第74話一度だけの恋なら


 パサリ。書類が落ちた。正確には書類というか手紙の封筒だ。


「おおう」


 即断即決も良いところ。転校して早々にアクションは起こった。


「にゃ?」


 姫子は封筒を見つめる。拾い上げて。


「あー。アレだな」

「アレですね」

「もしかしてラブレターってものでしょうか?」


 姫子も純情ではないらしい。たしかにイタリア美人な印象に、練り上げられた美貌の造形が乗れば、男子で無くとも恋に落ちる。俺? まぁ心が揺れないと言えば嘘になるが、まず以てその場合の姫子の今後が破滅するので、余計な真似はしない。普通に普通の男子学生を演じる俺だった。うーん。我ながら良心的。その心の尊さを誰かに褒められたい気分。アリスなら喜んで褒めてくれるだろうが、アイツにとって俺は嫁だしな。


「ふむふむ」


 サラリと姫子は文書を読んだ。要約すると、放課後の図書室に来てください……とのこと。まぁベタっちゃベタだが、普通に考えて勇気ある行為でも在ったりして。少なくとも俺には無理だ。三つくらい理由があって。


「お姉様。付き添ってくれますか?」

「構いませんけど……兄さん次第ですね」


 チラリと碧眼がこっちを向いた。確かにアリスらしい取捨選択ではある。


「綾花はどうする?」

「えと……馬に蹴られるのもなんですので……」


 そういうよな。一番空気の読めている奴だ。


「死袴屋敷って鮎が捕れるか?」

「年中無休で……」

「じゃあ塩焼きを食いたい」

「承りました……」


 そして外履きを着用して綾花は傘を広げると、雨の中を帰っていった。


「図書室な」

「お姉様……お兄様……」


 どこか縋るような姫子の独りごち。別段何がどうのでもないが、第二真祖にとって男は鬼門らしい。――ええと、俺は?


「お兄様ですから」


 そう言えるお前がすげぇよ。嘆息。そんなわけで、姫子はアリスに頼り、アリスはヨハネを隣に置き、俺は場の空気を読むしか無く、トリオで図書室に向かった。室内に入ると、邪魔にならないように俺は本を探し求める。アリスは姫子に付き添うらしい。何も無いなら良いんだが。


「で、久方ぶりに古典SFでも……」


 しばらく本棚をうろうろしていると、


「どうもです」


 男子の声が聞こえた。人目に付かない棚の奥。さすがに共有スペースの生徒が入り交じる中での公開告白はしないらしい。気持ちは分かる。精神的に全裸に為るような物だ。羞恥心はいつも人の道標となる。


「その。有栖川さん」


 男子生徒の声は中々に整っていた。別にイケメンボイスではないが、緊張と誠実のない交ぜになった声が、良好感を呼ぶ。


「俺と付き合ってください」

「謹んで申し訳ありません」


 それもまた必然だ。姫子にとって、男って奴は先述の如く鬼門だ。結局のところ百合なので、美少女ぐらいしか勘案に入らない。


「せめて友達からっ」

「興味ございません」


 在る意味で快刀乱麻。スラリと意図を介錯する。


「わたくしにはお姉様がいらっしゃいますので」

「ひゃん!」


 アリスの跳ねる声が聞こえた。セクハラされたのだろう。その程度は分かる。


「でも観柱さんはブラコンで……っ」


 ですなぁ。


「愛は最後に勝つんですよ?」

「せめてSNSの……」

「流出の恐れがあるのでお断りさせていただきます」


 他に言い様もあるだろうに。ま、たしかにアリスを好きでいてくれることは感謝しかない。あれで恋愛関係になると視野が狭くなるので、一種のリハビリにはうってつけだろう。姫子には酷かも知れないが。


「本当に無理なんですか?」

「ええ。何も譲歩できる領域がございませんので」


 姫子の胆力も相当の物だ。あるいは永く生きているが故の業か。


「なので失礼いたします。あくまでわたくしが趣味に合わないと言うだけで、貴方様は立派な……勇気ある御仁に感じました。その誠実さが次の恋愛の成就の助けになるよう……お祈り申し上げております」


 どこの就職の断り方だ。まぁ色々とあるんだろう。


「行きましょうか。お姉様」

「ですね。ところでスカートの端を握っているのは何かしらの主張でも?」

「お姉様の下着を見たいと思うのは健全な衝動かと」


 うーん。男子生徒が気の毒になるな。誰のせいって巡り巡って俺のせいなんだが。


「アンドロイドは……か」


 読んだことのある作品だ。パラパラと流し読み。普通に覚えていた。


「お兄様?」

「うぇ?」


 沈鬱して去って行く男子生徒を気配で捉えながら、俺は姫子の声を聞く。蒼眼がこちらを捉えていた。コーンフラワーブルーの瞳だ。茶髪は地毛なので、校則違反には為らない。


「壁に耳ありとは申しますが、盗み聞きは感心しません」

「偶然だ」


 実際に聞く気は無かった。単純に図書室で読みたい本を探してかち合っただけだ。結構広いので、確かに偶発的な不注意の類には含まれるだろうが。


「イケメンじゃ無かったか?」

「お兄様がいらっしゃいますから」

「……………………」


 アリスから殺意が漏れ出す。あ、いかん。


「アリス?」

「何でしょうか兄さん?」

「呪詛が溜まってないか?」

「はぁ。まぁ」


 やはしか。こういうところで直感が働くのは、有利に事を運ぶ最善手だ。放っておくわけにもいかじだな。とはいえ魔術研究会は鍵返したし。


「保健室か」

「プレイですね?」

「それは姫子に代打を任せる」

「お任せください」

「却下」

「お姉様~…………」


 心底無念であるらしい。なんというか。微笑ましい光景であるような、地獄を圧縮した光景であるような。


「私が望むべきは兄さん以外にございませんので」

「同じ感情をわたくしもお姉様に持ち合わせております。その業の深さは恋するお姉様にならお分かりになるでしょう?」


 確かにな。口八丁だが真実でもあった。もっともソレで病気が治るなら苦労は無いわけで。言ってしまえば恋の矢印がこんがらがっているのだろう。色々と無念ながら。

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