10.救援要請

 テュエンの店では、アレックスに頼まれた旅道具がすっかり用意できていた。

 渉猟兵たちは、現れた初日以来姿を見せなかった。請け負った仕事に精出しているのだろう。一緒に集会宿まで行ったレムファクタによれば、宿で早速仕事の半分は果たしたような話をしていたらしく、あるいは帝都にも避暑地として知られるこの街で、数日の骨休めを楽しんでいるのかもしれなかった。

 そんなところに、昨夕ひょっこりスヴェルグが顔を出してきた。注文品の案配を尋ねるので、とうに仕上がっている旨を伝えると、彼は翌日の朝一で取りに来るという。しかし約束の今日、開店前から待ち構えているにも関わらず、三人はいっこうに現れる気配を見せなかった。

 アレックスもスヴェルグも、時間には緩い人種である。常識人そうなダナンシーとて、そもそもは風来の魔術師だ。テュエンは別段気にしなかった。腐る品でもなし、売り渡しは明日でも明後日でも構わない。

 そこでカウンター内に腰を落ち着け、楓蜜ののど飴を一つずつ紙に包む作業に没頭した。すると、しばらくして来店を報せるベルと同時に弟子の挨拶が聞こえた。

 客はどうやら近所の顔見知りの住人らしい。老母の関節痛の膏薬こうやくを取りに来たかなと見当をつけていると、はたしてそのとおりだった。

「テュエンさん、大通りの騒ぎは見たかい?」

 しかし彼は、カウンターに顔を出すなり片肘ついて身を乗り出してきた。喧嘩でも起きたかと思っていると、彼は不安そうに指で祈りの印を切りながら言う。

「魔物討伐に出ていた騎馬兵隊が戻ってきて、渉猟兵に助けを求めてるらしいんだよ。南に悪鬼ゴブリンの大軍がいて、下町の衛士隊がやられたとか……」

 留守番をレムに任せ、テュエンは取るものも取りあえず店を出た。

 〈絹織物大通り〉には騒ぎはなく、ただ通りを東へ駆けていく者が二、三、目についた。渉猟兵に増援を呼びかけるなら、もちろん集会宿だ。早足に向かってみると、しかし人だかりは泉の広場にあり、石造りの噴水前で、二人の汚れきった騎馬兵が大声で協力を呼びかけていた。

「我々は、国土巡視騎馬隊の者である。古代遺跡の探索経験のある渉猟兵はいないか。大至急協力を求める。悪鬼との戦闘もありうるゆえ、報酬は弾むぞ」

「何があったのですか?」

 テュエンは人をかき分けて騎兵に寄り、そう尋ねたが、兵士はテュエンを初級錬金術師と見るや相手にする暇はないと一蹴した。だが、彼の隣に控えた騎兵が「あ、その人は」と声をあげた。見上げた顔に覚えがある。そちらの男はよく見れば鎧も騎兵のものではなく、革鎧を着た下町の衛士だった。

「隊長のご友人の……」

「錬金術師のテュエンです。クルト卿は無事ですか?」

「ちょっとこちらへ」騎兵に断って下馬し、彼はテュエンを人垣の外へ引っ張っていった。振り向いて囁いたその表情は、暗澹としたものだった。「隊長は行方不明です」

「……悪鬼の大軍がいると聞きましたが」

「まさに。しかしその群れは公太子近衛隊の合流もあって、あらまし駆逐しました。ただ合流前にも戦闘がありまして、ヘマした新人を助けるために、隊長と三人の兵が遺跡に飛び込んだんです」

「それで、迷った?」

「いいえ、隊長が立てこもった部屋は小部屋で、どこにも繋がっていませんでした。防御を破られたとか、負傷したり血の痕もなく……。ただ、消えたんです。ドワーフの呪いですよ。部屋の天井に気味悪い模様の入った仕掛けがありましたから」

「消えたとは?」理解できず、テュエンは首を振った。「どういうことです」

「自分にもよくわからんのです。しかしギュンダー様――騎馬隊の隊長殿は、古代種族の魔法がクルト隊長たちに働いて、何かの事故が起きたんだろうと。でも、きっとまだ死んでないとおっしゃってます。自分もそう信じてます」

 礼を言い、クルトは衛士から離れた。呆然として、何も考えられなかった。

 そのとき、騎兵を囲む人群れの中に派手な赤色が横切った。緩く巻いた豪奢な赤毛は、他より頭半分抜け出た高身長。

「アレックス!」そばにはスヴェルグもダナンシーもいた。「きみ、騎兵と一緒に遺跡へ行ってくれないか」

「藪から棒だね。なんであたしが?」

 駆け寄るなり腕を掴んで言ったテュエンに、彼女は黒曜石の目を丸く見開いた。

「渉猟兵だろう」

「ちょっとテュエン、落ち着きなよ。ほら、深呼吸」

「すまない」ひと呼吸つき、テュエンは手を放した。「衛士の友人が――親友が行方不明なんだ。どうやらドワーフの魔術が関わっているらしくて。きみの仲間には魔術師がいる」

「そういうこと」アレックスは頷き、「ダナなら見れば何かわかるかもね。だけど開いたばかりの遺跡なんだろ? まだ生きてる魔術機構もあるってんじゃ、あたしらも命がけになるじゃないの」

「それはそうだが――そうか。私が自分で行けばいいのか」

「あんたが自分で? おいおい、自殺する気かよ」

「魔術の心得がないわけでもないし、店に探索に使える錬成品が作ってあったかも――」

「テュエン、私たちが……」見かねて言いさしたダナンシーを、アレックスがさっと片手で遮った。慌てるテュエンは気づかなかったが、赤毛の渉猟兵の表情には、うまい企てを思いついた一瞬の邪悪な笑みが浮かんで消えた。

「そんなら渉猟組合に依頼するってことか? 遺跡調査に行くのに護衛を頼みたいってさ」

「ああ、その手も――いや、依頼したところで人が来るかな。手続きを待つ時間も惜しい。それとも、きみたちが来てくれるかい?」

「他でもないあんたの頼みだ、行ってやってもいいぜ。ただし、報酬は特別豪華にしてもらいたいねえ」

「…………」アレックスの悪童めいた笑みに、ようやくテュエンも気がついた。彼女の要望は読めている。「魔法剣か」

 アレックス、その脅しはさすがに汚くないかと、口々に非難する仲間を尻目に、挑戦的に胸を張る彼女をテュエンは黙って見つめた。

 彼女には、帝都で小さな金貸しから成り上がった大銀行家一族の血が間違いなく流れている。決して機会を逃さない抜け目ない女性ではあるが、それだけではないこともテュエンは知っていた。だからこそ、スヴェルグやダナといった良い仲間がついているのだ。

 学生時代に困窮したとき、何も聞かず彼女がぽんと大金を貸してくれたことがあった。辺境小国の一平民でしかないテュエンに、完済能力があると考えるほど彼女もおめでたくはなかったろう。この申し出を断っても、おそらくアレックスは力を貸してくれる。

 そう思いながら、テュエンは小さな苦笑とともに代案を差し出した。

「きみの〈火竜の舌〉は作り直せないけれど、替わりになるものをあげよう。武器としてどの程度威力があるかは未知数だし、使い切ったらそれまでだ」

「へえ、どういう代物?」

「武器に雷性の魔効を持たせる」

「一回こっきりってわけじゃないだろうね」

「ひと瓶ある。符呪には一滴で事足りるだろう」

「ふん」彼女は思わせぶりに両目を細め、尖った顎を上げた。すぐさまニッと唇を横に裂き、鋭い八重歯を見せつける。「いいね。乗った!」

 みんな、準備だと言ってアレックスは胸の前で拳を打った。テュエンは噴水前にいる騎馬隊兵へ、自分たちの捜索への参加を告げに走った。

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