第89話 二人と一人
「ではナイフを取り出したと」
「他に無いでしょう」
場所は職員室。警察が来て、根掘り葉掘り聞かれた。別に俺が悪いわけでも無いので、平坦に答えを返す。事情そのものは簡潔だ。嫉妬に狂った男子生徒の未熟な殺意。それだけ。殊更に話を広げようとは思えない一件。
「……………………」
差し出されたコーヒーを俺は飲んでいた。しばらく問答が続いて、解放される。
「宜しいので?」
「昇降口の監視カメラも同じ記録を持っていますし。あくまで当人の口から聞きたかっただけですよ」
――さいですか。
そんなわけで俺は職員室を出た。そして魔術研究会へ。姫子が待っている。
「よ」
「あ、お兄様」
「待たせたか」
「待たせはされましたけど、お兄様のせいではございませんでしょう?」
「それも然りだな」
苦笑も今さら。たしかに俺のせいじゃない。
「警察は何と?」
「ちょっと少年法に関係すると」
「うわ」
そう云うよな。稚拙な殺意ではあったが、その手段はあまりに現実味を帯びすぎている。俺じゃなかったら刺されて終わりだ。その意味で、今回は刑法の勘案もあって退学処置を言い渡されたワケだが。
「まぁお兄様を害そうとしたのですから、コッチとしてもあらゆる処罰を容認出来ますけど……。退学ですか。そうですか」
「姫子にとって俺は邪魔じゃ無いのか?」
「恋敵ではありますけど、排除して終わりなら、それはお姉様への侮辱ですわ」
なるほど公平を期しているわけか。その清浄な御心は賞賛に値する。って言うか普通に良い子だよな……姫子って。あるいは長い年月が精神を丸くさせたのか。君が代な年月を経ているのかも知れない……っていうか三桁って言っていたもんな。肉体年齢の話。
「じゃ、帰るか」
「ええ。そうしましょう」
そして姫子は俺の腕に抱きついた。フニュン。乳圧で俺の腕が幸せ。だが確かに接触は必要だ。姫子にワンセルリザレクションを掛けるためには。こんな業の深い渡世を生きているのは日本で俺だけじゃないか? 少しそう思う。
「有栖川さんまで」
「観柱ヨハネ。弑すべし」
とまぁ衆人環視の噂はそんなところ。
「嬉しいですか?」
「何がだよ」
「わたくしと仲を噂されて」
「アリスで散々味わった」
「えへへ」
「なんだよ。気味が悪い」
「お兄様はお姉様のことを良く思っていらっしゃるなと。そう思ったらとかく男女の仲を思惑する程度には、思い知らされます。お姉様はあまりに幸せ者で……その幸福を一寸も違えることなく理解なさっておりますね」
「あいつも病気だからな」
疲れた声で反駁する。昇降口を抜け、校門へ。風紀委員が身だしなみのチェックをしていた。俺も姫子も違反はしていない。サラリとスルー。
「こんな風に殿方と歩くとは」
俺の腕に巨乳を押し付けて姫子。
「基本百合百合なんだろ?」
「ええ……まぁ……」
「ま、気の違えとでも思って貰えれば」
「お兄様は丁寧語が皮肉ですね」
「然もありなん」
サラリと躱す。実際にその通りでもあった。意識しているわけでは無いが、不遜不屈は俺の精神の拠り所だ。おかげで敵を作る毎日だが。
「大丈夫ですよ。お姉様はそんなことに不満を覚えませんので」
「よく覚っていらっしゃる」
「お姉様ですもの。分かりますよ」
「幸せ者だな」
アリスは。姫子なんて美少女に惚れられて。俺は別に同性愛を否定しない。これは既述の如し。その上で姫子は誠実で、とてもアリスの観念に合っている。その意味で兄貴の一番長い日は……ある意味で有り得る風景だった。
「馬鹿なことを考えてますか?」
「かもな」
「お兄様はお姉様を理解しなさすぎです」
「一応見知ってるんだが」
「お姉様の恋慕はもはや呪いの一種ですよ?」
「まず、そこまで期待をさせた俺が悪いと?」
「言葉を選ばなければそう相成りますね」
「ふむ……」
けれどなぁ。血が繋がっているんだから何ともはや。たしかに恋の全てが真っ当なら、ラブコメは有り得ないだろう。妹萌えの教義も無いはずだ。ただ現実論として考えた場合、どうしても不利な立ち位置にはなる。その辺をアリスがどう考えているにもよるが、
「お前は良いのか」
「何がです?」
「俺にアリスを取られて」
「お兄様になら……別に。3〇ーでも構いませんし」
「そっちは俺が構うな」
まこともって率直な意見。
「では一緒にお姉様を攻略しましょう」
「俺の場合は既に攻略済みなんだが」
「わたくしを混ぜてのお話です♪」
そこで音符がつくのが姫子の悪癖だよな。いや言わないけども。
「俺の血は吸わないんだろ?」
「趣味じゃ在りません由」
「何処まで行っても百合百合か」
「乙女の楽園ですわ」
「アリスの方にもそうだといいんだが。ぶっちゃけお前は勝率でどのくらいと算出しているんだ? アリスを振り向かせるという意味で」
「一割もありませんわね」
「えらくドライだな」
「お姉様がお兄様と経た年月は取り返しがつきませんもの。それに」
「それに?」
ヒュッと姫子は首を傾げた。チュインと銃弾が奔る。それは先まで姫子の頭部があった残像を射貫いていた。
「この様に狙われる始末ですから」
「リエルか」
「然りですね。火焔と氷水の魔女が居ないんです。襲うには絶好でしょう」
「牡蠣フライは準備されてるかね?」
「お姉様なら大丈夫でしょう」
じゃ、後は狙撃手と敵対するだけか。それにしても聖書って血を流すよなぁ。
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