6-3 counting on you

        ♧



「父さんも母さんも、すごい芸人さんだよね!」

 あの頃。

 無垢な俺は、よくそうして両親をはやし立てたもんだ。


 単純に誇らしかった。『両親は人様を笑顔に変える仕事をしている』──ほら、世界を救うヒーローと何ら変わらないだろう?

 父はマジシャン、母は軽業師。やがて夫婦漫談なんかもやるようになって、マルチパフォーマーを名乗りはじめたりして。

 そんな両親は俺にとって、輝かしいヒーローだった。

 いつだって二人のようになりたかった。だからいつからか、絶対に芸人を志すんだと決めていた。そうなりたいと思った。そうなれるのだと、『簡単に』二人のようになれるのだと、信じていた。心の底から。


 誰だって、面白かったら笑顔になる。

 誰だって、楽しいと思ったら幸せになる。


 甘く幼い、俺の思考。

 しかし、人様の心がそんなに簡単なものではないと気が付いたのは、九才の冬の終わりのことだった。



        ♧



 向こう日本が、朝の七時になる頃──フランス某所アパルトマン。



『なんだ』

「おはよ、良二」

 寝起きが悪くて不機嫌極まりない良二の第一声も、にこやかにかわす俺──柳田善一。


 蜜葉ちゃんとの電話を終えて、サムとエニーの就寝を確認してから、向こう日本が七時になるのを待って電話をかけた。用件はもちろん、先の衣装の件。


『なんで朝っぱらから電話かけてくる必要がある』

「Signorina若菜について、取り急ぎ訊きたいことがあって」

『……あ?』

 一拍遅れて聞き返された。

「家政科出てるって話、ホント?」

『だったらなんだ』

 更に低くなった、良二の声色。すんごいバリトンボイス。最近、良二のこういうときの声色は祖父じいさんに似てきた。

Signorina彼女が服作ってるとこ、良二は見た?」

『だァら。だったらどーだってんだって』

「協力してもらいたくって」

『何を』

「衣装作成」

 ヒュ、と息を呑んだような微かな音を、俺の耳は逃さなかった。

『なんで知ってる、そのこと』

「家政科出てること?」

『それも、だが、アイツが『作れることを』、だ』

 明らかに動揺して、辿々しくなる良二。潜めている感じからも、それ絡みで何かあったな、と勘ぐる。

「サムとエニーが、花屋でベールを見たって。それを使って何かするのを簡単に引き受けてた、って聞いたみたいだったから」

『あぁ、あん時……。アイツらも見てたのか』

 ヒソヒソブツブツ。よく聴こえない。知られちゃマズいみたいな雰囲気を良二が醸す意味が、俺にはやっぱり上手く汲み取れない。

「なんか、ダメだった?」

『別に、そーじゃねぇけど』

「じゃあ、Signorina若菜に衣装作成を頼んでもいいかな」

『なんで』

 刺々しく、強く返してくる。なんか、Signorina彼女のことになると急に態度が変わるなぁ。もしかして、いやもしかしなくても、もしかしてそういうことなの?

「サムとエニーの推薦なんだよ」

『すっ、推薦だ?』

「特にエニーが強く推すんだ。原石なんだって言って譲らない、珍しく」

『…………』

 返ってこない返事。きっと、言葉を選んでいるんだろう。


 Signorina若菜を良二の元に送り込んだのは、個人的には偶然の出来事だった。

 彼女からは、熱意と気迫だけは充分すぎるほど伝わった。伝わったけれど、彼女はそれだけだった。

 不充分な筋肉の付き方。

 芸によって出来たわけではない指先のささくれ。

 そして、『教えてもらおう』という安易さ。

 そういう細かいところで、僕の追求するパフォーマンスに向いているかなど、簡単にわかってしまう。そこで彼女には無理だと判断したからこその、先月の彼女とのファーストコンタクトだったわけで。


 ただ、繰り返し言っていた「マジックができる」。

 俺たちにとって、マジックだけは良二のものだ。公の俺──特にメディア上では、マジックをしてはいけない。そういうルールを、俺たちは作った。

 それに、「掃除が得意」のあの一言。あれを、俺はとんでもなく好都合だと思ってしまった。

 俺は良二の身の回りを片付けてやれない。昔から、お互いに私物に触られるのを嫌うタチで、だから良二がどれだけ掃除や片付けが苦手でも、俺は見て見ぬフリをし続けてきた。

 だからもあって、彼女を良二に無理矢理押し付けた。


 誰かと接して、良二が少しでも柔らかくなってくれたら──そんな風に、あの真偽も定かではない言葉をきっかけに、熱意だけを持った彼女へ希望を託してしまった。まさかこんなにも早く、良二が赤の他人他の誰かにグラグラと揺らされているだなんて。

 そういうのをよかった、と思う反面で、やはり拭えないのは、醜く幼い嫉妬心。いつか良二をそうさせるのは俺のはずだったのに……なんて、深いところでズキズキする。


 俺だけが、良二をわかってやれるに違いない。

 でも現実の良二は、俺にとってはわからないことにまみれている。


『──アイツは』

 小さな声。良二にしては珍しい。集中を、思考から聴覚へと傾け直す。

『アイツを顎で使っていいのは、俺だけだ』

「…………」

『…………』

「ん?」

『だっ、いや、アアアイツが、服作んのだのに関しては、俺が決めることじゃねー』

「ええと」

『いっ、依頼料っ。アイツに依頼料払うっつんなら、話は別だっつーかだな』

「えと。つまり、金さえ払えば引き受けてくれるってこと?」

『きっ、訊いてみねぇとわかんねーっつってんだよ、アイツに。作る作らねぇっつーのは、俺が決めることじゃねーから』

 俺は最初からそういう話をしていたんだがなぁ、と思いつつも、腹の中に溶かす。さては、これは相当な何かがあったんですね……二人の間に。

 じわりじわり、にじり寄られる嫉妬心。

「じゃあ、おたずねくださいますか。柳田探偵殿」

 ニタリ、口角を上げてみる。窓ガラスに映ったその俺の顔が、無理をしている笑顔になっていることを告げてくる。

『断わられたらどーする』

「そうしたら良二に作れる人を捜してもらうつもり。あ。これもサムとエニーの案ね。腕のいい探偵がいたはずだけど? って言われちゃってさァ、フフフっ」

 口を挟む隙を与えないように、良二をいい具合に持ち上げておく俺。

『アイツらに、言ったのか』

「何を?」

『俺とテメーの関係性』

「もちろん。サムは良二と握手したときに気が付いたみたいだけど」

『あ?』

「そういうスゴい感覚の持ち主なんだよ、二人は」

『……フゥン』

 納得したんだかしてないんだか。曖昧な相槌を返される。

「じゃあ、よろしくお願いします」

『期待すんじゃねーぞ』

 小さく笑んで「ハイハイ」と返すと、良二は小さく舌打ちをして電話を切った。



        ♧



 両親の留守中に預けられていた祖父宅に、両親が所属している芸能事務所の社員が、顔面に蒼白の色を貼り付けてやってきたとき。


「イギリス近郊の海のその上で、乗ってたセスナ機に異常が出て──」

 それを聞くなり、膝から崩れ落ちた祖父じいさんの背中を未だに夢に視る。しかも、鮮明に。

 玄関へ続く廊下の向こう側から小さく顔を覗かせた俺は、玄関で声を殺して震え泣く祖父じいさんの骨張った肩甲骨を、じっと眺めていた。


 言葉の意味がわからないわけがない。立派に小学三年生をやっていたんだ。

 俺も、急にサアっと怖くなった。


「父さんも母さんも、事故で、死んでしまったんだって」

 指針がなくなった瞬間。

 祖父じいさんから告げられた事実は、俺の希望だの幸運だのを見事に引き裂いた。


 俺はそれからしばらくの記憶がない。ショックに耐えるために、脳が勝手に日常として記憶をしなかった証拠だ。


 どのくらい泣いていた? 飯はどうやって食ったんだ? 学校はどうしていたんだ?

 何も、わからない。


 あの悲しい想いを、俺は思い出したくない。



        ♧


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