第83話 吸血鬼の懸念


 ポヨンと胸が跳ねた。俺はその谷間に手をやる。嬌声。吐息。発情するような耳を溶かす声。地殻変動でも起きているのか。日に日に増していく頂の高さよ。呪詛を全て解除して、それからアリスの胸元から手を引く。


「兄さん……もっと……」

「今日はコレで終わりだ。精神的にはスッキリしたろ?」

「性欲的には不満だらけです」

「ではお姉様! わたくしと!」

「却下」


 すげないアリスだった。めげない姫子も中々のものだ。


「それでは朝食を作って参りますね」

「よろしゅ~」


 パタパタ。パタン。パタパタ。キッチンに消えていくアリス。


「お姉様の御飯は美味しいですからね」

「吸血鬼の言葉じゃねえな」

「人間だって、意味も無いのに嗜好だけで食事をするじゃないですか」

「然りだな」


 つまり人体構造上、食事が可能なのは今更ではあっても。


「結局今日もリエルに襲われるのでしょうか?」

「誰だ?」

「ガブリエル=チェックメイト……略してリエルです」

「御本人の許可を取らなくて良いのか?」

「友達じゃ在りませんし。何と呼ぼうと良いのでは? ターゲットアルファとかでもいいですよ?」

「ふむ」


 リエルか。チェックメイトと呼ぶよりは言いやすいな。


「じゃあ俺も便乗しよう」

「お友達になれたらいいですね」

「仇じゃ無いのか?」

「ま、居るだけで迷惑なのは今に始まった事じゃありませんし」

「こっちは迷惑なんて思ってないんだが」

「お兄様は寛容に過ぎます。コッチは恋敵ですよ?」

「寝取れるならソレも興味深いな」


 姫子の瞳孔が開いた。


「お兄様がわたくしを……ですか?」

「お前様がアリスを……だ」


 何を勘違いしているお前。


「お兄様はお姉様をどう思っているので?」

「可愛い妹」

「えと……」


 なんだか綾花みたいな口調になる姫子だった。どこか瞳が胡乱げだ。


「本気で言ってます?」

「字面だけならな」

「あんなに愛らしいのに」

「知ってるさ。アイツの右に出る美少女を俺はあまり知らない」

「居ないわけではないと?」

「姫子も候補だぞ」

「口説かれているので?」

「そう思えるなら幸せであろうよ」

「むぅ。お兄様は意地悪です」

「吸血鬼の保証付きならある種の信頼感はあるな」


 特に相手にもしない。


「それで威力使徒の件ですけど……」

「殺さない程度の無力化は許可する」

「いえ。むしろ殺した方が厄介ですので」

「?」


 と相成る。


「たしかに吸血鬼滅せよ……は協会の意向ですけどね。一般的に日本では然程でも無いんですよ」

「リエルは?」

「欧州では普通ですよ。迫害と蔑視は吸血鬼の進む先です故」


 中々に業の深い生物だな。ヴァンパイアって奴も。


「ただ日本だと苛烈さが減っていると言いますか」

「それにしてはリエルは手厳しかったが……」

「仮にも三桁の年齢の吸血鬼です。協会がその気になれば、複数の刺客を送りますよ」

「たしかに……」


 言われてみればその通りだ。普通に人間以上の力を持っている化け物相手に一対一を求める方が頭を違えている。


「じゃあアレは?」

「さあ? 思想教育が行きすぎたのか。あるいは親しい人間を吸血鬼に殺されたのか」


 なるほどな。


「つまりバックに協会は無いと?」

「わかりません。同意を得ているのか。あるいは独断専行か。おそらく後者でしょうけど」

「お前はソレで良いのか?」

「一応今まで協会とは敵対してきませんでしたし」


 というと?


「協会は威力使徒が返り討ちにされると、そのモンスターを完全に滅しようとするんですよ。だからわたくしは威力使徒を殺したことがありません。たしかに敵対はしますけど、一匹殺せば百匹現われるような迫害昆虫の理論は、この際悪徳です」


 うーむ。信仰って何だろな? さすがの吸血鬼も懸念するわけだ。


「その上で威力使徒が安全と放置されていたはずなんですけど」

「此度のリエルは違ったと?」

「そう相成りますね」


 とすると私怨か。あるいは妄執か。


「欧州になら、それなりの数の吸血鬼が居るのですけどね」


 たしかに狩るならソッチが効率的ではあるな。


「では何だ? ……と問われると返す言葉もないのですけど」

「そこは俺も同意見だな。実際に鉄砲百合なって物騒な代物持ち出して、無害な吸血鬼の殲滅か。コストとリターンが噛み合っていないな」

「それなんですよ」


 結局其処に集約されるらしい。使用人に出されたコーヒーを飲む。目覚ましだ。


「なんでもお兄様は死者すら蘇らせるとか」

「否定はしない」

「ではわたくしが殺されても?」

「明日は明日の風が吹く」

「心強い御言葉です」

「人の話を聞いてたか?」

「存分に」


 ワケありげに姫子はウィンクした。ソレがまたサマになるモノだから、乙女は侮れない。この場合は合法乙女か。年齢三桁だもんな。怖くて子細は聞けないが。


「とりあえずの対策は取るし、安全率も確保するつもりだが……」

「こちらの事情にお兄様を巻き込むのは本意ではありませんけど」

「アリスが悲しむ」

「恋敵では?」

「ソレも含めてライバルだ。等価の対応だな」

「恐悦至極」


 ま、後刻で良いか。

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