1-2 chances are even

 YOSSY the CLOWNは、まるで背中の向こうを見せるように頭を下げ続けている服部若菜を、八秒間黙って見つめた。

 黒々とした硬いストレートすぎるおかっぱ様の毛髪が、重力に従順に下がっている。綺麗に切り揃えられているわけではなく、ところどころ長短がまばらだ。自ら散髪していることはそこでわかる。

Uhh-huuuhhhうーん……」

 YOSSY the CLOWNは片眉を上げ、右手を顎にやると、にんまりとひとつ不敵に笑んだ。まるで、いたずらでも思い付いたかのような、悪知恵働く少年のそれである。

「あのね、Signorina」

 『signorinaシニョリーナ』とは、イタリア語で『お嬢さん』という意味の単語。

 英語やフランス語を第二、第三母国語としているYOSSY the CLOWNは、敢えてそれら外国語を混ぜ込み話す。イタリア語と中国語がそこそこに、ロシア語はサーカス団員から学んだ程度ではあるが話せなくはないとかなんだとか。これはYOSSY the CLOWNとしての『パフォーマンス』のひとつ。つまり、キャラ付け。

 服部若菜は語学が堪能ではないために、ファンであるにも関わらず、永くその意味がわからないでいる。


 ともあれ。


 『自らへ』話しかけてきているYOSSY the CLOWN憧れの彼へ、服部若菜はそろりそろりと頭を上げ視線を向けた。上半身を床と垂直になるよう戻していき、戻りきるなりぎゅ、と眼光を鋭くする。

「知ってるかもしれないけど敢えて言うよ。僕、弟子とかとらないんだよねぇ」

「はいっ、よぉーくわかってます」

「うん、なら話は簡単だ。弟子には出来ない。ゴメンネッ」

「そんなぁっ!」

 光の速さで交渉終了である。

 諦めきれるか、と、服部若菜は眉と瞼を近付け声を張った。

「私、YOSSYさんの弟子にどうしてもなりたくて、これまでやってきたんですっ」

「とは言え、僕はまだ若い。顔も精神もそりゃあ若いけどそこじゃなくて、芸人パフォーマーとして、ね」

 言いながら、にーっこりと更に笑みを深めるYOSSY the CLOWN。一歩、一歩と服部若菜へ歩を進める。

「僕はね、世界中の皆さまを笑顔にすることで、世界を美しく変えていこうと思ってるんだ。このことは知ってる?」

「はいっ、もちろん」

 ふわりふわりとにこやかに、一歩一歩が柔らかく穏やかだ。ブルーアッシュに染色した髪がサラサラと揺れる。

「じゃ、Signorinaにとっての目的は?」

「も、目的?」

「そう。つまるところ、動機だよ。どうして芸をやりたいの? 僕に憧れてくれているのは嬉しいことだ。でも、同じ道を行こうと思うのには、それなりの理由があるはずだと思うんだけど」

 違うかな、とYOSSY the CLOWNは目を流す。

「私、YOSSYさんの『人を簡単に笑顔にしてしまうところ』に憧れてるんです。私も前、笑顔にしてもらったことがあって」

 瞬間的に思い出したのは、服部若菜が一五才の初夏のこと。初めて観た、YOSSY the CLOWNのあのステージ。

「私普段、全然ちゃんと笑えないんです。でも、あなたのステージを見たときだけは、笑顔になれて、それで……」

 彼が近付くにつれ、エスニックな薫りがふわっと鼻先を掠める。何かの『お香』だろうか、鼻にまとわりつくようなキツい匂いではない。彼から自然と薫るそれは、まるで彼自身の体臭であるかのようで。

「私みたいに、自然に笑顔になれない子どもたちを世界から無くしたいと思って! 『みんな笑顔の世界になれば』っていうYOSSYさんに、私もついていきたいんです」

uh-huhふーん , なるほど」

「弟子が無理ならホントに、ついていくだけでもいいんですっ。どうか、あなたの後ろで同じ世界を見させてください」

「後ろ、ねぇ」

 YOSSY the CLOWNは右手を顎へやり、鼻で溜め息をひとつ。

Thenところで , Signorinaはたとえば何ができるの?」

「『たと』っ『えば何が』?」

 空中を見上げながら、YOSSY the CLOWNは続々と挙げていく。

「ジャグリング、スタチュー、アクロバットにバルーン……パフォーマンスもいろいろあるよねぇ?」

 彼につられて空中を眺める服部若菜。そこへジャグラー、全身を金色に塗りたくってびくともしない胸像を模したスタチューパフォーマー、バク転バク宙をなんなくこなすアクロバットパフォーマー、そして、バルーンアーティストを描いてみた。

 まずい、どれも出来ない──服部若菜は目頭を狭める。

Wayていうか , 落語のお師匠がいらっしゃったんだよね? お師匠のもとで覚えた小咄こばなしは? 人情? 古典? それとも新作作ったりするの?」

 YOSSY the CLOWNの上がったままの口角が、言葉を流暢に紡いでいく。まるで崖っぷちに追い込まれていくような心地がする。

「Signorinaは数多の師のもとを転々としてきて、そこかしこから何を盗んできたのかな?」

 意地の悪いことに、YOSSY the CLOWNは服部若菜が答えに詰まる様を見て、ニヤリと更に笑みを深めた。


 『芸を盗む』。そんなこと、したことがない。


 服部若菜は、覚えが悪く小咄のひとつも覚えられなかった。そもそも、落語家のようにじっと座って一人で話し続けることは、性にあっていなかった。出囃子でばやしにしても、リズム感が無くて使い物にならず。着物の着付けも上手くはない。出来たことといえば、お茶汲みと楽屋の掃除くらい。


 服部若菜は、目を真ん丸に見開いて生唾を呑み込んだ。答えたくとも答えられない。咄嗟に嘘を思い付き、取り繕おうと悪知恵がフル稼働。

「えっ、えと教えてもら──」「ダメだね」

 突然、彼の雰囲気が変わる。

 ピシャリと服部若菜の言葉を冷淡に遮れば、彼の上げ続けていた口角は幻覚だったかのように、綺麗さっぱり見当たらなくなる。

 YOSSY the CLOWNはピタリと足を止め、鼻先が触れ合ってしまうほどに顔を近付けひとつを告げる。

「芸は教えてもらうものじゃあない、盗むものだ」

「ぬすっ、盗……」

「Signorinaは、数多の師から何を盗めたの?」

 薄い灰青ウェッジウッドブルー色のレンズの奥で、彼の眼がギラリと鈍く光った。縦に長いその姿の圧と気迫に、ぞくりとする。微かに「怖い」と頭に過る。


 これは、プロフェッショナルとしての矜持プライドの圧だ。そこには砂粒ほどの隙すらない。

 YOSSY the CLOWNは、生半可を許さない。常に完璧を求める人物であることを、服部若菜は改めて、脳に、眼球に、心に、刻み込んでいた。


 すぐに答えられない服部若菜から、YOSSY the CLOWNはフッと離れ、背を向ける。

「じゃあ話はおしまい。サヨナラ、Signorina」

「え」

 それを合図に、服部若菜の両肩をSPボディーガードが背後からガシリと掴む。「お引き取りを」とボソリ呟かれ、服部若菜はようやく慌てた。

「ちょ、おま触んなっ。よ、YOSSYさんっ!」

 ぐりん、と力任せにSPボディーガードに進行方向を変えさせられる。服部若菜の景色は、YOSSY the CLOWNから楽屋扉に一転。

 SPボディーガードは服部若菜を楽屋扉へとぐいぐい押していく。負けじと首を捻り、YOSSY the CLOWNの余裕そうな背中へ訴え叫ぶ。

「私っ、一門から抜けてきたんです! 今日この時のために!」

 嘘である。本当は先の記述のとおり、覚えが悪すぎたため破門になった。各所を転々としていたのも、そんな理由から。

「悪いけど、そうやって情に訴えかけたって、僕は揺れたりしないよ」

 背中で「ふふ」と微笑むと、チラリと鏡越しに服部若菜を見た。必死に足掻いて眉を寄せている。

「掃除ができますっ、めっちゃめちゃ得意! 業者並に、ぐぬっ、綺麗にしてみせますよっ」

「あは、僕にとって掃除業者は最も不要だなぁ。僕自身でやらないと気が済まないから」

「あとっ、できる芸、ちゃんとありますっ!」

「粘るねぇ。でもサヨナラだよ、Signorina」

「マジックがっ、出来ます!」

 トンと楽屋扉に、服部若菜の全く大きくはない胸がぶつかった。もう後がない。SPボディーガードが楽屋扉を開けてしまったら、きっと二秒もかからずに放り出されてしまう。誰の目にも明らかだった。

 しかし、服部若菜は諦めない。

「ちょっとだけですけど、マジックが出来るんです、私!」

 ドアノブにSPボディーガードの左手がかかる。あぁ終わった──服部若菜は奥歯をギリリとさせた。

Attendreちょっと待って

 ピシャリ、YOSSY the CLOWNが低く響く声を上げた。


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