第2話 好みとコーヒー
「貴方の名前って何なの」
「何ですかいきなり」
お店が楽しい雰囲気になるのは良い事だが、騒がしくし過ぎるのはダメだと思う。
喫茶店は、まったり、ゆったりとした空間があってこそだと自分は思っている。
「だから、名前よ名前、初めに来た時から貴方とか店員とかはっきりしてなかったじゃない」
そのまったり空間を崩しているのが彼女、リリアーナさんだ。
少し前に主従の関係で悩んでいた時、相談に乗ってからここに来るようになったのだ。
「リリアーナ様、喫茶店などでは店主のことを大将と呼ぶんですよ」
胸を張って非常識なことを言っているのはリリアーナの騎士シフィルさん。
「違うわよ、店主のことは女将と呼ぶのよ。でも店主は男だから名前を聞いているの」
聞いていて分かるように両者とも常識知らずである。
流石、世間知らずのお嬢様と真面目で有名だった騎士だ。
色々混ざっている。
「リリアーナさんとシフィルさん、両方とも間違ってますよ。それ友達とかに言ったらダメですよ?例えるならアイスコーヒーとホットコーヒーぐらい違いますからね」
「何でそこを例えたのかは私には分からないんだけど。じゃあなんて呼べば良いの?」
「どうしよう……同僚に言った時笑っていたのはそう言うことだったのか……笑われる……どうしよう」
既に一人被害者が出ているようだが触れないでおこう。本人のためだ。
「マスターとでも呼んでください。他の常連さんはそう呼びますから」
「本名を聞いてるの!それとも貴方の名前はマスターなわけ!?」
「ま、まあ良いではないですか。人には一つや二つ隠し事があるものですから」
流石と言うべきか、もう復活したシフィルの援護が入る。
「リリアーナ様だってフルネームが言えないでしょう?」
「うっ、それはそうだけど」
「マスターはマスター、リリアーナ様はリリアーナ様でいいと思いますよ」
シフィルの物言いに少し感動する。少し前は真面目で、頭が硬かったのに……。
「マスター、今変なこと考えませんでしたか?」
「いえ、何でも有りませんよ」
危機察知能力も上がったようだ。
「シフィルさんの言う通り、隠し事もありますから、もう少し信頼できる間柄になったらいつも使っている偽名ぐらいだったら教えますよ」
「偽名だったら意味ないじゃない!」
「お嬢様、落ち着いてください。名前が無理なら別の事を聞けばいいでは無いですが」
「それもそうね!流石シフィルだわ」
「ありがとうございます」
リリアーナさんを扱うのは簡単そうだ。
質問を受ける前に注文していたコーヒーを出す。
「ありがとう」
そう言うと二人はコーヒーを飲む。
さっきの質問を考えながら飲んでいたリリアーナがいきなり立ち上がった。
「これだわ!」
「何かを飲んでいる時に、いきなり立ち上がらないでください」
「そんな事どうでもいいのよ!マスターが一番好きなコーヒーは何なの?」
思ったより普通の質問だった。一々、『これだわ!』とか言う必要なかった思う。
「そうですね。私の好きなコーヒーは――」
続きを言おうとすると扉が開き、ベルがなる。
全員が注目する中入ってきたのは、珍しい黒髪のショートボブで美人というより美少女と表現……おっと、常連のお客様ですね。
「いらっしゃいませ」
「何故私は注目されてるんですか?少なくとも注目されるような事はしてないと思うのですが」
そう言いながらリリアーナさん達とは一つ席を空けて座る。
「申し訳ないですね。リリアーナさん達は通い始めたばっかりなのでご容赦ください。
リリアーナさん達も入ってきた人に注目すると、不快な気持ちになる人もいるので注意してくださいね」
「すいません、以後気をつけます」
「頭の片隅には置いておいてあげるわ」
「素直に分かったと言えばいい物を」
そこでボソッと女の子――イルネアさんがこぼした一言がリリアーナには気に入らなかったらしい。
「何よ、貴方には関係ないじゃない」
「関係大有りですよ。さっきみたいに注目されると不快に思う人がいるんですよ」
「だから頭の片隅には置いておくって言ったじゃない!」
「次も同じ事をして頭の片隅だからしょうがないとでも言うつもりですか」
「言わないわよ!」
シフィルさんは何食わぬ顔してコーヒーを飲んでいるから当てにならない。
騎士って何なんだろう。
「二人とも落ち着いてください。静かにしないなら追い出しますよ」
「貴方のせいで怒られたじゃない」
「どこからどう見ても貴方のせいですよ」
「だから落ち着いてください。イルネアさんはブラックでいいですよね?」
ほっといたらまた始まりそうなので無理やり話を打ち切る。
「ええ、お願いします」
「コーヒーが入るまでに自己紹介ぐらいは済ませておいてくださいね」
初めに忌々しそうにリリアーナさんが話し出す。
「私はリリアーナ、訳あってフルネームは言えないけどよろしく。コーヒーは甘めが好きよ」
最後に『よろしくなんてしたく無いけど』とか言ったの聞こえてますよ。
「私はシフィル、リリアーナ様の騎士をやっています。コーヒーはブラックを少しだけ甘くしたものです」
「私はイルネア、研究家兼魔道具師をしています。コーヒーはブラック派です」
何故好きなコーヒーを言うのか疑問に思ったが、丁度コーヒーが出来たのでイルネアさんの前に置く。
「どうぞ、ブラックコーヒーです」
「ありがとうございます」
イルネアさんはコーヒーを受け取るとそのまま一口飲む。
「やっぱりコーヒーはブラックに限りますね」
そう言っているわりには表情にほとんど変化がない。誤解されやすいので言っておくと、イルネアさんは表情が外に出にくく、声も平坦で冷たいと思われがちだが意外と感情的なところもあるのだ。
「結局、マスターは何が好みなのよ」
「何の話ですか?」
「マスターの個人情報を書き出してたのよ。何が好きかすら知らないもの」
そう言われるとコーヒーは何が好きだろうか?あの頃とはもうこのまま変わっているはずだ。
「私は基本ブラックですね。甘いのも好きですが」
「そもそもコーヒーが一番好きなの?」
「飲み物と食べ物の中では一番好きですね」
「コーヒーが好きになった理由は?」
これは尋問か何かだろうか?
「昔いた恋人がよく入れてくれていたんですよ」
多分昔のことを忘れる事は、永遠にないだろう。いつまでたっても自分は過去に囚われたままだ。
「「マスター彼女いたの(いたんですか)!?」」
「昔の話ですよ」
少し引きながら答える。
「その彼女はどうなったの?」
自分が暗い顔をしているのに気づいたのだろう。気まずそうな顔をしている。
「書いたらダメなやつだった?」
「いえ、大丈夫ですよ。もう吹っ切れてますから」
「少し無神経ですよ」
「マスターに言ったのよ。貴方には言ってないわ」
「私は言う前に気づけと言っているのですよ」
また言い争いを始めた二人を見ながら、自分用に入れておいたコーヒーを飲む。
少し騒がしいけど、こんな日常も悪くないと思う。
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