6.タヴァランの隠居

 石畳につんのめり、転びかけたテュエンを脇の兵士が鋭く叱咤した。

 しっかり歩けと小突かれる。だが後ろ手に縄を打たれているうえ、両脇を軽鎧の兵に固められては歩きにくいのだ。

 タヴァラン屋敷の裏手から正面玄関へと連行されつつ、テュエンは動揺のあまり場違いな物思いをしていた。いつもの錬成作業服で来なくてよかった、と。長いローブでは足がもつれて、さぞ惨めなありさまをさらしただろう。

 ――いやいや、そうではなく……。

 気にするべきは子供たちだ。今ごろ、無事に逃げおおせたろうか?

 心配しながら入った北望館の玄関内は、意外に質素なしつらえだった。

 貴族屋敷の玄関ホールといえば館の顔のようなもの。客への歓迎や家の権勢を誇示するため、一般的には大きく広く、美々しく飾り立てられている。それがタヴァラン屋敷では、灰色の石積みの無骨な小部屋にすぎなかった。テュエンはこの家が発する自分への冷えた敵意をじわじわ感じる気がした。

 まるで地下牢への入り口みたいだ――嫌な連想をしてしまい、彼は館の前身を思い出す。ここはかつて武装した騎士たちが、魔物や北敵の襲撃にそなえ駐屯する砦だったのだ。続く長い廊下も両壁に窓はなく、暗く、殺伐とした印象をより強めた。

 正面奥、開いた大扉からだけ、明るい昼光が漏れ出ている。引き立てられて入ったそこで、テュエンは一瞬、唖然として足を止めた。どきりと跳ねた心臓が、ひとまわり縮こまるようだった。

 北望館の中心部、大広間の天井は高かった。バルコニーのある三階まで吹き抜けになっている。長方形の部屋の長さは矢頃と同じほどにもなるだろうか。荒削りの石床は濃い灰色に沈み、壁には金糸で模様をとった深紅の絹地が張られていたが、恐ろしいことにその一面に、膨大な量の武器が飾られているのだった。

 剣に槍、斧と弓。大槌おおづちとげの生えた盾のほか、大鉤おおかぎ石弩いしゆみ、小刀があり、変わった形の矢の数々まで。あらゆる武器種が整然と並び、いささか神経質にも思える正確さをもって、幾何学的に壁を装飾している。

 元来砦に保管されていたものか、もともと武門の家柄だというタヴァラン家の収集品か。わからないが、それらが単なる飾りでないことは、それぞれの武器がきちんと鞘袋に納められているのを見るにつけ明らかだった。

 中の刃はなまくらではない。磨かれているにちがいない。タヴァラン家は大公からの招集にすばやく馳せ参じられるように、常日頃から武装の準備を怠っていないらしかった。外庭では堀が埋められ、外壁を低く崩していても、北望館は今でも十全に機能している砦なのだ。

 広間に集った人々が左右に割れて、テュエンはその中央を歩かされていった。一歩一歩が重さを増し、口内が乾ききるのを感じる。騒動は覚悟していたが、まさかこれほどの人数が集まるとは……。

 気配からして、タヴァラン家の私兵のみならず使用人も混じっているようだ。昼間の今、北望館の本来の主、大公の側近として働くタヴァラン家次期当主は留守である。ならば家をとり仕切るのは次期当主の妻のはずだが、奥で自分を待ち受けるのが誰か、従士たちの囁き声からテュエンは知っていた。

 広間の最奥でひざまづかされる。命令があり、囚人は顔をあげた。重厚な桃花心木マホガニーの卓の向こう、豊かな灰銀の髪をもつ鋭い鷲鼻の男と目があった。

 タヴァラン家の鬼隠居、現当主テオドルド公。かつて国中の野盗、山賊を震えあがらせたという老人は、引退してなお家長として厳然とした支配力を持つらしかった。

 ――誰が、持病の悪化で隠居を早めたって?

 教えてくれたクルトに、テュエンは問いただしたい気分になる。まっすぐ見下ろしてくる老人の眼光には微塵の揺らぎもない。顔色はよく背骨には筋金すじがねが一本通っていて、隠居生活を送るにふさわしい病人らしさなど欠片も見当たらなかった。

 すぐにでも槍を取って喉もとに突きつけてきそうな気迫だが、こちらの罪状は不法侵入くらいしか問えないはずだ。生唾を飲みこみ、テュエンはミルレットと手伝いの三人のことだけは漏らすまいと己に言い聞かせた。

「初級錬金術師、シザンのテュエン」横あいから、騎士らしい男の厳しい下問。「下町の月蝋通り、錬金素材店の主で間違いないな」

 先日の訪問時、自分の故郷シザンの名は出していなかったはずだ。あのあと隠居が抜かりなく家人に調べさせたらしいと、テュエンは冷や汗がじっとり滲むのを感じた。「そのとおりです」

「今日、当屋敷におまえを招いたものはいない。正直に答えよ。館裏の森で何をしていた」

「これほどの騒ぎを起こしてしまい、大変申し訳なく思っています。私は山沿いに薬草を摘んでいたのですが、熱中するあまり、お屋敷の敷地内へ入りこんでしまったようです」

 考えていた言い訳だ。薬草摘みは事実だから、多少は真実味をもたせられただろう。騎士筆頭らしい同じ男が、続けて尋ねた。

「犬に、何かの錬金術具を使ったようだな。おまえの作ったものか?」

「さようでございます。採集で野外に出かけるおり、魔物よけに持ち歩くもので他意はありません。ボッツィ老師に確認していただければお分かりになると思いますが、あれは光や音を出すだけの単純な錬成品で――」

「昨日のおまえの訪問は、温室内の薬草を求めてのことだそうだな。――おまえは温室近くで捕らえられた。求めを断られたのを恨み、盗みにきたということか」

「とんでもない。誤解です」

 テュエンは冷静に弁明した。預けた自分の荷――実際には、取りあげられたのだが――その中に、強盗に用いるような道具はなかったはずだ。言ったとおり、迷いこんだだけ。問い合わせた薬草も格別希少なものではなく、野辺に生える野草なのだと彼は訴えた。

「では何の薬草を摘んでいたと? 我らが捕らえたとき、おまえは薬草籠も持っていなかったではないか」

「…………」これには、テュエンも絶句するしかなかった。

 完全に失念していたのだ。子供らを追うおり、邪魔になると思って籠を外してきてしまったことを。数瞬、言葉を呑んでから彼はかろうじて口を開き、「あの、いえ……」言い訳を絞り出した。

「犬に追われたさい、驚いて投げ捨ててしまい……」

「ならば、探せば見つかるのだろうな」

「それは――」困る。籠などないし、子供らがまだ逃げられずにいたら、捕まってしまうかもしれないじゃないか!

 焦って瞬きを繰りかえすテュエンに、そのとき正面の老人が初めて大きな音を発した。

 声ではなく、咳払いだった。威嚇のように数度、隠居は苛立たしげに喉を鳴らした。氷河色の双眸そうぼうが冷徹にテュエンを見下ろしていた。

「――シザンのテュエン。おまえはかつて国の援助を受け、帝都へ錬金術を学びにおもむいた。そして罪を犯して学びを追われ、我が国の権威を汚して戻った。おまえの何を信じろという? 薬草などと、二度と口にするな。当家に忍び入った真の目的を言うのだ」

「…………」

 完全な誤解だった。それも、かなりまずい方向の。

 どうやらタヴァラン家は、白鷹草の件は隠れみので、テュエンが公国の大貴族を探りにきた敵の間諜かんちょうとでも疑っているらしい。どうすればこのとんでもない誤解を解くことができるだろう?

 だがいくら必死に考えても、妙案は浮かばなかった。

 ――私は、成長してないな……。

 と、テュエンはしみじみ思った。

 以前、帝都の大学で冤罪をかぶったときから変化がない。教授会に召喚されても賢く立ち回れなかったあの日。ただ正直に話して追放されるしかなかったあの日から。

 独り自然物と向かいあい、その効能を調べ、知り、別種のものと組み合わせて新たな何かを創りだす。錬金術のそういった孤独な作業は得意なのだが、その逆の巧妙で矛盾に満ちた人間同士のやりとりがテュエンは大の苦手だった。

 いわゆる政治、処世術。テオドルドの強い咳払いに脅かされ、「誤解です」とテュエンは言うしかなかった。

「――私は、本当に薬草を探していたのです。白鷹草といい、雑草ではありますが、ミストゥッリ地方の伝承で特殊な効能があると伝わっているものです。温室のものは頂けませんでしたので、自分で採集しておりました」

「わしの言葉が聞こえなんだか。おまえを錬金術師とは思わぬ」

「退学の件についても、誤解があります。私は冤罪でした」

「ほう」

「当時私は若く、また平民の生まれゆえ、世間への理解が不足しておりました。ご存知でしょうか、帝都の錬金学徒には二通りあります。ひとつは真摯に学び、自然と生命の関わりを探ることで宇宙の真理を見いだそうとする者。もうひとつは他人を踏み台に、術師の称号だけを得て自らに箔をつけようとする富裕者です。私のかわりに学匠の昇段試験を受ける権利を得たのは、そうした誠実さに欠ける貴族の子弟でした……」

 そこまで言って、口をつぐみ、テュエンは言いすぎたことに気がついた。

 処刑場のような沈黙があたりを支配していた。うつむく頭上に、テオドルドの冷え切った怒りの視線が降り注いでいるのをひしひし感じる。従順という言葉の意味を、自分は学ぶべきだなとテュエンは思った。そう、もし命を保ったまま、この屋敷から帰れたら……。

 耳に柔らかな衣擦れの音が、救いのように静寂を破った。

 右手の人垣がざわめき、女公、と挨拶の声がする。華やかなオレンジ色のドレスを纏って入室してきたのは、ふくよかな若い貴婦人だった。

 彼女は右奥の主階段から降りてきたようで、テオドルドがついているのと同じ卓に座った。どうやらタヴァラン家の奥方らしい。柔和そうな雰囲気がある。テュエンは裁きの進行が彼女の手に譲られないかと期待したが、他家から嫁いだ女性よりも当然、家長のほうが立場が高い。

 ただ、婦人は何事かを隠居に耳打ちした。テオドルドの眉がさも不快げに寄せられて、テュエンの背後へ近づく足音がその理由を明らかにした。罪人の左後ろでぴたりと止まった人物は、重苦しい空気をまったく無視した明快な声で挨拶した。

「ご無沙汰いたしております、テオドルド公。その後、お加減のほうはいかがですか」

「――クルト卿。先日も来たと思ったが?」

「お顔を拝見するのは久方ぶりかと存じまして」

「レティアヌが世話になったらしく、礼を言おう。しかし今後このような気遣いは無用に願いたいものだ。当家の者は己で己の身を処する術をわきまえておる。危険もないわずかな道を、衛士隊長たる貴公がわざわざ送ってよこすとは。都を守護する貴公の職務、軽んじているとみなされても仕方がないぞ」

「いやあ、ここ三日ほど、素行の悪い渉猟兵イェガーが街をうろついていると通報があったもので。通報といえば、不法侵入疑いの男がいるそうですな。下町の者のようですから、ちょうどよい、私が引き取って参りましょう」

 飄々と言うクルトに、何を白々しいとばかりにテオドルドが二度ほど咳きこんだ。

は我が屋敷で捕らえられた。貸与されているとはいえ、屋敷は今タヴァランのもの。敷地内の法はタヴァランのものだ」

「ははあ。しかし使用人は、敷地外の森ぎわで危うく捕らえたと言っておりましたが。郊外とはいえ、このあたりは大公の定める法においてリシュヌーの一部です。現在首都の治安維持は我がフィガリーサ家の職分ですので、ご隠居様にはぜひ罪人をお渡しいただきたい」

「罪人は当家の森で捕らえられた」表情を崩さないテオドルドの額に青すじが立った。「それを否定する家人はおらん。不満があれば調べるがいい。この男と貴公が親しいのは知っている。若者よ、わしは隠居の身だが耳目まで衰えたと思わぬことだ。貴公が法にのっとって罰すべき罪人を、勝手な裁量で甘く処断していることも、かねてから聞き及んで――」

 と、そのとき唐突に、テオドルドは言葉を切った。

 おや、と誰もがいぶかった刹那、老人は激しい咳の発作にみまわれた。

 近くにかしこまっていた騎士筆頭が、わずかに身を引くほどの咳込みだった。レティアヌ婦人が慌てて老人の背中をさすり、顔を真っ赤にしたテオドルドが怒りの表情で止めさせる。

 ぜいぜいと喉を鳴らして、隠居は苦しげに顔を歪めた。地獄に似た静寂の中、いったん呼吸が落ち着いたのも束の間、何か言葉を発しかけるやいなや再度の発作に身体を折る。

 大慌ての人々のあいだから、侍女が二人飛んできた。一人は銀の水差しを抱え、一人は盆にカップと薬らしきものを乗せている。磨かれた銀の盆上に積みあげられたものに、テュエンの目は釘付けになっていた。

 咳きこみながらテオドルドが掴んだものは、やけにカラフルな三角錐さんかくすいだった。厳格な裁きの場にそぐわない、愛らしい色と形。ゼリー全体にまぶされたやや黄みがかった根菜糖といい、それはまぎれもなくテュエンの作った咳止め薬だった。

 あっけにとられるテュエンは、薬の盆を持ってきた侍女がちらちら頻繁にこちらを気にするのにも気がついた。よく見れば、彼女は自店で糖衣薬を毎回大量購入していく女性に間違いない。

 テオドルドに視線を戻す。隠居は二つ目のゼリー薬を食べ終え、なんとか水で流しこんだところだ。速やかに効果が出たとみえ、襟元を握りしめながらかろうじて咳を我慢している。喉の痛みをやわらげる薄荷も入れておいたからなぁ――効き目に一人で満足しつつ、テュエンはつい声をかけた。

「もう一つ、ご服用ください」

 大広間にいる全員の視線がテュエンに集まった。

 しまったと思ったが、あとの祭りだ。それにテオドルドの発作はかなり重い。調薬した術師として放っておくのも気が咎めた。

「その咳止めの薬用成分の含有量は、一つずつが少なめに調整してあります。ご隠居様の適量をご推察しますと、もう一つ召しあがっていただくのがよろしいかと。一度に三個服用していただければ、六時間ほどは効能が保ちます」

「…………」

 テオドルドは無反応だった。ただ、かすかに咳きこみながら、盆上の薬とテュエンとを不可解そうに見比べている。

 彼はわずかに身を傾け、背後にひかえた侍女へ何事かを問いかけた。くだんの侍女はというと、身を縮め見るからに青ざめていたが、観念したように目を伏せて主にすばやく囁きかえした。とたん、テオドルドの顔色が変わった。

 ――あっ、そうか……。

 ようやくテュエンは理解した。そもそも侍女が糖衣薬を、誰のために買っていたのかということを。

 ――あの子には少し効き目が弱いようでして……。

 ――もう少し地味な見た目が良いと言うんです……。

 ――本当に、すぐ癇癪を起こすんですよ……。

 先日の彼女の言葉が耳によみがえる。タヴァラン家の子息の用かとてっきり思いこんでいたが、真実は、当主テオドルド公その人の常用薬として購入されていたのだ。

 どうりで大量にるわけだ。そして彼女は薬の仕入れ先が下町の小店であることも、本来は小児用の薬であることも主人に伝えずにいたにちがいない。

 当然のことだ――武勇で鳴らしたあのテオドルド公、国に名高い五名家の当主が、幼児のように苦い薬を嫌がって飲まないとは! 噂になれば王城のサロンを三年は賑わす醜聞といえる。

「あの……」

 テュエンは言いかけ、結局そのまま口を閉ざした。

 この秘密をうまく利用して罪を逃れられないか? そう考えたものの、何を言うべきかわからなかったのだ。脅し文句も嫌なものだし、逆鱗に触れて状況が悪化するのも困る。

 言葉を探していると、背後から小声が聞こえた。

「テュエン?」

 振り向けばクルトが直立したまま、目線だけでこちらへ問いかけている。飄然と口を結んでいるが、かすかにしかめた両眉から、テュエンは親友がかなり困惑しているのがわかった。

 クルトは、あれがテュエンの薬であることは察したかもしれない。だが、まさか子供向けの糖衣薬であるとまでは知りようがない。なぜ隠居がすごい顔つきで黙ってしまったのか、理解できないのだろう。

 とはいえ、どう説明したものか。ひざまづき、後ろ手に縛られたまま、テュエンはとにかくクルトのほうへ身体を向けようと試みた。――と、

「シザンのテュエン。錬金術師」

 地を這うような、歯嚙みをなんとかこらえるような隠居の重い声がした。

「おまえはこの薬の件で、当家の錬金術師を訪ねて来たか?」

「は? いえ……?」

「言ったはずだ。我が屋敷を訪う前には、先触れを寄越すものだと」

 老人はまるで何事もなかったかのように、すっきり発作の治まった無表情でテュエンを見据えている。

 文脈を読みとれずテュエンが戸惑っていると、テオドルドは一瞬こめかみをぴくつかせ、視線で人を射殺せるなら殺しそうな目をクルトへ向けた。

「そうだろう、クルト卿」

「――たしかに。では、なにやら誤解があったようですな。もとより出入りの錬金術師ならば、私の出番でもありません。ただし無用に貴家を騒がせた点、少々注意もしたいため、この男を連れていきたいのですが。よろしいですか?」

「かまわん。行け」

 呆然として隠居を見る。手助けされて立ち上がると、クルトが捕縛縄を持っていた従士に命じてテュエンの戒めを解かせた。

 痺れた腕をさすりながら見回せば、広間に集った人々も唐突な幕引きに混乱しているようだ。だが主の決定には従うふぜいで、首を傾げながらも皆が退出しはじめていた。

「さあて、シザンのテュエン」

 からかい含みの呼びかけがある。振り向くと、クルトが緊張のとれた顔つきで口の端を軽く持ち上げてみせた。

「平民よ、タヴァラン家をわずらわせるとはなんという命知らずだ。――じゅうぶん長居しただろ? とっととずらかろうぜ」



 屋敷を出ると青空が広かった。午後の日差しがぽかぽかと舗道を暖めている。

 まるで何時間も石牢に似た屋敷に拘束されていた気がしたが、実際はほんの短いあいだで、テュエンは混乱した感覚を取り戻すようにゆっくり歩いた。

 一方、クルトは足早だった。ときどき焦れたようにテュエンを振り向いては、フィガリーサの旗色でもある群青のマントをはためかせている。

 錬鉄の門を出、谷底に街を見下ろす丘を上り下りし、鋸歯状きょしじょうの胸壁の目立つ厳めしい北望館が背後に小さくなる。そうしてやっとクルトは立ち止まり、遅れてくるテュエンを腕組みして待った。

「まいった」と衛士は息を吐き出した。「まさかあの爺さんと直接対決するはめになるとはな。これでしばらく俺はあのご老体に目をつけられることになる」

「すまない。きみを待つべきだったよ」テュエンは心から詫びた。「つい焦ってしまった。だけど本当に助かったよ、クルト。来てくれてありがとう」

「それなんだが、俺は最終的に話を合わせただけだ」片手を腰に当てて、クルトは顔をしかめた。「どうも納得いかん」

「だろうね」

「ありゃあ、いったい何だったんだ? 爺さん、突然態度を変えたよな。むしろおまえを追い出しにかかったぞ」

「テオドルド公の持病というのは、あの咳の発作のことかい?」

「ああ。酷いもんだったろう。……爺さんが食ってた妙なものは、おまえの店の薬だったんだな? だが――いや、やっぱり分からん。なんなんだ?」

 小さく含み笑いし、テュエンは悪戯いたずらめいた目を友人に向けた。

「他言しないなら教えるよ。これはタヴァラン家の沽券こけんに関わる秘密でね」

「しないしない。教えてくれ」

「剣に誓ってほしい」

「そこまでか?」

 呆れた仕草で首を振り、クルトは次の瞬間帯剣を抜いた。流れる所作で刀礼を切ると、「戦神の名にけて」宣誓をする。「――で?」

 テュエンは教えてやった。侍女のついた嘘のこと。苦い薬が嫌いなテオドルドが、あの場で初めて知った糖衣薬の秘密を。

「子供用の、甘いゼリー薬だと?」

 言ってクルトは眉間にしわを刻み、肩越しに北望館を振り向いた。

 真顔のテュエンに視線を戻して、嘘ではないと確認する。それから衛士はもう一度、今度は身体ごとタヴァラン屋敷を大きく振り返った。

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