Chapter 3

 翌日。

「お、お邪魔します……」

「そんなに畏まんないでちょうだいな。澄香ちゃん、今までだって何度も遊びに来てくれたじゃない!」

 玄関先で母さんの出迎えを受けた澄香は、ちょっと戸惑っているようだった。手を握って上下に振る母さんを、愛想笑いで見やる澄香を見て、「ああ、こういうちょっと暑苦しいノリは苦手なんだな」と察する。

 お見舞いに来ていたときは高校の制服だったけど、今日の澄香の格好は、裾の長いブラウンのワンピースと、淡いベージュのカーディガン。私服を見るのは初めてだったけど、シンプルな装いながら可愛らしく着こなしていて、よく似合っていた。

 対する私の服装は、無地のブラウスと黒のロングパンツ。遠目には男装に見えてもおかしくない。タンスにあった秋物はほとんど同じようなものばかりで、私が如何に可愛らしい格好に興味を持っていなかったかが知れた。

 正直なところ、少しばかり落胆があったのは事実だ。女の子なんだし、可愛いものが嫌いなわけじゃない。でも、澄香の姿を見てよく分かった。私が敢えて可愛さを主張するような格好であの隣に立っても、かえって埋もれてしまうだろう。

「母さん、あんまり玄関で引き留めないでよ」

「あらやだ。ごめんなさいね」

 未だ母さんに捕まったままの澄香を見かねて、思わず助け舟。母さんが我に返ったように澄香の手を放す。澄香は相変わらず、ちょっと引き攣った笑みを浮かべながらも、母さんに向かって丁寧に一礼した。

「来てくれて助かるわぁ。私もお父さんも家を空けなきゃいけないってときに、水奈を一人で置いていくの、心配だったから」

「子供じゃないんだからさ……」

 続く母さんの言葉に、私はげんなりとツッコんだものの、それを聞く澄香の表情は真剣そのものだ。

 確かに、まだ事故のショックが癒えない娘を一人ぼっちで放置することに抵抗があるのも分からなくはない。けど、こういう言い方をされると、どうにも過保護に感じてしまうのだが。

 出かける母さんを、澄香と一緒に見送った。父さんは既に家を出ている。残されたのは私と澄香、二人だけだ。

「さて、と。私の部屋でいい?」

「うん、ちょっと久しぶりだなぁ、水奈の部屋」

 冷蔵庫から麦茶を取って、澄香と一緒に私の部屋に向かう。家の中の物に向ける、親しみの籠った眼差しを見て、本当に彼女が私の家に馴染んでいることを実感した。

「入って。と言っても、ちょっと散らかってるけど」

 そう告げてドアを開ける。部屋に入ると、私は持っていたグラスをテーブルに置いた。

 ベッドに勉強机、本棚とタンス、テレビにゲーム機。そして部屋の中心には、たったいまグラスを置いた低くて丸いテーブル。そんな私の部屋をきょろきょろと見回しながら、澄香はベッドまで歩いていくと、

「散らかってるって言うほど……あ、そこのアルバムのこと?」

 そう言いつつ、当然のようにベッドに腰かけた。床に立ててあったアルバムの一冊を手に取った彼女は、そこでふと何かを思い出したように顔を上げて私を見た。

「あ、ごめん。いつもの癖で勝手に」

 両手でベッドを押しながら、そう言ってきた。何も言わず座ったことを謝っているのだろう。私は慌ててそれを手で制し、微笑を作って首を振る。

「いいよそんなの。むしろ、普段通りの澄香がどうしてるのか見られて嬉しい。あ、私も隣、いい?」

「う、うんっ」

 返答の直前、澄香が一瞬どもったことに気づかなかったわけではない。けど、私はそれを敢えて気にせず、彼女のすぐ隣に腰を下ろした。

 何気なく澄香の横顔を眺める。私の背が高い方ということもあるけど、それを抜きにしても澄香は小柄な方だ。頭の高さが結構違う。

 肩のあたりまで伸ばした髪は、ちょっと色素が薄くて癖っ毛気味。それと、垂れがちな大きな瞳。派手に着飾るようなタイプじゃなくて、素朴な雰囲気の可愛さがある。誰もが目に留めて振り返るようなタイプじゃないかもしれないけど、その魅力に気づく人は少なくないだろう。

 肩が触れ合うような距離で、私は何も言わず、澄香が手にしたアルバムに手を伸ばす。気づいた澄香も、その手を私の方に差し出してきた。二人でアルバムを支えながら、私はそれを開いた。

「母さんが嬉々として古い写真持ち出してきたみたいでさぁ。見てたら、やっぱり澄香の写真もいっぱいあるんだよね」

「そうだろうねぇ。私もいっぱい撮られた覚えあるもん」

 はにかみながらクスリと笑う澄香。

「っていうか、写ってるのが私だって分かったの? おばさまたちに聞いた?」

 その直後、ハッとした様子で澄香が私に目を向け、何かを期待するような声で尋ねた。それに、思わず小さな苦笑が漏れる。

 期待に沿えなくて悪いとは思うけど、こればっかりはこう答えるしかないだろう。

「そりゃあ分かるよ。今とほとんど変わらないから」

「む。それ、成長してないってこと?」

「そうじゃないって。そのまんま大きくなったような感じ」

 声に出した通り、むっとした感じで頬を膨らませる澄香に、私は首を振りながらそう告げる。もっとも、澄香はそれで納得してくれなかった。なお拗ねた眼差しでこっちを見る彼女に、私はページを捲りながら、

「写真でも分かるくらい遠慮がちなところとか。ほらこれ、私の後ろに隠れてる写真」

「こ、こんなの撮ったことあったっけ。うわぁ、恥ずかしいなぁ」

 口元を引き攣らせながら、澄香はページを進めて、私が示した写真を隠してしまった。

 もう少し語らってみたかった私としては、少しばかり残念だったけど、次に現れたページにとある写真を見つけ、内心ほくそ笑みながら言葉を続けた。

「あとはやっぱり、今も昔も可愛い顔してるからさ。ほら、これとか」

「え……あ、わーわーッ! こんなの見ないでよぉ!!」

 会心の笑みとともに、コタツで寝こけている彼女の写真を指差してみると、途端に顔を真っ赤にしてページを捲られてしまった。恨みがましい目で睨んでくる澄香に、私は細い笑みを返しながら「ヨダレが……」と囁きかける。

「みぃ~なァ~……」

 恥ずかしさと怒りで頬を赤らめながら、一層鋭い目つきで私を見る澄香を、私は手のひらをかざしてあやした。

 少しからかい過ぎてしまったようで、しばらく膨れっ面の澄香にポカポカ殴られ続ける羽目になった。まぁ当然というか、痛くはない。澄香にしたって、私を傷つけたいわけではなく、単なる抗議のつもりなのだろう。

 一応病み上がりの身に対して、遠慮なくじゃれついてくることが、私にはかえって嬉しかった。

「あはは、ごめんごめん。けどさ、澄香」

「もー、何!?」

 澄香の両手を自分の手で受け止めて言う私に、彼女は未だ機嫌の直らない様子で返事をした。私はそんな彼女の手を軽く握りしめる。予期していなかっただろう私の行動に、澄香は緊張したように肩を揺らした。

 そんな澄香に、私は微笑を向けて言う。

「澄香が私の親友だったってことは、写真を見てれば分かったよ。でも、まだ澄香のことを思い出せたわけじゃない。だから、教えて欲しいな、澄香のこと」

「へ、わ、私のことっ?」

 困惑した声で、澄香がおうむ返しに尋ね返した、私はそれに、しっかりと頷いて続ける。

「そう。私の傍にずっといた人のことだから、もしかしたら私の記憶も刺激してくれるかもしれないし」

 そう告げてから、付け足すように、

「澄香は「焦らなくていい」って言ってくれたけど、それでも私はやっぱり、大切な人のことは早く思い出したい」

「……そんなにたくさん、話すことなんてないかもしれないけど」

 私の言葉に、澄香はそう呟きながら俯く。顔を伏せながら、上目遣いに私を見上げ、言葉を選ぶように口元を動かした。

「それでもいい。聞かせて」

「うん。分かった」

 せがむように私が言うと、澄香は頷いてくれた。

 一から自分のことを話すなんて、普通はないことだろう。それ故のぎこちなさはあったけど、それでも澄香は懸命に、私のお願いに答えてくれた。

 結城澄香。市内の高校に通う二年生。私とは小学一年の頃からの付き合いで、家はすぐ近所。中学も一緒で、今の高校でもクラスは違うけど通う先は一緒。

 二つ違いの妹の麻衣がいる。彼女と澄香、そして私の三人で、幼い頃からよくつるんでいたらしい。ただ、妹の方は彼女と同い年の友達と遊んでいることも多く、特に最近は澄香と私の二人だけで遊ぶことが多かった。

 夏休みは、一緒に宿題をしたり夏祭りに行ったりしていた。写真に残っていたのもそのときのものだ。ただ、二人で浴衣を着たのは一回きりだった。

 今は私と同じく、部活には入っていない。中学時代は文学部なるものに所属していたが、そもそもこれも、放課後に空き教室に集まっては、思い思いに本を読んだりだべったり、はたまたゲームをしていたりと、あまり活動実態のない部活だった。そこに私も所属していた。

 得意な科目は数学で、苦手なのは英語。私は逆に数学が苦手で英語は得意だったから、テスト前はお互い要点を教え合っていた。

 趣味はゲームと料理。私の母さんが忙しいときは、代わりに私の分のお弁当も用意することもあった。私が食べる日は、アスパラの豚肉巻きは欠かさず入れるように――

「――なんか、半分くらい私の話になってない?」

 どこまで放っておこうかと思いながら聞いていたけど、ついそう言って遮ってしまった。それまで調子よく語っていた澄香は、どうやら無自覚だったらしく、一度きょとんと眼を瞬くと、慌てて首をぶんぶん振った。

「そっ、そんなことない! そんなことないから!」

「いや、実際聞いててそうだったじゃない」

 あまりに必死な様子に、私は苦笑気味にそう応える。なにやら不服そうに頬を膨らませながら、澄香はそれ以上抗議の言葉を口にはしなかった。

「む~……それなら逆に、水奈は私の何を知りたいのよ」

 拗ねた口ぶりで、澄香が私の目を覗き込みながら言う。それは不機嫌ながらも、今なお私のお願いに応えようとする真摯さに満ちた眼差しだった。

 真っ直ぐな瞳を、私もまた覗き返す。一瞬戸惑った澄香だけど、それでも彼女は目を逸らそうとはしなかった。

 聞くなら、今しかない。

 胸中に揺らぐ不安を、なるべく声に出さないように押さえつけながら、私は口を開いた。

「ならさ、理由を聞いていいかな」

「理由? 何の?」

 不思議そうに尋ね返す澄香。私はそっと腰を上げると、彼女の前に立つ。そのまま、澄香の両肩を掴んだ。不安そうに澄香の瞳が揺れる。

「水奈……?」

 名前を呼ばれる。けど私にも、澄香を安心させようなんて思える余裕はなかった。今や、自分の表情が強張っているのもはっきり分かる。

 澄香がこれ以上怖がる前に、この手を振り解こうとする前に、聞かなきゃ。

「ねぇ、澄香」

 意を結して私が絞り出した声は、思っていたより冷たかった。


「どうして教えてくれなかったの? 私が、澄香の恋人だって」

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