Chapter 4

 私の言葉に、澄香は何も答えず、私を見つめていた。

 私もそれ以上追及の言葉はかけなかった。澄香が何か言うのを、たたじっと彼女の顔を見つめて待つ。

 肩を掴む手が、意識していても震えてしまう。食い入るような目で、澄香を睨み続ける。

 どれくらいそうしていただろう。前触れもなく、澄香の目から涙が零れ落ちた。内心ぎょっとしながらも、厳しい表情を崩さない私の腕に、澄香の手がそっと触れた。

「水奈……思い出して、くれたの?」

 上ずった声で、涙を流し続けながら澄香が言う。

 私は、それに答えない。腕を掴まれても動じない素振りで問いを重ねる。

「ねぇ、どうして? 記憶を失くした私に、「女の子同士でそんなのおかしい」って拒絶されるかもしれないとか思った? それとも――」

 続く詰問に、澄香の表情が歪む。それでも私は、追及を緩めない。どうしたって拭えない不安を消すために、もう一つの疑念を突き付ける。

「――本当は後悔してたの? 私の告白を受け入れたこと。いっそ私が忘れたままだったら、無かったことにできると思ってた?」

「ッ違う! 違うよ水奈!!」

 私がそれを口にした途端、澄香の顔が青ざめた。泡を喰って、腕を掴んでいた手を放したかと思うと、今度は肩にその手を乗せた。

 澄香は涙を拭く余裕もなく、

「違う、そうじゃないの。澄香が「好き」って言ってくれたの、私もすごく嬉しかった。恋人になれて、本当に良かったって思ってる!」

「だったら、何で言ってくれなかったの!?」

 縋るような澄香の言葉に、私の語気もつい強くなってしまう。

 澄香が、悲しそうに目を細めた。それでも、黙ることはしない。彼女は私の問いに、躊躇うことも、誤魔化そうとすることもせず、すぐさま答えを返した。

「だって、水奈が私の事信じてくれるんだもん!」

「……どういうこと?」

 思わず、そう尋ね返してしまう。

 嘘ではなかった。はぐらかしたわけでもなかった。それは、澄香の表情を見れば分かる。単純に、彼女の言葉の意味が分からなかった。

 私がそう尋ねたからなのか、そんなことには気づいていないのか、澄香は言葉を続ける。

「私が、「水奈は私の恋人だった」なんて言ったら、水奈は私の恋人として振る舞ってくれそうだったから。水奈自身がそれを完全に信じ切れなくても、私の期待に応えようとしてくれそうだったから。言ったでしょ、「記憶を失くす前の真似をしようとしなくていい」って。だから、水奈がちゃんと思い出してくれるまで、私は……」

 と、そこまで言って、澄香は再び嗚咽を漏らし始めた。その先は言葉にならず、何度か口をぱくぱくさせた後、私の胸に飛び込んできた。

「うっ、ひっく……!」

 ブラウスにしがみつく澄香を、私は引き剥がそうとはしなかった。その小さな頭を、そっと両手で包み、髪を撫でる。

 澄香の危惧が、的外れだったなんて私には言えない。それでも、澄香に隠し事をされたことを辛いと思ってしまうのは、おかしいだろうか。

 澄香が私に話した理由が嘘だったとは思わない。けど、そこには別の、より本質的な理由があることは察していた。

 澄香は、私を信頼してくれていない。

 記憶を失う以前の『安田水奈』とは違い、何も思い出せない今の私を、澄香は信頼してくれていない。本来の私ならばこうするはず、という信頼を、私には寄せてくれない。無理もないことだとは思う。今の私は、極端に言えばかつてと別人のようなものなのだから。

 だけど、私にとってはそれが何より辛い。澄香が私を見てくれないことが、他の何よりも辛い。

「ねぇ……水奈」

 未だ顔は上げないまま、掠れた声で澄香が呼びかけてくる。

「思い出してくれたんだよね?」

 問いかける言葉に、私はゆっくりと答えた。

「私が澄香に告白して、澄香がオッケーしてくれた。事故に遭う前の日に、そうやって恋人同士になった。そのことだけ、思い出したんだ。他のことは、まだ何も」

「……そっか」

 そう呟く澄香の声は、落胆の色が濃かった。他にどうすることもできず、私は何度も彼女の髪を撫でた。

 ぐすっ、ぐすっと、何度か鼻を啜る音。その後で、澄香がおずおずと顔を上げた。泣き腫らした目で私を見上げる。私もそれを、何も言わずに見下ろした。

「……うん、それでもいい」

 ぽつりと、澄香が零す。自分の言葉の響きに勇気づけられたように、澄香は口元に小さく笑みを浮かべると、もう一度呟いた。

「それでもいい。それだけでも、嬉しい」

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