4.薬草摘み

 翌朝も、さわやかに晴れた良い日和となった。

 テュエンが店を開けると、すでに扉前にミルレットと彼女の父親が待っていた。娘から事情を聞いたらしい父親はしきりに礼を述べ、自分が薬草摘みを手伝えないことを謝って帰っていった。農作業の多い季節に、下の娘の看病で母親がつきっきりになっている。彼だけは仕事を休めないのだ。

 編みかごに手荷物や軽食を入れて、テュエンはレムファクタ、ミルレットと一緒に郊外へと足を向けた。上の街の城壁、北東にある門で、クルトと臨時手伝いの三人と合流する。クルトによれば三人――アダモ、ニコ、ベニーと名乗った――は、酔っ払って下町の標識を破壊したという男たちだったが、衛士より十年ほど年長の彼らは皆、いたって平凡な人当たりのいい人物だった。

 歩き出し、ほどなくして目的の丘陵地に到着する。テュエンは持参した白鷹草の絵を全員へ紹介し、のどかなヒバリのさえずりを聞きながら花摘みを開始した。

「ちょうどここに、ひと株咲いていますね。この冬薔薇に似た白い花を、つぶさないように摘んでほしいんです。花はひと株に複数ついていますが、全部は摘まずに、いくらかは残しておいてください。そうすれば来年もまた咲きますから」

 膝をついて大地の花を覗きこんだ男たちは、何らかの職人仲間であるのか全員ぶ厚い体躯をしている。よしわかった、と頼もしく答えながらも、彼らはどことなく微妙な笑みで互いを見交わした。

「まさか用水路の砂利じゃりさらいの予定が、お天道様の下でのお花摘みになるたぁな」

「まったくだ。親方になんて言やぁいい。仕事にも出ねえでお花摘んできましたなんてな、えらいドヤされるに違ぇねえ」

「せいぜいこってり絞られろ」呻く男たちを、磊落に笑ってクルトがからかう。「砂利さらいより、あんたたちにはこっちのほうが効くだろう」

「勘弁してくださいよ、クルトの旦那」

「さっさと仕事に戻りたいんなら、お花摘みを張りきるんだな。そうそう、俺はいったん街へ戻るが、監視がないからといって間違って標識摘んでくるなよ」

「旦那ぁ」

 丘陵の草地は、春花の彩りから初夏の花へと移り変わりゆく最中だった。

 山峰から吹きおろす風はまだ残雪の匂いに湿り、高地の小さな花々の蕾を涼しく揺らしている。眼前にはなだらかに下る谷間の底、赤いテラコッタの屋根屋根を輝かせる美しいリシュヌーの小都が眺められたが、ミルレットは一心に足下を見つめて採集に励んだ。

 昨日、テュエンという錬金術師にもらった薬はよく効いた。身体を温める効果のある茶褐色の丸薬と、すみれ色の眠り薬を飲んだ妹は、いつものように夜中、無意識に起きだして彷徨さまようことをしなかった。ぐっすり眠れたとみえ、今朝は熱くした山羊のミルクを飲むこともできたのだ。

 きっと、術師様の作った白鷹草の薬を飲めばコーニアはすっかり良くなるだろう――やっとそう信じられて、ミルレットは作業に疲れを感じなかった。父母が涙ぐんで安堵した顔を思い出す。自分のがんばりでコーニアを救うのだ。

 二時間ほどたつと、いびつな翼のレムファクタが休憩に呼びにきた。三々五々、斜面に散っていた人々が集まり、錬金術師の用意していた二度焼きのビスケットとチーズの切れはしで小腹を満たす。テュエンは小鍋も持参していて、茶葉を煮出して全員に振る舞ってくれた。

 錬金術とは縁遠いミルレットや三人の職人たちにとって、テュエンの茶の煎れ方はちょっとした見ものだった。術師は透明な色ガラスに似た小石を二粒取り出すと、卵を割るようにそれを鍋端に打ちつけて放りこんだ。ピリッと小気味よい音がしたと思うと、突然鍋に清水が湧き、みるまに湯気が立って沸騰したのには驚いた。ほんのり甘い淡緑色のハーブ茶を、弟子のレムファクタが得意そうにみんなのカップに配って回った。

 それは薬茶だったのか、気分もさっぱり一新されて、ミルレットは他の仲間たちより早く花摘みを再開した。――それからいくらもたっていない、陽が中天に差し掛かる頃合いだったろうか。

 警邏けいらの仕事で、一度街に帰っていたクルトが様子見に戻ってきた。

「――テュエン。順調か」

 ミルレットの頭上で、衛士隊長の呼びかける声がした。

 顔を仰向あおむけても姿は見えず、呼んだ者も呼ばれた者も少女とは丘の反対側にいるらしい。丈高い草の葉に埋もれがちな白鷹草を探して、ミルレットは身を屈めて斜面の陰を進んでいった。

「やあ、クルト」術師の返答がある。「おかげでだいぶ集まったよ」

「俺は手伝えなくて悪いな――お、そこそこ入ってるじゃないか。昨日言ってた話じゃ、このくらいあれば充分ってところじゃないのか? まだ摘むのか」

「それなんだけどね……」

 テュエンの声色がふと曇り、ミルレットは思わず作業の手を止めた。続いた術師の声が、周囲をはばかるかのように低められたのが気になったのだ。

「花をいくつか食べてみたんだけれど、火性の魔効がほとんど感じられないんだ」

「花を? 生で食ったって? 食ってわかるもんなのか」

「錬金術師はよくやるよ。私は多少魔術の心得もあるからね。強い魔効があるなら感じ取れないこともない――んだけれど。少なくとも、私に分かる程度の火性の魔効を、この花は持っていないみたいだ」

「つまり、なんだ。薬は作れないってことか?」

「いや、わからない。理論上、氷性と強く対立するのは火性だけれど、必ずしも白鷹草の薬効がそういった元素属性にるものだとはかぎらないからね」

「テュエン、もうすこし平たく言え。俺には錬金学はわからん」

「今日集めた花で薬を作って効けばよし。そうでないなら、花はもっと大量に必要になる。この丘で集められるぶんだけでは足りないと思う」

「そうか。予想より難物だな、これは」

「まあ、必要なら数日かけてでも集めるよ」

「俺もなんとか時間を作ろう。おまえ、店のほうは大丈夫なのか?」

「乗りかかった船だよ。休日返上だねえ」

 苦笑して息を吐く気配を聞きとりつつ、ミルレットは二人に気づかれぬよう静かにその場を離れた。

 ――迷惑をかけてるんだ……。

 草むらを探りかけた手を止めて、少女は軽く唇を噛んだ。

 薬の効果に不安は感じない。昨日のまにあわせの薬でも、あれだけの効き目があったのだ。テュエンなら難しくとも治療薬を作ってくれるだろう。けれどもそのために錬金術師は、自分自身の生活を犠牲にしてくれているのだった。

 幼いころから父母を手伝ってきたミルレットは、日々暮らしていくために働くことの大切さを子供ながらに理解している。テュエンが少女に付きあってくれているあいだ、彼は店を臨時休業せざるをえない。錬金術師の仕事内容を少女はよく知らなかったが、留守番中に根菜糖作りをレムファクタと手伝っている。その感触からすると、農園での労働と同じくらい大変そうだった。

 ――それでも術師様は、パンと同じくらいの値段で薬を売ってくれるって……。

 あまりにも割に合わない。わざわざ尋ねずとも、それは少女にも察せられた。

 花をあらかた探しつくした丘を見渡しながら、ミルレットは初めて自分を手助けしてくれる者たちへ申し訳なさを感じていた。

「おーい、お嬢ちゃん。このへんはもう、嬢ちゃんが探しおわったかい?」

 振り向くと、手伝いの男の一人が丘を登ってくるところだった。

「うん、このへんは終わった。そっちの道の反対側は、まだ」

「そうかあ。もうひと踏ん張りするかあ」

 腰を伸ばしてそう言うと、男は探す場所の目星をつけるつもりかミルレットに並んで立った。確かニコという名前の彼は、頭の赤いバンダナを解いて髪に風を通し、また巻き直しながら親しげに話しかけてくる。

「嬢ちゃんは、妹がたいへんな病気になっちまったんだって?」

「うん……」

「だけど良い錬金術師の先生が見つかって、よかったな。俺は世話んなったことはねえけどよ、クルトの旦那のご友人なら立派な先生なんだろうよ」

「…………」

「どうしたい、疲れたかい?」

 黙ってしまったミルレットを、心配そうに見下ろしてくる。盗み聞きした話を言っていいものか迷ったが、結局ミルレットは口にした。

「花、今日のぶんじゃ足りないかもしれないんだって」

「へへえ、けっこう集めた気分だったのに。小ぶりの花だもんなあ」

「このへんの丘だけじゃ、足りないかもしれないって言ってた」

「そんなにかい」

 ニコは目を丸くしてミルレットのうなずくのを見守り、姿勢を正して頭を掻いた。大変な薬なんだなと呟き、ふと思い出したように顔を北へ向けた。

「タヴァラン様のお屋敷で、この薬草を育てちゃいねえのかな」

「え?」

「いやな、この小道の先にタヴァラン様っていう大貴族のお屋敷があるんだよ。北望館って呼ばれてんだが、その館の横に植物温室が建ってるのさ」

「温……室、って?」

「錬金術の道具とか仕掛けを使って、部屋のなかを年中あったかくしている建物のことだ。人が住む用じゃあなくってな、植物を育てるためのもんらしい。南の国でしか育たねえ珍しい樹とか、夏にしか咲かねえ花を冬に咲かせたりして楽しむんだとよ」

「夏の花を、冬に……」

「帝都で流行はやりなんだとさ。草だの樹だののために、大金払ってあんなもん建てるなんざ貴族ってのぁいい気なもんだが、ま、俺らとしちゃあ仕事もらえてありがてえってのはあるよな。実はね、あの温室を普請ふしんしたのは俺たちなんだよ。だからあの家の錬金術師に注文つけられがてら、話も聞いてね。いろんな薬草育てるつもりだって、言ってたっけなあ」

 とはいえ俺らが行ったところで、門前払いに決まってる。

 そこまで言ってニコは、深刻な顔つきで話を聞くミルレットに気がついたようだった。はっとしたように話を切り、少女の顔をのぞきこむ。

「まぁ、よ。この薬草――白鷹草だっけ? こいつは普通に生えてる草なんだから、わざわざ温室で育てやしねえだろう。それじゃ休憩もしたし、俺はあっちのほうで探してくるからよ。籠いっぱい集めような」

 ぽんと頭を撫でられて、ミルレットはうんとうなずいた。頭では目まぐるしく考えながら、男に怪しまれないよう作った笑顔を向けておく。安心してニコは、小道を渡った丘の斜面をぶらぶらと下っていった。

 ミルレットはしゃがみこみ、草むらを分けているふりをした。時折り頭を上げて、他の人々の居場所をさりげなく確認する。

 すこしずつ、すこしずつ、少女は丘陵を北へ目指した。



「やれやれ……。このあたりの丘は、こんなものかな」

 腰を叩きながら背すじを伸ばし、テュエンはうしろにげた小籠へ摘みとった花を三つ落とした。

 頭上では相変わらず、綿雲がのどかに流れていた。ヒバリは巣に戻ったようだ。思い出したように、胃袋がひかえめに空腹を訴える。

 籠を腰前へ回して収穫物を確認すると、白い花は両てのひらをいっぱいにするほどには摘みとれただろうか。テュエンは額に手をかざし、採集仲間を探してみた。全員ぶんを合わせれば、そこそこの分量は採れているだろう。

 ――夏の花なら、一人分の治療薬にはもう充分といえる量なんだけど……。

 ミストゥッリ地方に伝わる製薬法を、テュエンは思い出しながら概算してみた。

 教えによれば、花は小さな餅状に加工して長期保存する。まず摘んだ花を山の湧水でよく洗い、ワイン作りと同じように足で踏みならして冷暗所に広げる。薄く蜂蜜を溶かした水を振りまいて半日発酵させ、すりこぎ棒でよくいてから、小さな平円状に成型する。

 乾燥させれば数年は薬効を保つそれを、氷霊憑きの病人には一日五、六回、煎じて飲ませる。衰弱が致命的になる前なら、一週間ほどで患者は快復するということだった。

 最初の休憩までの収穫と同じほど採れていると仮定して、ざっと十日ぶんの材料は集まっているだろう。しかし伝承は同時に、しゅんをのがせば花の効能が半分以下に落ちるとも伝えている。やはり多めに見てあと一日二日、場所を変えた採集継続の必要がありそうだった。

「やあ、お疲れさまです」

 ちょうど丘の稜線をやってきた男に手を上げて、テュエンは昼休憩に一度、街へ戻りましょうと呼びかけた。

「午前だけで終われればよかったのですが、そうもいかないようです。申し訳ない」

「先生が謝るこっちゃねえでしょうよ。こっちは罰則がわりでやってるんだし。砂利さらいで雪解け水に震えるよりゃあ、よっぽど気持ちがいいってもんですわ」

 気さくにそう返すのは、アダモという手伝い人たちのまとめ役の男だった。ありがとうございます、とテュエンは感謝し、

「とりあえず、お昼ですね。みんなに声をかけないと」

「俺はうちの連中を呼んできまさぁ。はは、あっちでカエルみたいに這いつくばってるよ」

「では私は子供たちを。どこへ行ったのかな……」

 だが、しばらくのち――あたりでも小高く突き出た丘の上に、困惑気味に周囲を見渡すのは四人の大人たちだけだった。

 ミルレットとレムファクタ、二人の子供の姿が見当たらない。四人は口の横に手をあてて、大声で二人の名を呼ばわっていた。

「いったいどこまで行ってしまったんだろう?」

 途方に暮れて、テュエンはあたりを見渡した。

 ところどころ木立があるとはいえ、深い森が始まるのはもうすこし北か、川向こうだ。夢中で採集していたとしても、迷いこむには遠すぎるし、そもそも薄暗い下生えの中では白鷹草は育たない。

 両手をおろして、テュエンは同じように困った面持ちの三人を振り向いた。

「南のほうへ行ってしまったんでしょうか。まさか川は越えていないと思うけれど」

「丘の底にいて、見えねえだけかもしれませんよ。なにしろ小さいから」

「もしかすると――タヴァラン様のお屋敷に、行っちまったのかも」

 ためらいがちに口を挟んだのは、頭に赤いバンダナを巻いたニコという男だった。

「北望館に、ですか? どうして?」

「申し訳ねえ。俺がうっかり言っちまったんだ。あのお屋敷の温室で、薬草育ててるんだって……」

「タヴァラン家の温室のことを、あなたは知ってたんですか?」

 驚くテュエンに、先輩株のアダモが舌打ちして説明した。

「よけいなことを言ったなぁ、ニコ。あの温室の施工ですがね、先生、うちの親方が請けたんですよ。しかしまた何のつもりでおまえ、そんなことあの子に吹きこんだんだよ?」

「だ、だからすまねえって……」

 しょげるニコから視線を北へ移し、アダモが心配そうに顎髭を撫でる。

「なんせ子供だからな。薬草をもらえるか、聞きに行っちまったにちがいねえよ。だけど正面から行ったとしても、門番が入れやしねえだろう」

「先生。俺、走って行って見てきますわ」

「いや、私が行きます」

 だけど俺のせいだから、と言うニコへテュエンはかぶりを振った。

 嫌な予感がしていた。ミルレットは農民の子だ。学び舎へ通うひまはなく、学はないが、しかし頭の良い子供だった。上の街の錬金工房が自分を相手にしないと予想して、霊薬と引きかえに財布だけ置いていこうとしたくらいだ。

 そんな少女が大貴族の邸宅を、正面からのこのこ訪ねたりするだろうか? まして敷地を守る錬鉄門には門番が二人もいた。槍をかかげた番兵が厳重に守っているのを目にして、あの子が素直に近づくとは思えない。

「誰か、クルトに連絡をたのめませんか」焦りながらテュエンは言った。「私を追ってくるよう、彼に知らせてほしいんです」

 腰からはずした小籠をどこへ置くか無意味に悩みつつ、

「他の方はここに残っていてください。子供たちは単に遠出しただけかもしれないですし。二人が戻ってきたとき、誰もいないと困るでしょう? それで、もし二人と先に合流できたら、収穫した花を持って街へ戻っていてくれませんか」

「先に街へ? いやあ、俺もお屋敷へ行くって、先生」

「昨日ですが、私とクルトは北望館を訪ねているんです」

 おや、と眉を上げた男たちに、テュエンは正直に話した。

「家付きの錬金術師と話していたら、たちまち当主に見つかって追い払われました。正式に訪問約束を取りつけてから来るように、と。どうやらタヴァラン家は曲がったことが嫌いなようだ。――クルトが見逃したけれど、ミルレットは上の街で盗みをやってます。今度のいきさつが先方に知れたら、あなた方にまで類が及ぶかも。

 北望館は私にまかせて、皆さんは南を探してください。――いや、本当に大丈夫。タヴァラン家の私兵をけむに巻く程度の錬成品は、持ってきていますから」

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