5.エピローグ
泉の広場の人だかりから、すこしだけ切ない、けれども優しいリュートの音色が流れてきている。
その人垣を遠巻きにして、広場のすみでテュエンも演奏に聴き入っていた。春の初めのリシュヌーは、空気もまだまだ肌寒く、けれども淡い青空からは暖かい陽光が注ぎはじめたところだった。
午前の広場は普段なら多くの人々が行き交い、馬車が走り抜け、これから忙しさと活気とが増していく頃合いだろう。けれど今日だけは、通りがかりの人々が思わず時間と用事を忘れ、足を止めている。広場ぞいの店からは客も主人も顔を出し、子供らが遊び騒ぐのを止めて、恋人たちは手を繋いでリュートの旋律に聴き惚れていた。
今日、この街を発つのだと、セリエラが挨拶に来たのは昨日のことだった。
各都市にいる
楽師は
彼女はもう漆黒の喪服を脱いでいた。吟遊詩人らしい、そでの膨らんだ白ブラウスに華やかな赤のベスト、金糸で縁を縫い取りした、艶やかな舞台衣装を身につけていたのだ。
「うちの街での演奏は、これで最後らしいね」と、隣の男女が囁きあっている。
「残念だわ、もっと聴いていたかったのに。この曲は何かしら。とっても美しい曲。前に聴いたものと似ている気もするけれど」
「〈ウェシオの歌〉だそうだ。しみじみするメロディだよね。僕も好きだなあ」
実は伝言の内容を知っていたのだと、クルトが白状したのはあの約束の夕暮れの翌日だった。セリエラの恋人、ウェシオが息を引き取る直前に、クルトら討伐隊の到着が間に合っていたのだ。
鷲獅子にさらわれた作曲家は、運よく無傷で巣に運ばれた。けれど恐ろしい雛の嘴から逃げ惑うさなか、彼は絶壁の巣から滑落してしまったのだ。討伐隊の到着はその直後で、魔物討伐後、岩棚に引っかかっていたところをなんとか救出されたものの、滑落時の打ちどころが悪く、作曲家はまもなく命を落としたという。
彼が亡くなる前、クルトは頼まれて彼の持ち物からあの鳥籠を取り出した。伝言が吹きこまれるのを、クルトはそばで聞いていたのだ。それから親友は街に帰還し、数日後、今度は泉の広場で打ちひしがれているセリエラを見つけたということだった。
「先に内容を教えてやろうとは思わなかったのかい?」
聞き終えてテュエンが尋ねると、クルトは首を傾げて片眉を上げた。
「恋人の大事な遺言をか? 俺もそこまで野暮じゃない。それにおまえの製品だと知っていたからな。おまえなら彼女の願いどおりに鳥を直せるかもと思ったのさ」
「せめて私には、先に教えてくれてもよかったのに」
「余計に考えこむだろう、おまえは。内容を知ったらなおさら気負うかと思ってな」
テュエンは溜息を吐いて軽く首を振り、「しかし今回のような件は二度とごめんだよ」釘を刺したが、友人は悪びれるそぶりもなく肩をすくめてニヤリとした。
「だが、レムとは和解できたんだろう?」
テュエンの肩を強く叩き、背をひるがえして逃げていった。
ふいに拍手が沸きおこる。見やれば、〈ウェシオの歌〉の演奏が終わったようだった。けれど聴衆は拍手をやめず、つづいての演奏を求めている。
すこしの間があり、聴衆からのリクエストのあと、演奏は再開された。人々の感嘆が、声数の多さのために思いのほか大歓声となって、また新たな通行人の足を止める。
耳に甘やかな弦の調べ。再び、〈ウェシオの歌〉。劇的な悲壮感はなく、ただやわらかな哀惜と、去りゆく音色の残す優しさが聴く者の心を慰める。今はすこしだけ翼を休め、ひとときの眠りののち、また新しくそれぞれの道を進んでゆけるように。
テュエンはふと、呼ばれたように振り向いた。微風が鼻先をかすめ、そこに花の香りが匂っていた。空を見上げると、雪かと見まごう白い切片がちらちらと輝き舞っている。どこかで咲いた春の花弁を風が連れてきたようだった。
そのままテュエンは歩き出した。雪雲が陽をさえぎったいつかと違って、今度は途切れるようすのないリュートの音色を楽しみながら。
家の作業場では、レムファクタが薬草の磨り潰しに指先を青く染めているころだろう。四苦八苦している彼を置いて、一人でセリエラの演奏を聴いてきたと知れたら……。
――あの一番弟子は、翼をぱたつかせてすねるに違いない。
くすりと笑って家路につく。街路を歩むテュエンの背を、追ってきた春の風が花弁とともにふわりと押していった。
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