第2話 糖衣薬
1.二人の客
刻み終えた根菜をザルに山積みして、テュエンは額の汗を腕で
先日届いた大量の根菜を、葉の部分を切り落とし、タワシで綺麗に水洗い、さらに皮を剥き、適当な大きさに角切りにしたところだった。まるで調理場の下働きさながらの重労働だが、本当の試練はこれからなのだ。
一息つけば動けなくなるのは目に見えているので、テュエンは続けて裏口から屋外に出た。先は、柔らかい赤みを帯びた敷石の共同中庭になっている。さんさんと陽が注ぐ庭では近所の洗濯物が風に揺れ、中央には共同大井戸がどしんとした石構えをみせていた。縁石に置かれた木桶を放り込んで、テュエンは水汲みに精を出す。
無心に滑車を回し、桶を抱えて数往復。ようやく作業場の
「さてと、レム」やっと一息つき、テュエンは作業場の隅にいる弟子を振り返った。「悪いけれど、続きの作業は店のカウンターでやってくれるかな」
「わかりました!」
ローブに着られたような格好で、床に座り込んでいた少年が顔をあげた。元気よく返事したのはいいものの、弾みで
「スカーフを口元に巻いておきなさい」テュエンが笑って言うと、
「は……!」
また息で飛ばしそうになるのを慌てて口を引き結び、レムファクタは立ちあがった。
弟子が心なし慌てたようすで隣室に去るのを見送りつつ、テュエンは炉へ紫紺に
――夏には避けたい作業だけど、
パチパチ小石の砕ける音とともに、青白い高熱炎が炉にあふれた。ある程度、湯が温まってから根菜入り麻袋を投入。これから何度も茹でこぼし、ひたすら煮詰めていく蒸し暑い苦行の始まりだった。
けれど、そこでテュエンはふと笑みを浮かべた。
炉の傍らで鍋をかき混ぜる、猫背の男というこの構図――どこかで見たなと思ったら、古典絵画によく描かれる昔ながらの錬金術師そのものじゃないか。
「とはいえ、伝統のローブなんか纏ってはいられないぞ」
独りごちて覚悟を決めると、あちこち染みのある灰色の長衣を脱いで放った。すぐに蒸し風呂となる室温に備え、現代の錬金術師はシャツのボタンを二つ外した。
谷間の街リシュヌーは、風邪の季節だった。
広大で険峻な冬の
テュエンの店も例外ではない。街の錬金工房のほとんどは、貴族屋敷や講学館のある川向こうの上の街に集まっている。下町にあるテュエンの店は、普段なら近所の通りの住民や知人に客層が限られるのだが、この時期ばかりは他の工房の下請けをしたり、薬を探す新規客の対応で大忙しになった。
嬉しい悲鳴ではあるだろう、いつもひっそりしている店としては。それに今年は、ようやくテュエンに弟子と認められた預かりっ子のレムファクタが、以前より張り切って――簡単な薬草の下処理くらいは、前から手伝ってもらっていた――作業してくれるため、感冒薬の在庫は充分に整っている。……はず、だったのだが。
ただひとつの誤算が、今テュエンが汗をかきつつ作っている
良薬は口に苦し、という。人から受ける忠告はありがたいものの耳に痛い、というのが元の意味の、東方の諺らしい。だがテュエンが学んだ帝都大学では、錬金学、特に
――むしろ、良薬は口に不味し、と言いきっていたかな。
効能第一で調合するのが錬金術師の薬である。当然ながら二の次となる味は、反射的に吐き出すほどの酷さもでないかぎり、飲みやすくする工夫はなされない。
服薬するのが成人なら、我慢して飲んでくれるだろう。
子供。とりわけ、預ったばかりのレムファクタは手強かった。
翼に奇形を持つ有翼人種の少年は、五年ほど前、翼の回復を願った両親からテュエンに託された。異郷の風土に慣れないレムは当初頻繁に熱を出し、テュエンが薬を調合しても、味のせいかなかなか素直に飲んでくれなかった。苦心のすえ編み出したのが、砂糖をまぶしたゼリーで薬を包み、味をごまかす方法だった。
糖衣の工夫はうまくいった。その後、薬は同じ難題を抱えた近隣の親たちにも重宝されるようにもなった。季節問わず、店の売れすじ商品として棚に並ぶことになったのだが……。
「あの大口顧客、どこからうちの薬について聞いてきたんだろう……」
おたまで几帳面に
二ヶ月ほど前からになる。店の糖衣薬を、あるだけ買い占めていく女性客が現れていた。
砂糖も蜂蜜も嗜好品だ。少しでも価格を抑えられるよう、テュエンは根菜糖を手作りしている。その精製には手間がかかり、テュエンは強火力を持続する錬金滴を自作できるのでなんとか商売になっているが、その客のおかげで、あっというまに備蓄が底をついてしまったのだ。
聞けば女性は上の街の住人で、やはり薬を嫌がる子供に手を焼かされているらしい。糖衣薬はテュエン独自の発明だから、他の工房では扱っていない。仕方のないこととはいえ、買っていく量が量だった。
糖は、雪下根という高原
――やはり、あの客とちょっと相談をしたほうがいいのかもしれない……。
眉を寄せてテュエンが悩んでいると、頭上で壁時計の秒針がカチッといった。顔を上げれば、短針がきっかり十一時を示している。
――いつもどおりなら、そろそろ来る頃合いだな。
毎月二回、第一週と三週の週末。それが件の客の決まった来店日だった。
鍋端にわだかまる灰汁をおたまで除きながら、テュエンは店へ通じるドアをなんとなく見やった。と、ドアベルがちりんと鳴る。店の表戸と連動した
「師匠!」ややあってレムの呼び声があり、ノックの間を置かず扉が開く。「来ましたよ、糖衣のお客さんですよ!」
金髪の巻き毛頭を少し覗かせただけで、室内の蒸し暑さに「うわあっ」少年は叫んで引っ込んだ。テュエンは笑いながら布巾で汗を拭い、店のカウンターへと向かった。
「いらっしゃいませ。こんにちは」
挨拶すると、客は驚いたように空色の目を瞠った。すぐにニコリと笑み、「こんにちは。今日もお薬をいただきに参りました」
化粧っ気のない素肌に、質素な生成りのウール地のドレス。肩に軽くショールを羽織る出で立ちは、一般庶民のご婦人ふうだ。だが、軽く膝を曲げる会釈はまるで貴族に対する挨拶だった。腕まくりして胸ボタンまで緩めたテュエンが、錬金術師らしからぬ格好で出てきたので混乱したのかもしれない。
――おまけに首には、手ぬぐいまで引っかけているし。
威厳も何もあったものではなかった。内心苦笑しつつ、テュエンは流れ落ちかけた汗を手ぬぐいで拭った。
「今日も咳止め薬をご所望ですか」
「ええ、お願いいたしますわ。いつもの糖衣薬を、五十個ほど」
「お待ちください、ご用意いたしますので。ところで、少々ご相談がありまして……」
「あのう、ひとつ伺ってもよろしいかしら」
問いかける声が重なってしまい、客とテュエンは双方口を噤んだ。
テュエンが微笑んで相手へ譲ると、女性は嫌みのない物腰で礼を言いつつ、困ったように小首を傾げた。
「こちらのお薬には、本当に助かっております。おかげさまで、息子も毎日の薬を嫌がらず飲んでくれるようになりました。ただ、あの子には少し効き目が弱いようでして……。それに、見た目の色合いも、ちょっと」
「色合い、ですか?」
効能については検討がつく。子供の体格によって、ゼリーが含有する薬の量が足りないことがあるからだ。けれども、色というのは何だろう?
瞬くテュエンに、客は申し訳なさそうに頷く。
「もう少し、地味な見た目が良いと言うんです。子供扱いされるのが嫌なようで。本当に、すぐ癇癪を起こすんですよ。私もいつも困らされているのですけど」
「なるほど……」
天然色は黄みがかった半透明のゼリーを、かわいらしい三角錐型に整形したうえ、わざわざ赤や緑やオレンジの彩り豊かに染めつけたのは、テュエンのこだわりの工夫だった。華やかな見た目なら、何事にも注意散漫な子供を飽きさせず、薬を飲ませるのに効果的だと考えたからだ。
実際、レムや近所の子らには好評だったようである。けれども目前の客の息子は、味覚はともかく美的感覚には早熟した感性を持つらしい。
テュエンは内心がっかりしつつ、客の要望には素直に応じた。
「わかりました。今回ご用意できるぶんは色つきになりますが、次回からは染色なしを調合しておきましょう。それから薬の効能については――失礼ですが、お子様の体重はどのくらいですか?」
「えっ、体重? 体重……と、おっしゃいますと?」
「身体の大きさ、つまり体重によっては必要な薬の量が異なるのです。この咳止め薬は、だいたい十二歳以下の小児用に調合されていますから」
「十二歳……。実を言うと、うちの子は他の子に比べて成長がだいぶ早いようなの」
「やはり。もう十五、六歳くらいの体格があるようなら、一度に飲む量を二つにしてください。それでも効能が弱いとなったら、薬の種類を変えるか、特別に息子さんに合わせた分量を考えたほうがよさそうですね」
「そうですか……。細かいことを言って申し訳ありませんわ。ありがとうございます」
「とんでもない」と、応じながら、テュエンはこっそりと客の顔を窺った。
解決した口ぶりで礼を述べつつ、女性はまだ思い悩むように眉を寄せている。
他にも何か問題が? テュエンが尋ねるべきか否か迷っていると、商品棚へ行っていたレムが品物入りの包みを抱えて戻ってきた。
「お待たせしましたあ!」
「まあ、ありがとう」
「レム、数は五十ちょうどかな」
「はい! おれは師匠の一番弟子ですよ。ちゃんと二回、数えました!」
「ありがとう。お客さんに、失礼があってはいけないからね」
「任せてください!」
両翼を精一杯広げてレムファクタがふんぞり返る。その後ろで、表戸のドアベルがまたちりんと鳴っていた。
他にも客が来たようだ。にこにこしてレムを見ていた女性客が、気づいたようすで代金を支払う。狭い店内で次の客の迷惑にならぬよう、彼女は挨拶もそこそこに踵を返した。
店の中二階の踊り場で、女性は次の客とすれ違ったようだ。交わされた声を聞くまでもなく、遠慮のない具足の足音でクルトが来たのはわかっていた。
「よう、錬金術師」いつもの挨拶に、衛士は愉快げにニヤッと笑う。「なんだ、その顔は。ご挨拶だな」
「いや、別に。きみがドカドカと勢いよく来たせいで、今の客と大事な相談をしそびれただけだよ」
「そりゃ悪かった。ひとっ走り行って捕まえて来ようか?」
「いいや、もう仕方がない。次回のぶんまではなんとかなるし……。それより、うちの大事な客を盗人みたいに言わないように」
「なかなか素敵なご婦人だったな。しかし、どこかで会った気もするんだが……」
「うちの大事な客を口説こうとするのもやめてくれ」
わははと笑って、クルトは近くにいたレムファクタの巻き毛頭をかき混ぜた。少年は翼をばたつかせて抗議しながら、クルトからさっと距離をとる。カウンター内まで逃げ戻ったものの、つま先立ちで衛士の背後を見るのは、連れの客に関心があるらしい。
テュエンも最前から、その小さな客が気になっていた。
衛士の紺青のマントの後ろに、半ば隠れるように少女が一人立っている。汚れの目立つ粗末な服を着た、十歳くらいの痩せた娘だ。明らかに栄養状態のよくない、か細い手足と藁束のようなお下げ髪。付近の村に住む貧しい小作民の子か、裏路地の浮浪児だろうか。
辺境領のリシュヌーは平穏な小都市だが、騒動や犯罪と無縁というわけにはいかない。少女は口をきっと引き結び、野良猫じみた猜疑の目で周囲を油断なく探っていた。
クルトが彼女の細い腕をしっかり握って放さないのは、どうやら迷子の哀れな子供を保護したのではなさそうだった。
「お察しのとおり、ちと相談があってな」
テュエンの目線に気づき、クルトはわざとらしく咳払いする。
「おまえに客だ。といっても、このレディの手持ちは多くない」
「なるほど。それで、どんな品が欲しいのかな」
「錬金薬だ。――どんな難病でも癒やす、万能の錬金薬」
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