第88話 一時の休息


 魔術研究会に引っ込んだ。こう言うときは奇門遁甲の陣が役に立つ。誰も探せない霧の中。五里霧の術も魔術で再現出来そうだ。まぁあれ自体が仙人の業だが。


「で、消せば良いんですか?」


 アリスの碧眼が燗と光った。完全に殺意増し増し。


「検閲受けるぞ」

「引っかからないように尽力します」

「アリスなら……出来るね……ヨハネも心配いらない……」

「いや、我が事で愛妹が人殺しをしたら心配どころか憂慮のレベルなんだが」

「憂慮されるので?」

「殺しは無しだ。少なくとも人間は」

「牛や豚はありだと?」


 姫子が再三尋ねる。


「こっちが餓死したら意味ないだろ」

「ですね~」


 チューとアリスから血を吸っている姫子。だいたい部室では人目に付かないので、吸血鬼の栄養補給には持って来いだ。屋敷でも吸ってはいるが。アリスも嬌声を上げている。どうやら呪詛の取り除きと同様に、吸血姫の食事でも感じ入るモノらしい。艶やかな声は耳に毒だな。否定するつもりも無ければ、その根幹すら持ち合わせてはいないものの、それでもアリスの涼やかな声は嬌声になっても爽やかだ。俺に甘えるときはもうちょっと糖分が含まれる。


「結局……大丈夫なので……?」

「彼我に加害は一切ないな」


 正確には脳しんとうを起こさせたので、俺には少し問題在れども。


「なんでしたら……灼きますよ……?」

「気持ちは嬉しいが却下」

「ここ神鳴市では……死袴は警察より……強いのですけど……」

「じゃあ自分のために権力を振るってくれ。こっちを勘案する必要は無い」

「ヨハネは……それでいいの……?」

「アリスと一緒に居る時点で、妬み嫉みは計算の範疇だ」

「いやん。兄さん」


 艶っぽい声でアリスが照れる。吸血の最中なので、自然と色が乗るのだろう。


「でも……警察が……」

「指紋を鑑定すれば一発だ。あいにくとこっちは触っていないんでね」

「取り調べもあるんですか?」

「というかこの場合は状況証拠の後付けだろうな」


 少なくとも感触を見るに、学校側は俺を加害者とは思っていない様子だ。


「ほ」


 茶を飲む。保健室にはナイフ先輩(今さら命名)が添えられているので行く気にならん。


「兄さんは人が良すぎます……ん……っ」

「お前に言われると説得力を感じないんだが」

「兄さんは悪くありません……」

「たしかに悪いことは……あー……実質的にはしてないが」

「何か……心当たりでも……?」


 キョトンと綾花が首を傾げた。


「いや。人が人を好きになるってどういうことかと……な」

「愛しております!」


 アリスの挙手。俺はヒラヒラと手を振った。


「分かってる」

「では初夜を」

「必要ないな」

「何でですかー……」

「愛妹だし。大切にしたいんだよ」

「兄さんにならフルオープンアタック敢行できますよ?」

「姫子にしてやれ」

「嫌ですよぅ。取って食われます」


 いや。状況と理性が許した場合、俺も取って食うんだが。


「兄さんになら何度でも」


 普通にコッチの思惑を読んでくるな。ま、いいか。


「で……警察に取り調べを受けて……良しと……?」

「憲法的には否定能わず」

「拙が……申し添えましょうか……?」

「いらない」


 別に後ろめたいことも無いのだ。杞憂は此処で断ち斬った方が、立つ鳥跡を濁さずの精神にも叶う。ちょっと自分でも何言ってるか分かりませんね的な言葉遣いではあれども。そこはまぁツッコみも野暮と言うことで。茶を一口。


「お兄様は苦労性ですね」

「吸血鬼ほどじゃないんだが」

「わたくしはお姉様に会えて僥倖ですよ?」


 それを自然と言えるお前がすげぇ。俺ですらアリスに愛は囁けない。いや、むしろ俺だからこそ、か。兄妹。血縁。かようにヨハネとアリスを、一般常識は乖離させる。不満があるわけでは無い。俺もアリスを好きではあるも、シスコンが良いところ。単にアリスが俺の予想以上の乙女に成長してしまったのが誤算と言えば五三桐。


「姫子もアリスを宜しくな」

「それは嫁にやるという意味で?」

「アリスが願うなら泣く泣く送り出すぞ」

「ありえません!」

「そう強く言わんでも」

「アリスは……本当にヨハネが……好き……」

「だな」


 嘆息。


「お姉様の血はあまりに美味しすぎますわ」

「繁殖させたらモノに出来るんじゃないのか?」


 ちょっと思いついたことを言ってみる。


「可能ですけど、その場合はルール違反です」

「恋愛ごとに違反があるのか?」

「物事を単純化して捉えないでください」

「複雑化して捉えても益は無い気もするが」

「そこはまぁ。乙女の領域です由」


 便利な言葉だなぁ。乙女。


「で、なんで姫子は私の胸を揉むの?」

「ポストに赤いですねって語る人間が居ますか?」


 姫子にとっての普遍なのは何となく分かった。アリスも姫子に負けず劣らずなので、揉み心地は極上だろう。揉んだことのある俺だから分かる。フニュフニュだ。そんなことを思っていると、校内放送が俺を呼んだ。一応部室にも聞こえる。


「じゃ、ちょっと出頭してくる」

「夕餉は何が宜しいでしょう?」

「冬でも無いのに牡蠣フライ」

「あい承りました。そして姫子は離れなさい」

「うへへぇ。お姉様のおっぱい~」

「若干気持ち悪いですよ」

「俺に愛を説くアリスもこんな感じだぞ?」

「え? 本当に?」

「自分のことは得てして分からんよな」


 一緒にお風呂に入ったり同衾したり。そうでない方が嘘なのだが、まぁ自覚を促す意味ではこれも反面教師か。とはいえ姫子が若干アレなのは、俺も否定能わじ。別に姫子に罪があるわけでも無いも、恋は盲目と言うことか。五月雨よ。

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