13.エピローグ
「そんじゃ、瓶が空になったころまた来るわ!」
「だから、それは――」
テュエンが聞き咎めるのを、アレックスはわざとらしく両耳を塞ぎ、にまにま笑いながら
さようならというレムファクタの声に送られて、渉猟兵たちはリシュヌーの街を去って行った。雨上がりの空の下、帝都へ続くベルナルダ街道には、普段より旅人の姿が多い。ようやく魔物襲撃の不安が少なくなり、停滞していた往来が一挙に復活した賑わいのようだった。
「ダナさん、元気になって良かったですね!」
レムファクタが明るく言い、そうだねとテュエンも頷く。相当の消耗をしていた魔術師の、遠ざかっていく足取りは確かなものだ。結局三人は夏の終わりまで街に滞在し、ダナンシーが療養するあいだ、アレックスとスヴェルグは
雷をまとう魔法剣もどきを、アレックスはかなり気に入ったらしい。ウルフバート鋼の剣の名前はいつのまにか〈雷獣の爪〉に変わっており(雷獣なんて魔物がいただろうか?)、討伐で得た多額の報奨金も、彼女をすこぶる上機嫌にさせた理由のひとつだったろう。
「その
幾度かテュエンは念を押したものの、浮かれた彼女がどの程度、真剣に聞いていたかはわからない。
とはいえ、雨は晴れていた。
「さて。私たちも帰ろうか」
「はい!」
雲の切れ目から太陽が顔を出し、日差しが石畳にきらきらと反射した。
弟子と連れだって大通りを帰る心持ちは軽い。人々の表情もどこかほっとして明るく、テュエンは立ち寄った小店で氷菓を買い求めた。大喜びの弟子と一緒に、この季節だけの冷たい贅沢をゆっくり味わう。陽光にはまだ夏の力強さがあったが、谷間を抜けてくる風にはもう秋の気配が感じられた。街はすっかり平穏だ。悪鬼の
例の遺跡の調査から、講学館の錬金学匠たちは、今回の騒動の原因を遺跡内部で発見された
古代種族ドワーフは、彼らの地下都市の移動を魔術的な転移装置で行っていたらしい。魔術錬金に秀でた彼らは、転移魔術をいつでも使えるよう装置に刻み、その起動のための力を外部から供給する仕組みを作っていたという。
地脈の力をよく利用したドワーフだが、問題のオベリスクは、意図的かは疑問にしろ、陽光の力も取り込むことができたようだ。
街の近辺に突如出現した遺跡は、ドワーフが絶滅する以前から封印されていたらしい。だが長年にわたる風化によって、あるとき天井に亀裂が開いた。調査した錬金学匠によると、差込んだ陽光が徐々にオベリスクを目覚めさせたのだろうという話だった。
不規則に起動した転移装置によって、地底の魔物の社会が混乱したこと。そしてあちこちの遺跡において、不活性だった転移の門が無秩序に開いてしまったこと。それらが悪鬼や巨鬼が神出鬼没に溢れた原因だと推測される――。
――街の人々は、どうして遺物を壊してしまわないのかと言っているけれど……。
すべての元凶の穴が厳重に埋め直されただけで、遺跡は現在、近衛隊の兵によって守られている。街との距離には懸念があるが、錬金学匠たちも大公お付きの宮廷錬金術師も、破壊など許しはすまい。なぜなら古代種族の魔術装置の研究は、新しい技術の源となりうるのだから。
内部に棲みつく魔物の脅威と引きかえに得られる知識は、この国の財産とも言える。同じ錬金術師としてテュエンも理解する一方、魔術師ダナンシーの言葉も脳裏を離れなかった。
――人の欲望には底がない。いつか古代種族と同じ過ちを、人間も犯す……。
「わあっ。師匠、見てください!」
物思いに沈みかけたテュエンを、弟子の明るい声がすくいあげた。
見上げた視界に、鮮やかな七色が飛び込んでくる。西の青空に、はっきりした大きな虹が、それも二重で架かっていた。
――今はとりあえず、みんなの無事を喜んでおこうか。
綺麗だねと返事をしながら、テュエンはそう思った。
以前、街の南で魔物討伐に発つ衛士隊を見送った日。隣で泣いていた夫婦のもとには、一人息子のサムエルが無事に帰還したらしい。一時は消息不明となったクルトも、人の心配をよそに、ようやく店へ顔を見せたのはごく最近だ。
クルトといえば、家では新たに作らなければならない品物の錬成予定が詰まっている。衛士隊長を通じて、国土巡視騎馬隊のギュンダー隊長からの追加注文だった。
トロル戦で、例の魔法剣もどきを目にしていたらしい。威力の弱い
――しかし、材料の
必要なのは、ただの松脂ではない。雷に打たれた樹木の松脂だ。高価ではないが、もともと手に入りにくい上、そろそろ在庫も尽きてきている。
かわりに使える素材がないだろうかと、虹を眺めながら、テュエンはいつものように頭を悩ませはじめた。
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