい変革……だよね? なんか、失くすの怖いって思ったりして、たまに怖くなる」

「おんなじです」

 そっと首肯しゅこうを向ける、蜜葉。

「わたしも、若菜さんとおんなじ気持ちです」

 ほわりと微笑む蜜葉を見て、若菜はどうしてか心底安心した。


 柔く、空気がまるくなる。


 やがて、若菜が眼の奥を本気に変える。

「蜜葉の『サプライズ返し』の提案、聞かしてよ」

 パアッと華やぐ、蜜葉の頬。鞄の中から取り出したB5ノートを、蜜葉は弾むように開いていった。


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